やるぞ!30代で貯金1000万円!30歳からの「お金の」哲学

2009年1月現在貯金額100万円である自分が、さらに貯金をふやそうと日々孤立奮闘するさまを記録する(予定の)日記です。

二つの道徳の理由づけ ~Consequentialist vs Categorical~

2010-11-16 23:13:59 | 英語
Justice: What's The Right Thing To Do? Episode 01 "THE MORAL SIDE OF MURDER"


さてさて、思いがけず、ソクラテス絡みの記事が続いてしまいましたが、ここらで気を取り直しまして。。。今日は仕事のあと、サンデル教授の講義の続きを見ていました。前回の続きである二回目の授業のテーマは功利主義です。これは要するに、正しい行いとは、効用を増大させること、すなわち、なるべく多くの人の幸福感や快感を増やしていくことです。ひとことで表現するなら「最大多数の最大幸福」ですね。

あ、そこに進む前に、moral reasoning(道徳の理由づけ)の二つの考え方を見ておいたほうがいいかも。一回目の講義の最後の方に(15:10のあたり)、道徳の理由づけとして、二つの考え方が提示されていました。ひとつめはConsequentialist moral reasoning.そして二つめはCategorical moral reasoningです。この二つはどういう考え方なのでしょうか。教授が示した表にはこのようにまとめられています。

・Consequentialist - locates morality in the consequences of an act
(結果主義的な道徳の理由づけ-道徳は行動の結果にある)

・Categorical - locates morality in certain duties and right
(無条件的な道徳の理由づけ-道徳はある種の義務と権利の中にある)

前者は、正しい行いとは、あなたが行動した結果がどうであるかによって決まるということです(the right thing to do depends on the consequences that will result from your action)。対して後者は、行動の結果いかんにかかわらず、行動そのものが持つ本来的な性質によって、つまり無条件に、道徳の理由づけがなされるということですね。(reasons having to do with the intrinsic quality of the act itself)

二回目の講義のテーマである「功利主義」は、正しい行いはどれだけたくさんの人の幸福を増大させたかによって決まる、としていることから、前者の「結果主義的な道徳の理由づけ」に相当する、ということです。一人を殺してもそれによって五人の命が助かるのなら、それは道徳的に正しい行いだ、とするのがこの功利主義的(つまり結果主義的)な発想です。対して、たとえ五人の命を救えたとしても、一人の命を意図的に奪うことは許されない、とする考え方が、後者の無条件的な(あるいは、ちょっとむずかしい言葉で言うと「定言命法」的な)道徳の理由づけ、となるわけです。

・・・ちょっと疲労困憊してまいりました^^; 今日はこの辺で。。。

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