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失くしてみて気づくもの ―アカペラサークルInfini―

2011-03-28 21:17:28 | 日記
3月24日、
3月7日の日記にコメントを返して、
この2週間での身のまわりの変化に、
愕然としました。


あまりに多くのことがありすぎた。

地震があって、
話し合いをして、
学位授与があって、
サークル内ライブをして、
追い出されて、



今思うこと、考えていること、
ありのままに、
これを記録しておくってことが、
今後の自分にとって大事なことなんじゃないかと感じて、
こうして打ち込んでいます。


* * *

前置き
大学卒業
アカペラサークルInfini


3つにわけて書いてきたけど、
それも最後です。

4年間の大学アカペラ生活に終止符を打ったので、
そのまとめをします。















・・・・が、
どうまとめようか笑

* * *

3.11、
地震が起きました。

そのときは、
こんなことになるなんて、思ってもみなかった。


卒業生ライブの実施について、
短い間に何度も話し合いを重ねて。

結果として、
生声で、サークル内で行うことになりました。


当初から、
サークル関係者(親や先輩、後輩、学科の友達、他大学でお世話になっていた人たちなど)
を招いてライブをしようと言っていて、
これまで僕らが中心になって行ったライブ、特に夏の4年ライブとは、その集客の対象を変えて、
ライブをしようと言っていました。

僕は、
一番に先輩たちに自分の姿を見てほしかった。
あとは、自分や自分たちの最後の節目として。
それに尽きます。

Infiniらしい卒業生ライブって、
内輪であたたかくて、それまで4年間の生活の集大成っていう感じだから、
一番には先輩たちに見てほしかったんです。お世話になった恩返しとして。

それだけにこういう結果をとらざるを得なかったこと、
本当に申し訳なく思う気持ちでいっぱいです。
4年の代表として、この気持ちはどんな事態であれ、拭われることはないのだと思います。


ただ、
実施してみて、
僕らとしてこのライブを行うことの意味はやっぱりすごく大きかったんだなと実感しています。

正直、
生声でどうなるのか、本当に不安だった。
ライブ実施が決まったのも、賛成多数ではなかったし。
みんなのモチベーションを維持したまま、というか、高くなってライブを迎えることができるのか。
不安で仕方がなかった。

でも、
杞憂でした。


機材・照明を使わない、
シンプルな形で歌うってこと、
それには普段の「ライブ」で感じ得ない、
えもいわれぬアカペラ本来の魅力がありました。

2.21に実習校の音楽の授業で、
アカペラを歌ってきたことがあったんですが、
そこで音楽専科の先生に、

「人の心に伝わるという点で、アカペラっていうのは究極の音楽かもしれないね。」

と言われました。
僕自身も、アカペラは生声に魅力があるってことは感じていたけれど、
ここまで深い魅力があるとは思わなかった。


35人が、
これまでアカペラに向けてきた想いがストレートにそこに表れていて、
すごく中身の濃いライブでした。


サークルの一員として考えるなら、
こういう事態になったことは、
めぐりあわせなんだなって思います。

そんな中でも、
忙しい合間を縫って4年で集まって、
何時間も話し合いをして、
「できることを、できる範囲で、できるだけ。そしてあきらめない」
そんなスタンスで臨んだライブ。


今は、
こんな事態だから、こういうライブになって「しまった」のでなく、
表現が変ですが、既にさだめられていたような、そんなライブだったんだと思います。
こうなったこと、いつまでも、自分の心に留めておきたいよね。

* * *

サークル4年間で、
ある先輩に、憧れを抱いていました。

4代上の、
サークルでは被っていない先輩で。
卒業記念品の色紙に、一言、


「大満足」


と書いて去って行った先輩です。
どんな気持ちで去って行ったんだろう。
顧問の先生にも一目置かれ、
周りからも評判がよくて、
アカペラ界に伝説を残していて。

僕も、
そんな気持ちで卒業できたらな、と思っていました。ずっと。



今、卒業する立場になって、
記念品の色紙に僕は、


「4年間のアカペラ生活に悔いなし」


と書いてきました。
嘘のない気持ちです。



POPSには疎いと思っていた1年から、


QUILTを聴いて感動して無謀にも4声バンドを組んだり。
(これがひとつの転機であったことは違いない。としこさん、りょーこさん、JPさん、本当にお世話になりました)

部長をやってみたり。

2年間TRY-TONEを歌ったり。

Jazz Perc.に手を出してみたり。
(軽く誘われたのが、まさかあんなに大切なバンドになるとは思いませんでした。auroraのルーツです)

SCS入ってみたり。

京都行ったりサークルライブ出てみたり。

製作係なのに機材・PAに手を出してみたり。

ライブを作ってみたり。

一人でPerc.のパフォーマンスしてみたり。

SCSの某バンドにあこがれてガツガツ歌ってみたり。

お世話になった小学校の音楽の授業で歌ってみたり。


・・・ひとつひとつ思い出を語ったら、
もっともっともっともっとあるけど、
何度かこういう転機を迎えながら、

やりたいことをやってきました。

入部当初は、音もとれない、リードは下手、パーカスなんて音も出ないっていう自分でしたが、
スキル、こんなにつくもんだねとびっくりしてます笑

最後の11月にTRY-TONEまた歌いたくて組んだけど、
実際、4年に入ってから、「何歌いたいかな」っていうのがあまりぽっと出てこなくなっていて。
(まぁ、まだやってみたいものはなくはないんだけど)
とにかくやりたい放題やらせてもらいました。




どうせやるなら積極的に。

そんなことを考えてたからですが、
だから悔いなしなんて言えたのかも。

* * *

最後に。
マイミクにも多い'07のみんなへ。

というか、僕が07の代表である以上、
Infini生活でも'07でやってきたことは書かずにいられません。



追いコンの最後のあいさつ、
'07のみんなへのメッセージを言った時の開口一番に、

「お前らめんどくせぇよ」

と言ってやりました。
どれほど、この台詞を言いたかったことか!笑


頑固で、我が強くて、自己主張もして、頭の回転が速くて、効率的で。
それだけまとめるのが難しいメンバーでした。



ただ、
まぁ、めんどくさいとは言っておきながら、
その代表である自分が一番めんどくさいことも自負しています。

うん、それは確か。
小さなことから大きなことまで、
僕がみんなにかけてきた迷惑はもう、数知れません。
ほんとに申し訳ない。反省してます。
(特に1年のときは人間関係でもめんどくさかったですよね。本当にごめんなさい。)


んー・・・
ただ、
めんどくさいと感じるのは、
その裏返しに、それだけInfiniを愛しているからだと思っています。

こだわりを持っているから、
それだけ頑固で自己主張が強いんだと感じる。

・・・言い方がよくないかもしれないけど笑


部長っていう立場から、
(イスにふんぞりかえって笑)
みんながやっていることを把握してまとめるという仕事に徹していたつもりですが、
その仕事柄、
みんながどれだけ頑張っているのかってのが、
すごく伝わってきました。

特に3年の追いコンを準備してきたとき、
今年卒業生ライブを準備してきた10月・11月・12月は、
それがすごく伝わってきました。


役得だよね。どうもありがとう。


なんだかんだで、

1年のときは、学年内で分裂したり。
2年のときは、執行代みんなでやったり。
3年のときは、追いコンで一つにまとまったり。
4年になって、4年ライブや卒業生ライブを創り上げたり。


山あり谷ありの'07との4年間だったけど、
だからこそ、
つながりの強いメンバーなんじゃないかなと思っています。

大学卒業編で、
中村先生からの言葉を書いたけれど、

「縁は続けようと思えば続くもの。」

という言葉に則れば、
僕はみんなとつながりをずっと持っていきたいな。


それだけ'07のみんなのことを愛している!
相思相愛であることを願っているよ笑


みんなと過ごすことで、
僕自身も、
すごく成長させてもらいました。
人間関係とか、ね笑

'07のみんなに感謝。どうもありがとう。
これからもよろしくお願いします。

* * *

失くなってみて気づくもの、


これまで活動してきたサークルの環境、
歌えるっていうこと。


なんだか、
「当たり前のようにできていることを当たり前だと思ったら」
日常の幸せって気付きにくくなっちゃうんだろうな。



・・・こういう書き方、すごくありきたりだけど。

大学生活の中でも、
同じようなことを何度か感じてきました。

でも、
失ってみると、
そのありがたみに気付くけど、
日常に戻ってしまうと、またその感覚って忘れがちなんだよね。

日常を幸せと感じられる感性、


そんなものを持つことができたらなと思います。

* * *

大学生活でのアカペラには終止符を打ちました。

でも、

アカペラはやっぱり続けたい。

歌うのは、これからも続けていきたい。




というか!!!
大学に入って、
「これから趣味にしたいことがある」っていう状態で卒業できるってすごく幸せなこと!

そんな僕だから、
またInfiniにも顔出すんだろうなと思います。
4年前、学祭のライブに観客として単身乗り込んだように。

「OBライブやりましょう!」とか突然言い出すかもしれません。

「こういう曲歌いたいんだけど…」ってバンドに誘うかもしれません。


そんなんだけど、
これからも構ってやってください。



最後に、
これまでInfiniで関わってきてくださったみなさんに
感謝。どうもありがとう。
そして、これからもよろしくお願いします。

おしまい。

失くしてみて気づくもの -大学卒業-

2011-03-27 23:55:21 | 日記
3月24日、
3月7日の日記にコメントを返して、
この2週間での身のまわりの変化に、
愕然としました。


あまりに多くのことがありすぎた。

地震があって、
話し合いをして、
学位授与があって、
サークル内ライブをして、
追い出されて、



今思うこと、考えていること、
これを記録しておくってことが、
今後の自分にとって大事なことなんじゃないかと感じて、
こうして打ち込んでいます。

* * *

18日をもって、
大学を卒業しました。

卒業式、なかったけど。


(そして学位授与、遅刻したけど笑)

なんだか、自分、卒業したんだなぁって感じ。

もともと、
高校で進路を決めるときも、
当初から学芸のA国に入ろうと決めていたわけではなくて。

むしろ、高2の終わりまでずっと理系コースだったし。
物理の2とか、数学3Cとかやってたし。

そんな自分が、
1冊の本(だけじゃないかもしれないけど)をきっかけにして、
「文転しよう」「先生やろう」
と決意して、

突然の決意に最初反論した担任と、
高校時代はなんだかんだずっと反対した親を説得して、
そして入った学芸大。


あまり表には出さなかった(つもりだけど)けど、

「自分、教員に向いてるのかな」

ってことを、
3年間、4年間、
ずっと自問自答してました。

やりたいとは思いながら、
どこかで、「自分にできるのかな」って。



(…今ではそんな悩んでるわけではないけどね)

そんな自分が、
こうして教員の免許状をもらって、
卒業できている。


ただの薄っぺらい紙きれ1枚だけど、
封筒に入った教員免許状に、

言いようのない重みを感じました。


終わった後、
ゼミや他学科の友達と写真撮ったりしたんですが、
ここで今日会った人とは、
もしかしたらもう、今後会うことはないのかななんて思いながら、
さらっと別れてきました。

いや、変なつもりはないんだけど、
まぁ、でも、そんなものか。

むしろみんながみんなと名残惜しく別れてもなとも思ってしまったり…。
気持ちよく別れた方が踏ん切りつくのかもしれないですね。
大事なのは、こういうときにきっちりお互いにあいさつしておくってこと。

他学科の友達とか、
きっちり別れを告げることができて、
よかったです。


研究室にも別れを告げてきました。
でも、中村先生から、

「縁は自分から切ろうと思えばすぐきれてしまうもの。逆に、切らないでいようと思えば、続くものだよ」

という言葉がすごく心に響いていて、
そんな意味では、これからもまだまだ、国語教育学の先生方とは、
関係を保っていきたいなと思っていました。

* * *

あと、
25日に実習&ボランティア校で卒業式に参加してきたんですが、

卒業式ってやっぱりあるのとないのとでは、
全然違いますね。


もし時間があったなら、
ボランティア先の6年生に、

「卒業式ができるってことは、当たり前のようだけど実はすばらしいことなんだよ」

ってことを伝えたかった。
そんなことを思ったくらいです。

大学の卒業式が予定通りあって、
参加していたとしたら、
「早く終わらないかな…」と、
学科やサークルの人たちと早く集まりたいと、
正直式に出て座ってるのめんどうなんだけどと、
思ってたかもしれないけど、
でも、やっぱり節目の式典って大事です。

皮肉にも、
失くなってみて気づくものってやっぱり多いです。

* * *

あとね、
最後になったけど、

学科のみんな。


4年間、俺は
サークルにばっか行ってました。
周知のようですが。

でも、
事あるごとに、特に今年は、
飲み会とか参加するたびに、
やっぱり自分の居場所として、すごく居心地がいいところで、
みんなあたたかいし、
同じ方向を向いている人が多くて、
すごく楽しませてもらってました。みんなどうもありがとう。

長野を捨てるつもりはないけど、
僕はまだ東京にいます。

M谷K輔君に、また飲み会を企画してもらうことを期待して、
(冗談じゃなく飲み会隊長はやっぱり彼だと信じている)
またみんなで会えるのを楽しみにしているよ笑




大学卒業編、
これでおしまい。
かかわってくれたみんな、
どうもありがとう。

失くしてみて気づくもの -前置き-

2011-03-26 12:31:05 | 日記
3月24日、
3月7日の日記にコメントを返して、
この2週間での身のまわりの変化に、
愕然としました。


あまりに多くのことがありすぎた。

地震があって、
話し合いをして、
学位授与があって、
サークル内ライブをして、
追い出されて、



今思うこと、考えていること、
これを記録しておくってことが、
今後の自分にとって大事なことなんじゃないかと感じて、
こうして打ち込んでいます。

* * *

未曽有の災害。
NHKも民放も、どの局も
24時間中継とニュース。
緊急の地震速報が何度も何度も現われ、
総理も官房長官も、
各局のアナウンサーも、
日本が混乱している、この状況。

当然、
mixiのボイスも、
twitterも、
アプリの毎日新聞も、
地震関連一色。

電車も止まり、
電気も停まり、
11日は交通が完全麻痺。
12日も家に帰るのに徒歩で1時間以上歩くこともあり。

心身ともに、
日本が疲弊しきるのを感じました。


その上、
mixiやtwitterの拡散、
チェーンメールなどの誤情報やら、
政府からの情報やら、
「情報が回る社会」だからこそ、
あらゆる情報が氾濫する社会になっていて。


さらに、
計画停電による、
イベントや店舗の自粛、
(アカペラ関係の情報が多いけど)チャリティライブやチャリティイベントが多くできて、
話す人話す人、

「今自分は何をすべきなのか」

という主観に満ち溢れた判断から、
様々な判断を下す人がいて。



こんなときだからイベントだろうがなんだろうが、
「日常」を取り戻すべきなのだと行動する人。

野球でもなんでもやって、そこでの収入を義援金に回すべきという人。

関東から西に逃れる人。

情報を周りに回しに回す人。

現地に行くのはボランティアじゃない。お金を送るのが一番という人。

電気の節電が一番と籠って節電に徹する人。

イベントや外出を自粛してじっとしている人。

先を読んでなのかお店から保存のきくものを大量購入する人。ガソリンスタンドに朝早くから並ぶ人。

何もしない人。


・・・
僕は、限りなく何もしていない人でした。そして今も。

実質的被害もほとんどないに等しいし、
「日常」に戻るべきと思いながら、早々に日常に帰ってきていました。

東北地方に家族親戚がいるわけではない。
長野の実家も少し揺れはしたけど、安否はすぐとれました。
姉も長野にはいないけど、今回の地震自体には縁遠いところにいました。

だからこそ、
いち早く元に戻った方がいいと感じていたんです。


12日は一日家でずっと情報収集していたけど、
13日からは学校で話し合いもしていたんです。


元に戻ったはいいけど、
限りなく何もしてませんでした。




そんな中、
大学の学位授与式で、
卒論を返してもらって、
研究室の先生のコメントに、

「私自身にはもう、今回のこと(阪神大震災よりも大きな地震)を語り続ける小学生がいません。みなさんにそれを託すしかありません。地震があった3月11日の出来事、今感じている自分の気持ちを、子どもたちに伝えていってください。」

とありました。
自分自身で、自分はこうするのがいいんじゃないかと無意識に感じながら、
このコメントを読んではっとしました。

自分にできることって、
今感じていることを、
しっかり留めておくことなんだな、と。


日常生活に戻ろうとしていることもそう。
電気が街から消えて、みんなで節電していることもそう。
溢れる情報から判断してそれぞれに行動するのもそう。
そして、今感じていること・今の気持ちをこうやって書き留めておくこともそう。


だから、
ありのまま、ここ2週間で起きてきたこと、自分が考えてきたことを、
書きとめようと思います。


*前置きおしまいです。
これから11日からのことについて書きます。