ニッカンスポーツ・コム ~ 第475回 真田広之 2005.07.31付紙面より ~
「世界基準」…安住の地はない
穏やかな表情の下には、自分を決して安住させない厳しさが隠れていた。俳優真田広之(44)。ハリウッドや中国に活躍の場を広げ、日本が誇る「世界標準」の俳優となった。決して富や名声を欲した結果ではなく、ひたすら自分を追い込み、それを乗り越えることでしか得られない達成感を求めたからにほかならない。はてのないイバラの道を歩く求道者に見えた。
トムの影響
世界で受けた刺激を、どん欲に吸収し、行動に移している。6月から最近まで、3年ぶりに主演した日本映画「亡国のイージス」のキャンペーンで全国を駆け回った。突き動かしたのは2年前、肌で感じたハリウッドスター、トム・クルーズ(43)の姿勢だった。
「『ラストサムライ』のキャンペーンで、監督とトムと3人で、欧州6カ国を1週間かけて回りました。トムが熱心にアピールしたこともあって、とても盛り上がった。足を運ぶことで各地で話題になる。関心も高まる。キャンペーンの大切さをあらためて知りました」。
今回も、地元メディアの取材をできる限り受けた。上映予定の映画館を訪れ、劇場関係者を招き、ざっくばらんな食事会も開いた。率直な意見も聞けた。公開に向けて結束を強めることができた。
「作品を1人でも多くの人に見てもらい、大ヒットすれば、映画界という畑を耕すことになる。畑が豊かになれば大きな作品がつくりやすくなる。世界マーケットに通用する日本映画がもっと生まれてくるようになってほしいんです」。
地道なキャンペーンに取り組みながら、視界は世界に向いていた。3年前から、日本にほとんどいない。「ラストサムライ」の撮影をニュージーランドとロサンゼルスで終えた後、中国の巨匠チェン・カイコー監督の新作「プロミス-無極-」の出演が決まった。チャン・ドンゴンらアジアスターが競演する世界公開作品。昨年は北京語を学びながら、中国全土をロケで転々とした。撮影は5カ月以上に及んだ。標高3900メートルの高地で高山病と闘いながら撮影した日もあった。
「反日感情が高まりつつあった時期で、ふとしたことでスタッフからも感じることがあった。このままではいけないと思い、少しずつディスカッションして理解し合えるようになりました」。
パイプ築く
9月に「亡国のイージス」の撮影のために帰国したが、2カ月後には上海に向かっていた。「眺めのいい部屋」などで知られるジェームズ・アイヴォリー監督の新作「ホワイト・カウンテス」の撮影が待っていた。30年代の上海を舞台に、主人公と友情で結ばれる日本人将校を演じた。こちらも世界公開作品。リハーサルなしのライブ感覚あふれる撮影に戸惑いを覚えながら、共演の英俳優レイフ・ファインズ(42)とのアドリブ演技を楽しむ余裕もあった。こうした撮影の合間に、ハリウッドの映画関係者やエージェントとのパイプを築くため、ロスにも何度も足を運んだ。もはや、世界標準の俳優となりつつある。
「ハリウッドは自分が求めた分、つまり報酬に対して、それに応じたものをきちんと要求してくる。日本の数倍のエネルギーを消耗する。同じシーンを何度も繰り返して撮ることもあって、それに耐えられる精神力と体力が必要。それは新人もベテランもスターもエキストラも関係ない。そういう意味では日本は、ぬるま湯かな。少し売れるとわがままを言いだし、演出のコンテにまで口を出す。何度も同じことをやらされると文句を言う。お山の大将になりやすい、特別な環境の国なんです」。
もちろん、世界=善、日本=悪と単純にとらえているわけではない。個人的な思いだけでもない。
「ハリウッドにいても、日本にはこんなにすばらしいスタッフがいるんだぞって言いたくなる時がある。アジアでは技術的にも人も交流が盛んで、日本は遅れている。個人単位でもいいから、どんどん交流を深め、得たものを日本に持ち帰ってほしい」。
一踏ん張り
俳優仲間や後輩から、海外での仕事について聞かれることも増えた。
「海外で撮影していると自分1人だけという感覚でいると、めげてしまいそうになることがあります。そこで参ってしまい、日本人とはもう一緒にやれないという前例をつくってしまったら、後に続く人がいなくなってしまう。そんな思いがプレッシャーではなく、もう一踏ん張りしてみようとエネルギーとして後押しになってくれるんです。屍(しかばね)乗り越えてではないですけど、橋か道をつくることができたか分からないけど、やれるところまではやるから、あとは頼むぞって感じですかね」。
“ある本能”
海外に活動の場を求めるのは、自分を厳しい環境に置きたいという気持ちの表れだった。6年前、英国を代表する劇団ロイヤル・シェークスピア・カンパニーのロンドン公演「リア王」に日本人俳優として参加した時、自分の中の“ある本能”に目覚めた。
「日本で舞台をしても、ファンが集まってくれて、ありがたいことにチケットは完売し、良くても悪くても拍手を浴びる。勘違いしやすくなる。そんな時にいただいた話でした。自分のことを誰も知らない人たちを相手に、言葉が通じるのか、ジョークを笑ってくれるのか、拍手を浴びることができるのか。その日その日が勝負。演技者としての原点を感じました」。
公演の合間に公園で散歩していた時、路上に缶を置いて芸を披露する人たちを見ながらふと考えた。
「今、自分がここで何かやって、お金を稼ぐことができるのか。曲芸、1人芝居、歌…。自分は一体何ができる人間なんだと。舞台に立つとそんな感情が100倍になって襲ってくる。そうした状況に、たかだか7カ月間ですけど置かれたことで、この気持ちを失ってはいけない、繰り返しこういう経験しなければいけないと感じた」。
振り返ってみると、逆境に自分を置くことは人生の常だった。5歳で千葉真一の主演映画に子役で出演。11歳で父親が他界したが、千葉が主宰する「ジャパンアクションクラブ」に所属。中学、高校へ通いながら俳優の修業を積んだ。
「コンプレックス、レジスタンス、プレッシャーが、子供のころの3大要素でした。片親はグレると陰口をたたかれ、子役は大成しないとも言われた。そんなに言うなら、絶対に成功してやるという意地でやっていたようなところがありました」。
千葉のもとで、若手アクション俳優として活躍を続けた。話題作の出演依頼が次々と舞い込み、順調な俳優生活を送っていたが、ここでも逆境を選択。独立を決意する。
「周りが商売としてやらせて、自分で選ぶ権利がない時期だった。自分が目指しているものは何か、考えました。商売として芸能活動の一環として芝居をするのか、道としてきわめていきたいのか。環境というのは、自分がどこを目指しているのかによって変えることができる。だから1人で歩き始めたわけです。コネもなく、1作ごとに。それは仕事であり、同時に次の仕事が届くかどうかのオーディションでもある。失敗すれば次はない。20代後半から30歳ぐらいまで、そういう生活が続きました」。
新しい景色
ロイヤル-への参加はそうして培った演技力や精神力を形にしなければと思って決意したものだった。
「プレッシャーやコンプレックスというものが自分からなくなった時の、自分の平凡さやつまらなさを、怖いほど感じる。だから今でも、必死になれる状況に自分を放り込んでしまうんです。それをクリアした時、新しい景色が見えてくる。それを目の前にニンジンのようにぶら下げて、馬車馬のように走る。ほっておくと緩んじゃうんで、ヤバイと思った時、次なる難問を見つけに走りだす。その繰り返しですね」。
大リーグで投げ続ける野茂英雄投手に共感と尊敬の念を抱いている。野茂は今回、球団から解雇されたが、日本球界復帰は考えていないという。逆境に置かれてもなお、自分が信じた道を追求する。その姿はそのまま、真田に重なった。
海自士官学校に体験入学
真田は「亡国のイージス」で、イージス艦を乗っ取った工作員たちに戦いを挑む乗組員を演じた。撮影前に海上自衛隊士官学校の体験入学も経験。「いざとなったら命がけで国を守る覚悟をしていながら、実におおらかで気さくな方が多い。ほのぼのとしたそのギャップは、自分なりに役に取り入れることができました」。映画の中では絶体絶命の危機を必死に乗り越え、信念を貫く姿が印象的だ。「自分ならどうすると考えながら見てほしい」と話した。
◆「亡国のイージス」◆
福井晴敏氏原作の同名軍事サスペンス小説の映画化。工作員に乗っ取られた海上自衛隊の最新鋭イージス艦を舞台にした攻防戦を描く。真田のほか寺尾聡、中井貴一、佐藤浩市らが出演。阪本順治監督。公開中。
◆真田広之(さなだ・ひろゆき) 1960年(昭和35年)10月12日、東京都生まれ。子役として66年「浪曲子守唄」で映画デビュー。78年「柳生一族の陰謀」などに出演。80年「忍者武芸帖」で映画初主演。「里見八犬伝」などアクション映画や「道頓堀川」「蒲田行進曲」「写楽」「たそがれ清兵衛」など話題作に主演。99年にロイヤル・シェークスピア・カンパニー「リア王」に出演。名誉大英勲章第5位を受章。170センチ。血液型A。
■真田 広之 インタビュー■