セルフ・エンパワーメントのすすめ

人生を変えるセルフ・エンパワーメント!自分のものの見方・考え方を変えれば、人生と世界が変わる。これが永遠の宇宙法則です。

お知らせ

2007年12月16日 | 人生雑感
いつも読んでくださり、ほんとうにありがとうございます。

まことに勝手ながら、諸般の事情により、ブログ「セルフ・エンパワーメントのすすめ」をしばらく休止させていただきます。

皆様からお励ましのことばをたくさんいただき感謝にたえません。

みなさまのお幸せとご健康をお祈り申し上げます。

「セルフ・エンパワーメントのすすめ」管理者 marut@

人生の大仕事

2007年12月15日 | 人生雑感

中国の易経に「父、父たり、子、子たり、兄、兄たり、弟、弟たり、夫、夫たり、婦、婦たり。しかして家道正し」という名言があります。

つまり、父は父の、子は子の、夫は夫の、そして妻は妻の義務がある。

そして、それぞれが自分の義務を果たしてはじめて家庭生活は円満にいく。

わたしはこのように解釈します。

義務とは「その立場にある人として当然やらなければいけないとされている事」という意味です。

ところで、この義務について、日本国憲法に国民の三大義務というものが明記されています。

すなわち、「教育を受けさせる義務」「勤労の義務」「納税の義務」です。

これらも日本という一国家が繁栄し国民全体が幸せに暮らすために一人ひとりが果たすべき行いです。

国際社会において一つの国には繁栄する権利があり、国家社会において一人の個人には幸福になる権利があります。

そして、国が繁栄し、個人が幸福になる権利を行使するとき、国としての義務、個人としての義務が生ずるということなのです。

義務というと強制的な印象を受けてしまいます。

でも、父や母、夫や妻の義務によって家庭が支えられているのです。

国民の「教育」「勤労」「納税」が国全体を支えているのです。

人生の”大仕事”とは何も人から注目されることばかりではありません。

人目につかなくても、あるいは、その規模はどんなち小さくても、りっぱに家庭を支え国家を支えるような”大仕事”があるのです。

わたしは自分の良心に決して背かず、世の柱となるような生き方が人生の”大仕事”だと思います。


「自らの義務を果たした、という意識を持てたらそれで満足せよ。――他人がそれを認めようと認めまいと」
(ドイツ人作家 C.M.ヴィーラント)


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忘れる能力

2007年12月14日 | 人生雑感

「すべては過ぎ去る」

これは宇宙の永遠の法則です。

過去のできごとは、もう消え去ったことです。

過去は「記憶」の中にしかありません。

その「記憶」という脳の働きはなくてはならないものです。

ところが、この「記憶」というのも”両刃(りょうば)の剣”なのです。

つまり、わたしたちに対してプラスのはたらくときもあればマイナスにはたらくときもああるからです。

たとえば、「記憶」がなければ、自分がだれなのかを忘れてしまいます。

職場に行く道も家に帰る道もわからなくなっていまいます。

学習したことや経験したことを記憶できなくなれば、人間は生きることが不可能になります。

その一方で、「記憶」があるから、わたしたちは悩んだり苦しむということも現実です。

昔、「あの人のこうされた、ああされた」「こう言われた、ああ言われた」という「記憶」がいつまでも不快感を抱かせるのです。

せっかく、楽しい想いをしているのにそんな記憶がよみがえって気分が台無しになることがあります。

昔から日本には「水に流す」ということばがあります。

「過去のわだかまりやいざこざなどを無かったことにして、和解する」という意味です。

「そんなかんたんに過去のことを忘れることができたら苦労しないョ」と思うのが人情です。

でも、過去を思い出してクヨクヨしたりイライラするのは今の幸せを損なってしまうと考え直すことです。

そういう気分は毒素です。

「忘れる」ということは「気分を変える」「考え方を変える」ということ

それをやるのに早ければ早いほうがいいのです。


「良い記憶力は素晴らしいが、忘れる能力はいっそう偉大である」
(アメリカ人小説家 ラファイエット・ロナルド・ハバード)


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愚直なる人生

2007年12月13日 | 人生雑感

先日、100歳を越えた日本人を特集するテレビ番組を見ました。

お年寄りがそれぞれ実践している健康と長寿を保つ秘訣が紹介され、どれも納得のいくものでした。

みなさんに共通して言えることがありました。

それは、散歩にしても運動にしてもタワシマッサージにしても50年、60年と継続していることでした。

気の遠くなるような時間です。

それなのに、ただひたすら一つのことを続ける

「継続は力なり」の「力」とは気力なのだと思いました。

気力が人に健康や長寿をもたらすのでしょう。

健康法にかぎらず、「これだ!」と思うことをただひたすらやりとおすことは人生でもっとも大切なことではないかと思います。

自分の好きなことでもいい。

世の中の役に立つことでもいい。

それは生きがいであり使命です。

そのことで有名なるとか財産を得るとかではありません。

やはり人生を幸せに生きるということに意味があります。

大地震が来ようが、隕石が落ちようが、はたまた富士山が噴火しようが、自分が信じた道を歩きつづける。

そういう愚直(ぐちょく)ともいえる人生にわたしはロマンを感じます。


「もし、世界の終わりが明日だとしても、私は今日、林檎の種を蒔くだろう」
(ロシア人作曲家・旅行家 ゲオルギー・グルジェフ)


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”エル・ドラード”(黄金郷伝説)

2007年12月12日 | 人生雑感

エル・ドラード

これは大航海時代のスペインに伝わったアンデスの奥地に存在するとされた黄金郷伝説です。

当時のヨーロッパ人の多くが黄金郷を夢に見て、それを探し求めたに違いありません。

黄金郷とは永遠なる幸福と完全なる自由が実現した世界と言えるかもしれません。

宗教的なことばで表すならば、キリスト教の「神の国」であり、仏教の「浄土」ではないかと思います。

その「神の国」についての記述が新約聖書にあります。

「どこに神の国があるのか」という問いにキリストは答えます。

「神の国は、実にあなたがたのただ中にあるのだ」

わたしはキリスト教徒でも聖書学者でもありません。

だから、聖書を自分勝手に自由に解釈していい立場にあります(笑)。

さて、その「神の国」というのは何なのでしょうか。

同じく聖書に「神の国は飲食ではなく、義と、平和と、聖霊における喜びとである」とあります。

つまり、ほんとうの幸福はわたしたちの外にあるもの、肉体に属するもの、すなわち地位や名誉や財産や健康ではない。

それはわたしたちの内にあるもの、すなわち、心、精神、魂、人格、霊性に属するものである、ということです。

ほんとうの幸福を実現することは決してかんたんなことではないのです。

そんな人がめったにいないのがその証拠です。

でも、ほんとうの幸福が内なるものであるということが真実であることを認めないかぎり、わたしたちは幸福をつかめないのです。


「幸せを自分の内に見つけるのはやさしいことではない。しかも、自分の内以外に、幸せを見つけることはできないのだ」
(アメリカ人エッセイスト アグネス・レプリアー)


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日常的なもの

2007年12月11日 | 人生雑感

わたしたちの日常生活を形作っているものは実はささいなことばかりです。

朝起きる。

食事をする。

いつもの道を通勤し通学する。

同僚や友人と顔を合わせる。

仕事し勉強する。

人と会話する。

仕事や授業が終わり帰途に着く。

夕食を済ませくつろぐ。

そして、眠りにつく。

人生はこうしたことの繰り返しです。

そうした生活に退屈した人が”非日常的”な何かを探そうとします。

人生に強い刺激を求めます。

映画や演劇はそうした人の欲求を満たすので人気があるのでしょう。

実際の人生にそんなことは何度も起きません。

世界や日本の国内で起こる大事件に無関心でいることは決っして好ましいことではありません。

でも、わたしたちにとって日常生活こそ大切であり重要なのです。

なぜなら、”日常的”なものの中に運命を決定づける出来事が満ちているからです。

日常の自分のやるべき事に注意を払う。

身の回りに起こることに関心を向ける。

そして、自分のやること一つ一つに最善を尽くす。

そこに汲めども尽きない人生の喜びや味わいが湧いてくるのだと思います。


「人生の重大な決定がなされるとき、トランペットは鳴り響かない。運命は静かに告げられる」(アグネス・デミール)


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ソンナコトドウデモイイ

2007年12月10日 | 人生雑感

人生最大の心配事は何か?

それは自分の死です。

財産も名誉も地位も権力もその心配事の解決の役に立ちません。

死はすべての人の共通したゴールです。

しかも、そのゴールにいつ着くか、だれもわからないで走り続けているのです。

ほとんどの人が、その事実を忘れているか、避けているかのどちらかにすぎません。

考えようでは、その心配事から比べれば、すべてがどうでもいいことばかりです。

給料が安い。

学歴がない。

子どもがいうことを聞かない。

上司や同僚とうまくいかない。

地震が来る。

年金がもらえない。

政治が悪い、景気が悪い。

詐欺だ偽装だ。

「ソンナコトカンケイネェ」ならぬ「ソンナコトドウデモイイ」です。

実際、人類が地上に誕生して以来、問題だらけだったはずです。

心配事だらけだったのです。

人類社会は悪くもなっていないし、良くもなっていない。

ただ一ついえるのは、幸せに生きている人と不幸せに生きている人はいつだっているということ。

どちらの部類に入るのかは、わたしたち次第ということなのでしょうね。


「人生は、ケチな心配事ばかりしているのには短すぎる」
(イギリスの作家 C・キングスリー)


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心得違い

2007年12月09日 | 人生雑感

人間は一生のうちで物心両面にわたって他人に助けられたり、他人を助けたりする場面がたくさんあります。

わたしも人生の節目節目に多くの人に支えられ助けられてきました。

その数はほとんど無数といっていいと思います。

今振り返ってみると、人を助けたことより助けられたことのほうがはるかに多いのです。

このわたしをもっとも助けてくれたのが両親です。

二人ともわたしに恩を売ったり恩返しを求めることなく旅立っていきました。

両親の大恩は忘れてはならないと思っています。

人間は自分の力だけで生きることはできません。

自分の目に見える人、目に見えない無数の人の”お陰”です。

「恩」という漢字が示すとおり、自分が今生きていられることの原因、すなわち他のすべての”お陰”に想いを向けることだと解釈できます。

「恩」を感じる心が「感謝」「謝恩」です。

その心がそのまま幸福感にほかなりません。

人から受けた恩とは逆に、人に恩を与えることがあります。

そんなとき、ついつい心の中で感謝を求めてしまいます。

そうなると執着になってしまい、結局苦しむのは自分だったという経験があります。

人間、心得違いをするとトンデモナイコトになっていまいます。


「人が自分に施してくれた恩恵は忘れてはならないが、自分が他人に施した恩恵は忘れなくてはならない」(『戦国策』)


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変わらぬ真実とは

2007年12月08日 | 人生雑感

なにごとにも”流行”というものがあります。

芸術はもちろんのこと、学問や科学の世界においてもいえることだと思います。

科学的な学説もどんどん修正されます。

「99.9%は仮説」という本が出版されましたが、あらゆる分野で常識とされているものはほとんどが仮説であるというのです。

一つの常識も時代が変われば非常識になります。

あるいは、「日本の常識は世界の非常識」という場合もあります。

つまり、世の定説とか常識と言われれるものは人の考えであり意見です。

それらはその時その場で有効なのであって決して真実ではないということです。

学問も芸術も科学も宇宙の現象を扱うものです。

その現象は絶えず生まれては滅し、現れては消えていくものです。

さらに言えばおなじ現象は二度と起きないということであれば、そうした分野において「固定観念」というものはありえないはずです。

それとは反対に、真実とは時代や地域を越えて変わることのないものです。

変わりいく現象世界にあって「変わらぬ真実」とは何かを自分の力で見出さなければなりません。

あるいは他人から教えられたことであっても、その中から自分の力で理解し納得できるものを見出さなければならないのです。

ちなみにわたしにとっての真実とは「すべては移り変わる」ということだけです。

これは人間の考えでもなく意見でもなく真理であり法則です。

そのことをつねに念頭において、人生のあらゆることに対処していきたいと考えています。


「真実には特定の時などない。真実はどんな時代にも真実である」
(フランス人哲学者・医師・音楽家アルベルト・シュバイツァー)


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生きるということ

2007年12月07日 | 人生雑感

近所の公園をウォーキングしながら、柵にかこまれたさまざまな植物を目にします。

大中小と大きさもいろいろで、名前を知っているものや名前を知らないものまで無数にあります。

中にはもしかしたら名前さえない植物もあるかもしれません。

これらの植物に共通していることは、「みんな生きている」というまぎれもない事実です。

しかも、それぞれが「100%生き切っている」のです。

名前があろうがなかろうが、人の目につこうがつくまいが、そんなことに関係なく生きています。

わたしは、おそらくその一生で一度も人間の目にさらされなかったような小さな植物を見るのが好きです。

だれに知られなくても精一杯生きている。

どんなに小さくても他の生命のために二酸化炭素を吸って酸素を吐き出している。

そんな植物に目をやりながら歩くと心がとても落ち着きます。

「生きる」ということは、そういうことなんだ、と納得がいくのです。

他人の評価や成績も大事かもしれないけれど、人生にはもっと大切なものがある。

それは、「今ここで、精一杯生きること」「自分の力を十分に発揮すること」「少しでいいから他の役に立つように生きる」ことだと思います。

そんな生き方をすればだれに認められなくても天と地が祝福してくれるような気がするのです。


「輝ける場は人それぞれ。いかに輝くかはその人次第だと思います」
(バトントワラー全日本グランドチャンピオン 高橋典子)


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