文化大革命を生きて

1956年に中国遼寧省で生まれ、10歳から20歳まで続いた文化大革命を生き抜いてきた体験談などを綴ります

田舎下放40周年

2009-11-28 19:47:32 | 日記

今日から40年前の1969年11月28日、
私は中国有数の大都会、瀋陽市から遼中県にある
老達房公社の曹家大隊小楡樹村に家族とともに下放されました。

 その時の私の家族構成は父方の祖父(77歳)、父(41歳)、母(39歳)
姉(15歳)、私(13歳)と妹(10歳)でした。

朝6時ごろ、トラックが来て、少ない家財道具と私たちを乗せて出発しました。

通学途中の友達数人が見送りに来てくれました。
家の飼い猫が盗まれたばかりだったので、

幼馴染の一人が猫をプレゼントしてくれました。

一緒に下放された大勢の人たちと合流してバスで遼中に向かい
遼河を渡るため浮き橋を乗る前に一旦下車した時、車酔いの私は
吐き出しました。生まれて初めての体験でした。辛かったです。

小楡樹村に到着したのは夜の8時半にもなり、
その村にはまだ電気がなく真っ暗でした。
トラックから降りた途端、ずっと抱っこしていた猫が逃げ出してしまいました。
それっきり、二度とその猫と会うことはありませんでした。
悲しく、悔しかった。

村の雷爺さんが一間の部屋を貸してくれました。
中国東北農村部の家は普通南向き三間続きで
玄関は真ん中の部屋の南側にあり、
竃、大きい水かめと両側の寝室に通るドアもこの部屋にあります。
寝室に土レンガでできたオンドルが寝床になります。
竃に火を焚くと、熱い煙がそのオンドルの中を通り抜け、
さらに壁の中の煙道を通って、外に出ます。
火を止めてから、壁の煙道の上の所に板を奥に挿し込んで
オンドルを暖かい状態に保ちます。
雷爺さんは東側の部屋を使っていて、西部屋を貸してくれました。

マイナス20℃~35℃にもなる寒い冬の時季に
電気も水道もガスもない
それまで想像もしなかった田舎暮らしを
こうして始めなければなりませんでした。