昨日、心屋さんのでているテレビを見た。
本とかブログでは読んでいたけど、テレビで見たのはラモスがゲストででたとき以来・・・
どの番組でやっているのか・・終わってしまったのか・・さっぱりわからなくなっていたため・・
昨日はなぜか、茶の間でにゃんこたちとまったりしながらテレビを見ていたら、たまたま心屋さんがでるという・・
2時間特番で、元お相撲山の旭道山が絶縁していたお母さんと会う・・というのにちょっと興味があったので見ることにしたんだな
その話もすごかった
ここでは、長くなるので書かないけど・・
私が・・あ~~~そうだったかも~~とすくわれた気持ちになったところがあったの
旭道山が4年ぶりにあったお母さんへの態度がすごく冷たくて厳しいと・・
心屋さんはそれは”反抗期”だからだって・・
小さい頃からお母さんのためにと生きてきたから反抗期がなかったんだって
だから、今おそ~~~~い反抗期で、それを通ればまた新たな気持ちがでてくる(っていう表現じゃなかったカモだけど・・)ということだった
反抗期って必要なことなんだって・・
私はひとりっ子で母が大好きで大好きで・・母に認められたくて生きていたから・・
よ~~~く思い出したら・・私も反抗期なかったんじゃない?って思った
今まであまり考えたことなかったけど・・思い出せるような反抗期ってないから・・なかったかも・・
そして、思ったの
母を介護しているとき、母の嫌なところや頭にきたところ、直して欲しいところなどなど・・気にくわないこと言いまくった
母はまだその時は会話はできるけど、ひねくれまくって言うこと聞かないしやなやつだったから、こっちも必死で介護しているから頭にきて
喧嘩、喧嘩よ~~~!!
母も言い返す元気も口も動いたから・・ふたりで言い合い!!
親に言う言葉か?!というようなこともぶつけた、母も負けちゃいなかったけどね・・
何を言ったかその時のことだから・・あまり覚えていないけど・・
なぜか、全然母に悪いなあ~って思わなかった
すっきりした、ざまあみろと思った
後腐れなかった
母も、ちょっとしたらけろっとなっててふつーにまたひねくれていた
子どもの頃、母と喧嘩もしたことなかったから・・
きっとやっぱり、これは反抗期だったのかな~って
(勝手に自分の言いように解釈してると思う方もいらっしゃると思いますが・・)
そんなことが何度もあって、母に対する心にたまったものをほとんど出し切ってしまったような気がする・・今思うと・・
ピークは・・ああ~ということは・・あれは家庭内暴力ってことか・・と思うこともあった・・
これはまだ書けないけどね・・
その後は、母の様子も変わってきて・・もう言葉もあまりでなくなってきたから
喧嘩もできなくなってしまった
よく、友達に喧嘩ばっかりなんだよ・・頭来る!って愚痴をこぼしていて
友達は、「喧嘩できるのはいいよ~親子だもん」って言ってくれてた・・
私はその時よくわからなかったな~
親子だから??喧嘩してもいい?大丈夫?ってことが・・
それが・・やっと今、わかった・・遅すぎるだろう~~~~!!
あ~~母と私は親子だったよね~~
かけがえのない母と子だったよね~~
大好きな愛おしい母だった・・
皮肉にも、介護を通じて(?)喧嘩できて・・
喧嘩できた後は・・出し切って・・母に対する愛情しかなかったよ・・
反抗期の後は・・母を包み込む、産んでくれた母に感謝する愛情しかなかったよ・・
子どもの頃、母にべったりくっついて甘えてばかりの私は、母が亡くなった後は
母をまるで子どもを抱くように胸に抱いて包み込むイメージがずっとあった・・
それまで、一生懸命私を育ててくれて、病気になった後もよくなりたいと一生懸命リハビリをしたり
がんばっていた母が愛おしくて・・偉かったね・・よくがんばりましたと・・
ずっとずっと母を胸に抱いている私がいた・・愛おしい母・・
また、母に会うときには、私も一生懸命生きてきたよ~♡と言えるように・・
生きていきたいな・・
なんか・・とりとめのない話になってしまったなあ・・・
いつものことかあ~~~(@^▽^@)ノ
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