母との日々

パーキンソン病、レビー小体型認知症の母を12年間在宅介護した記録です。今は時々思い出しながらつぶやいています。

気がつかなかった感情

2016年05月05日 | 母のこと

母が2年半入院していた病院は、車で3時間くらいかかった

病院は山のふもとのあたりにあったので、寂しくて暗い感じだった



3時間、車で2年半通ったから今でも走っているときに見た景色を思い出す

もう行くこともないから忘れたいけど・・なぜかこの頃よく思い出す


パン屋さんがあったとか、工場があったとか・・お花がよく咲いていたとか・・



で、思い出すたび、寂しくて悲しくて嫌な気持ちになる



走っている時・・その景色を見ているとき・・・

私はいつも悲しかったからだ

辛かったからだ

寂しかったからだ


母がもうよくならないこと・・

希望はないこと・・

母に会っても会話がないこと・・

私のことをわからないかもしれないこと・・

看護師さんに意地悪されていないか心配なこと・・

病院で母をひとりぼっちにしてしまってること・・

何をしてあげればいいのか・・わからないこと・・


ずっとずっといつもいつも

そんな思いをのせて、行きも帰りも流れる景色を見て運転してた

毎回帰りは泣きながら運転してきた


そんな気持ちが、まだ残っていて・・

景色を思い出させるのかな・・



あの時は本当に辛かったね・・

悲しかったね・・・

寂しかったね・・・

ママが大好きだったね

ママがよくならないとわかって苦しかったね

ママに喜んでもらえること・・わからなくて辛かったね

ママが大好きだったね

もっと、ママと一緒にいたかったね

ママに、大好きだよーーーーーーーーーーーーーーーーーって

言いたかったね

ママをぎゅーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっと

抱きしめたかったね

ママの喜んだ顔を見たかったね



ママに会いたいね

ママに会いたいね

ママに会いたいね




ママ

ママ


ママ


大好きだよ


また、会おうね


ママ、ママ、ママ



大好きだよ



大好きだよ



ママが大好きだよ



また、会おうね



絶対会おうね


ママ、大好きなママーーーーーーー



ありがとう、ママ



また、会おうね




本当に、会おうね








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いつもありがとう,゜.:。+゜





甘えたかった

2016年05月02日 | 母のこと

このところ、母のことをよく思い出す


あれをしてあげられなかったとか・・

あんなことをしてしまったとか・・

もっと一緒にいたかったとか・・

病気でなかったらどうだったろうとか・・・
(あまりそれは考えたことなかったけど・・なんか想像するようになった・・)



同じこと、何回も何回もぐるぐるぐるぐる・・・考える


その度に、悲しくなって自分を責める




どこからくるのかなあ・・・

この気持ちは・・




母が大好きだった子どもの頃


「ママーママー~~~」っていつもくっついてた

ひとりっ子で父は仕事で夜遅かった


母が大好きだった



小学生くらいになって

近所のおばはんに「ひとりっ子は甘えん坊だからねえ~~」って言われたひと言


甘えん坊じゃあいけないんだって・・


だんだん思うようになった


母のために


母にほめて欲しいから・・



それで、がんばったんだなあ~

いろんなこと

馬鹿にされないように・・しっかりしなくちゃとか

一番にならなくちゃ・・(中学生の時のマラソンくらいしか1番になったことないけど・・)



それからずーーーーーーーーーーーっと

人生、がんばってきたんだなあ・・


うまくいったかどうかではなくて・・結果うまくいかないこともいっぱいあったけど・・



介護が終わって3年4ヶ月が過ぎて・・


気づいたことがある



私が素直に母が大好きで甘えられていた頃・・

その頃は、私自身でいられた

周りを気にすることもなく、わがままも言って、泣いて、困らせて、怒られて、また泣いて・・

感情を素直に出せた

ちゃんとできなくて、味噌汁をよくこぼして怒られて泣いて、ちょっとぐずでとろくて・・

そんな自分だった・・

友達にうそをつかれても気がつかなくてぼーーーーっとしてた・・




介護が終わってから・・

そんな自分に戻ってきた・・・と、思い出した


本当は私はそんな私だった



実はそれが私だった



介護疲れと更年期で、もう全然だめになっちゃった


もっと、ちゃんとできた私だったのに~~~~って嘆いていたけど


もともと、そんなだった・・気質てきにね・・


あ~~そうかああっって、思った



がんばってきたんだなあ・・





もう、このままの私でいいんだなあ・・・


長年の癖で、できない自分にへこんだり・・違和感を感じるけど・・


もう、いいんだなあ・・


このままの、ありのままの私で





最近


きづいた・・





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NHKのど自慢

2015年09月25日 | 母のこと

明日の夜7時半からの、NHKのど自慢はウチの町なのです


スマップがでる特番で、被災地の町の様子もでるかもです・・


友達ものど自慢にでます


漁師の人です


よかったら・・見てください




お盆ですね

2015年08月13日 | 母のこと
 

お盆ですね。

1人と5匹暮らしなので・・盆正月は・・あまり好きじゃないです


母がいるときはそうでもなかったけど・・


過疎の町が人や車でスーパーも道路もごしゃごしゃしてて・・落ち着かない

みんな家族と楽しそうで・・

うらやましい・・

私は寂しさが増す・・


母との日々を思い出し、辛くなったり悲しくなったり・・

先行きのことも不安になったり・・・


楽しくないのですね・・・



親戚も来ないし誰も来ないし・・



なのでーーー


今年は何にもしない

ゴミ屋敷なので・・片付けます


住みやすく・・

私と猫5匹が元気でごきげんで過ごせるように・・・





本当に好きな物、素敵な物・・大好きな人たちが訪れてくれるように・・


気持ちのいい空間を作っていきたい・・


年末までには~~~(@^▽^@)




お盆前は30℃越え~~だったのに


今日は、24℃!!!で小雨が振ったり~~~涼しい~~~!!

片付け日和~~~♡




明日も涼しそうなので・・こつこつと片付けます






全然、更新してないのに・・訪問してくださる方がいて嬉しいです

ありがとうございます







母とのこと、思い出すこともしばしばあり・・

母が生きていたときに感じていた気持ちを思い出して

あの時の自分をいやしてあげたいなあと思うようになってきました


そしたら今の自分ももっと大切に愛おしくなれるんじゃないかと・・・




ちょっとづつ、書ける時間と体力がありますように~~~♡




では・・また・・




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反抗期

2014年09月03日 | 母のこと
昨日、心屋さんのでているテレビを見た。

本とかブログでは読んでいたけど、テレビで見たのはラモスがゲストででたとき以来・・・
どの番組でやっているのか・・終わってしまったのか・・さっぱりわからなくなっていたため・・


昨日はなぜか、茶の間でにゃんこたちとまったりしながらテレビを見ていたら、たまたま心屋さんがでるという・・
2時間特番で、元お相撲山の旭道山が絶縁していたお母さんと会う・・というのにちょっと興味があったので見ることにしたんだな


その話もすごかった
ここでは、長くなるので書かないけど・・


私が・・あ~~~そうだったかも~~とすくわれた気持ちになったところがあったの



旭道山が4年ぶりにあったお母さんへの態度がすごく冷たくて厳しいと・・

心屋さんはそれは”反抗期”だからだって・・

小さい頃からお母さんのためにと生きてきたから反抗期がなかったんだって

だから、今おそ~~~~い反抗期で、それを通ればまた新たな気持ちがでてくる(っていう表現じゃなかったカモだけど・・)ということだった
反抗期って必要なことなんだって・・



私はひとりっ子で母が大好きで大好きで・・母に認められたくて生きていたから・・

よ~~~く思い出したら・・私も反抗期なかったんじゃない?って思った

今まであまり考えたことなかったけど・・思い出せるような反抗期ってないから・・なかったかも・・



そして、思ったの

母を介護しているとき、母の嫌なところや頭にきたところ、直して欲しいところなどなど・・気にくわないこと言いまくった

母はまだその時は会話はできるけど、ひねくれまくって言うこと聞かないしやなやつだったから、こっちも必死で介護しているから頭にきて
喧嘩、喧嘩よ~~~!!


母も言い返す元気も口も動いたから・・ふたりで言い合い!!

親に言う言葉か?!というようなこともぶつけた、母も負けちゃいなかったけどね・・


何を言ったかその時のことだから・・あまり覚えていないけど・・
なぜか、全然母に悪いなあ~って思わなかった
すっきりした、ざまあみろと思った


後腐れなかった


母も、ちょっとしたらけろっとなっててふつーにまたひねくれていた


子どもの頃、母と喧嘩もしたことなかったから・・

きっとやっぱり、これは反抗期だったのかな~って


(勝手に自分の言いように解釈してると思う方もいらっしゃると思いますが・・)


そんなことが何度もあって、母に対する心にたまったものをほとんど出し切ってしまったような気がする・・今思うと・・

ピークは・・ああ~ということは・・あれは家庭内暴力ってことか・・と思うこともあった・・

これはまだ書けないけどね・・




その後は、母の様子も変わってきて・・もう言葉もあまりでなくなってきたから
喧嘩もできなくなってしまった


よく、友達に喧嘩ばっかりなんだよ・・頭来る!って愚痴をこぼしていて
友達は、「喧嘩できるのはいいよ~親子だもん」って言ってくれてた・・

私はその時よくわからなかったな~


親子だから??喧嘩してもいい?大丈夫?ってことが・・


それが・・やっと今、わかった・・遅すぎるだろう~~~~!!





あ~~母と私は親子だったよね~~

かけがえのない母と子だったよね~~

大好きな愛おしい母だった・・


皮肉にも、介護を通じて(?)喧嘩できて・・

喧嘩できた後は・・出し切って・・母に対する愛情しかなかったよ・・




反抗期の後は・・母を包み込む、産んでくれた母に感謝する愛情しかなかったよ・・



子どもの頃、母にべったりくっついて甘えてばかりの私は、母が亡くなった後は

母をまるで子どもを抱くように胸に抱いて包み込むイメージがずっとあった・・


それまで、一生懸命私を育ててくれて、病気になった後もよくなりたいと一生懸命リハビリをしたり
がんばっていた母が愛おしくて・・偉かったね・・よくがんばりましたと・・


ずっとずっと母を胸に抱いている私がいた・・愛おしい母・・




また、母に会うときには、私も一生懸命生きてきたよ~♡と言えるように・・

生きていきたいな・・


なんか・・とりとめのない話になってしまったなあ・・・


いつものことかあ~~~(@^▽^@)ノ








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