半人前ホテル支配人のつぶやき

36歳の半人前支配人になっちゃった苦悩と笑いの日々

飲んだくれ支配人

2006-10-21 01:09:14 | Weblog

昨日から実はすべてに嫌気が差し、休んでいる私。。。もちろんスタッフには2週間休んでいないから2日間休むねっ、とフォローは入れたけども。

ごめんね、みんな。

だらだらとすごしていたところ、友達から夕食の誘いが来た。彼女とはホテルフロント時代からの友達で、現在彼女は企画という部署でがんばっている。お互い今年の4月から新しい環境で、ストレスはマンマンな毎日である。

1軒目は、マスターが気さくで、おいしい料理と珍しい梅酒がたくさんある素敵なお店だった。以前2回ほど行ったっきりだったがそこの「炙りさば」は最高で、行きたいねぇと言いながら半年振りだったお店。
お店に入った途端マスターが「お久しぶりです。」と声をかけてくれた。
-びっくり、だった。
そこの店はいつも満員に近い。週末は特に予約もなかなか取れない。昨日は平日だったが、それでも8時を過ぎる頃には満席だった。たくさんお客さんがいる店、なのに。マスターは私を覚えててくれた。私の名前も、会社もちゃんと覚えててくれた。
レストラン競争の激しい中で、ずっと満席でいられるお店の秘密がわかった気がした。
マスターとおしゃべりしつつおいしい梅酒とおいしい料理ですっかり長居をしてしまった。3時間は悠にいた。 (すんません)

22時過ぎに2軒目。思いつきで決めたショットバーは、やはり半年振りのお店だった。バーカウンターだけの小さなお店。確か前回の時器用に小さなコンロでおいしそうなパスタを作ってるのを見たっけ。
やはり、ここでも私たちをマスターは覚えていてくれた
前回来た時、共通の知り合いがいることを話したが、そんなの小さなこの町ではうじゃるほどあることなのだ。
恋愛話でなぜか大いに盛り上がり、おしゃべりとお酒を楽しんでいたら、突然同じ会社の他の施設の支配人が偶然その店にやって来た。またそこで大盛り上がり。
無数にあるバーの中で、私たちは偶然にその小さな店を選んでいたのだ。そしてその支配人は、数少ない「がんばってね。」と優しくいつも声をかけてくれる素敵なおじ様なのだ。
思う存分楽しんで、結局お店を出たのは1時を回っていた。(すんません)

あまりお酒の飲めない私だけれど、昨日は飲んだ方だった。でも今朝の気分は快調だった。

昨日の晩で気づいたこと。私の仕事は接客業だということ。
当たり前だけれど、情けない話、たまに見失うことがある。自分が接客をされる立場に立って改めて何が大切かを気づかされることもある。
お客さんの顔を覚えていること。そのお客さんと楽しむこと。お客さんにいい時間を提供すること。
数字や利益を追求している毎日で見失っていたことかもしれない。現場にいた頃は当たり前のことだったのに。
そして、最後にまだ私にも「がんばってね」と言ってくれる仲間や先輩がいたこと。
いぢわるなおやじ達ばかりじゃないのだ。

明日からもがんばるぞ!


行き当たりばったりな私の人生2

2006-10-19 12:14:18 | Weblog

「行き当たりばったり」は私だけかと不安になり、煙草休憩中にうちのスタッフに聞いてみた。

「私の人生って行き当たりばったりなんだけど、どう思う?」

・・・いやな支配人である。私の上司がもしそんなこと言ったら不安になる。しかしうちのスタッフは強かった。

「え?俺の人生もそうですよ。」

彼が高校・大学を決めた時も「行き当たりばったり」、入社をした時も「行き当たりばったり」。特にうちの会社に入ったきっかけは傑作だった。
もともと他県のとあるホテルに就職をしたいと就職説明会に行った彼は、たくさんなぜか人が集まっていたブースについ自分も並んでしまい、まんまとうちの会社に入社してしまったと言うのだ。(ホテル就職フェアみたいなものだったらしい)

それから彼はかれこれ10年以上うちのホテルで働いている。

「よかったのっ?それでっ?」

「いやー、いいんじゃないですか?」

気力抜け気味な答えを笑いながらする彼は、仕事っぷりではうちのマネージメントを支える大切なスタッフだ。モチベーションも高い。

その他もろもろ女友達にもリサーチをした私だったが、人生設計をきちんとしてそのとおりになっている者は誰一人いなかった。(私のまわりだけ?)

結局「決断」はそんなに重要なことではないのかもしれない。要は「決断」した後「どうするか」、だ。それを「後始末」と私のように自虐的な言葉で表してはいないようだが、皆さん「決断」を信じたり、受け入れたりしながらその「決断」を「ただしかった決断」に変えてゆくのだ。

「決断」をしたらそれに責任を持てばいいのだ。責任が持てないと感じたら、今度は「責任を持たないという決断」をしてそれに自分なりの責任を持てばいい。ただそれだけだ。

とは言え、それが難しいのだけどねぇ・・・

 


行き当たりばったりな私の人生 1

2006-10-17 01:48:14 | Weblog

さてさて、私がホテル稼業に入るまで、私の人生は「行き当たりばったり」だった気がする。

昼下がりの教室で、「アメリカの大学って、学校の成績が良ければ入れるらしいよ」という友人のうっかり発言を真に受けて、高3の進路指導で「アメリカに行きます」といけしゃぁしゃぁと言い放ったのもき当たりばったり」。

アメリカの短大を卒業して、「帰りたくないなぁ」と思っていたら、美術の先生から「僕の卒業した大学紹介してあげる。」と親切に言われ、4年制の州立大学に編入したのも「行き当たりばったり」。

州立大学の卒業間近、その当時の彼がいたボストンへ移り住むはずが、うっかりその彼が失業し、挙句の果てに卒業寸前に「俺、余裕ねーし」と無残に捨てられ、腹いせに元彼の住んでいたマンハッタンに移り住んだのも「行き当たりばったり」。

その元彼ともすぐに別れ、「あーやばいなー」と思って最初に目に付いたマンハッタンのダウンタウンの寿司屋に飛び込んで「バイトさせてください」と言ったのも「行き当たりばったり」。

就労ビザも切れ(4年制大学を卒業すると1年くらいのビザがもらえた)、途方にくれてた時、悪友の「偽装結婚でもする?紹介するけど。」と言う言葉に、「ひーっ」と恐れをなし、帰りたくなかったけど、とっとと帰国したのも「行き当たりばったり」。

帰国して就職活動を始め、「でかい会社はいやだ。」と今考えると「口が腫れるぞ、こら!」とツッコミを入れたくなるほどの大言を親に吐き、親のコネを無視して小さなアクセサリー会社に入ったのも「行き当たりばったり」。ごめんね、パパ&ママ)

OL1年生の時、両親が田舎に隠居すると言い出した。「へー。」と聞きながら、何となく「私も一緒に行く。」と言ったのも「行き当たりばったり」。

東京OL生活1年にさっさと別れを告げ、田舎に引越し、「さーて、困ったな。」とニート状態に陥ってた時、親戚のおじさんから「英語できるなら、ホテルで働けば?」と言われ、「じゃぁ」と今のホテルでアルバイトし始めたのもやっぱり「行き当たりばったり」。

・・・あきれるほどアッパレな「行き当たりばったりな人生」である。

別に無責任だったわけじゃない。何かものすごくポジティブというか根拠のない自信のようなものが強かった気がする。

しかし、決して楽だったわけではない。決断するときの「読み」が甘かった分、新しい土地や環境で「私、もしかしてものすごくマズクない?」という場面を体験した。
アメリカでは言葉も分からず、でもたまたまその学校には語学学校なるものもなく、高校の英語など何の役にも立たず、自分がホントの「あほな子」みたいな気になった。2週間黙り続け、ふさぎ、恥ずかしくて、悔しくてたまらなかった。「先生、まったく分かりません」が言えなかった。高校では優等生だったわけではなかった。赤点だって取ったこともある。でも、高校のときの私には余裕があった。そのほかの教科でちょっと得意になれることもあったから。しかし、アメリカに行った途端、目の前にいる人間が「何を言っているのか」まったくわからないのである。これは「得意・不得意」の類ではないのだ。努力したってできないのだから。(すぐにはね)

私はアメリカで、「人に助けられること」を学んだ。
恥ずかしさを超えて、ただただ何とかしなくてはという思いで「先生、まったくわかりません」と教授に訴えたとき、ぼろぼろ泣けて仕方なかった。教授はうんうんとうなずいてそれから毎回授業の後、私だけのためにもう一度復習授業をしてくれた。その教授だけでなく、他の教授たちもみんなとってもかわいがってくれた。
短大の2年間、吐くほど勉強した。4年制大学に編入するのに十分な成績を収められたのは、私だけの実力ではない。(4年制大学では死ぬほど遊んだが・・・)
信じられないほど恵まれた出会いがアメリカ生活を支えてくれた。
4年制大学に入っても、マンハッタンでアルバイトをした時も、今考えると「よくもまぁ無茶をしたよ」ということをぽんぽんとしたけれど、それもたくさんの良い出会いがあったお陰だ。よい出会いがあったのと、強運のお陰で何とかなったものの、私の口癖はあの頃「人生、後始末」だった。

行き当たりばったりな自分は変えられない。だから後始末をうまくやるしかない。人生どこかで調整が必要だ。

今?そう何を隠そう、支配人になったのも「行き当たりばったり」だった。ホテルで働いて8年。安定した月日を過ごしていたのに、久々にやって来た「行き当たりばったり」。
「支配人になれ」と突然言われて、あまり考えていなかった気がする。今回はあまりに現実離れをしていたせいで、思考能力がショートしていたのかもしれない。
でも、なっちゃったもんはなっちゃたし。やるさ!

 

 


いやん、はじめまして!

2006-10-15 02:16:01 | Weblog

皆さま、はじめまして。ブログのタイトルどおり、いっきなり一般社員からホテルの女性支配人になっちゃった34歳です。よろしくお願いします

このブログでは、いきなりほとんどスキルを持たず、頭の堅いおじさんやら、はちゃめちゃ外人上司やら、楽しい仲間やらに囲まれて日々奮闘していることを綴りたいな、と思っています。

私が「支配人になれ」と、はちゃめちゃな指令を受けてはや半年。プライベートの時間などもなく、男は離れて行くばかり・・・それでも突っ走った半年。きっとこの仕事が好きなのかなぁ。(←こういう曖昧なことを言うと、人事のえらい人からは怒られます)

4月から2ヶ月は夢中。いい上司になろう、うまく現場をまわそう、数字が操れるようになろう・・・とただただ夢中でした。それからハイシーズンの夏が来て、なぜかうっかり軽い鬱状態に・・・「なぜうまくできないの?」「これから何したいの?」「やっぱり無理だったんだ」と家に戻るとうつうつと考えていました。それでも現場では明るくなくてはならない。だってスタッフは悪くないのだから・・・
ぎりぎり繋がった責任感という言う糸で現場では騒がしく明るい支配人を演じ続けた私・・・しかしその糸も、夏の終わりに「ぽつっ」と切れた。
夏の終わりのとある日、バケーションから陽気に帰ってきたはちゃめちゃ外人上司に、支配人とは何たるかの講釈を聞いていた。
服装はコンサバに・・・・そんな生易しいことを言っていてはいけない・・・・もっと強くなれ・・・・人前で堂々と振舞え・・・・うんぬんかんぬん
うなだれて聞いていた私・・・しかし30分も過ぎようかとした頃、私の中で「ぽつっ」と何かが切れた。うなだれていた私が急に椅子にふんぞり返り、

「だって、できないもん。っていうかしたくないし。これだけやって気にくわないんだったら、クビにしろってカンジ?」

一昔前のコギャルのように、上司に逆切れをした私・・・が、それが意外に上司に受けたらしい。大爆笑をしながら、ぽんぽんと肩を叩かれ、「その調子だ」的なことを言われ、「ありゃ?」ってカンジ。
私もつられて「えへえへ」笑い、一体何なの?って・・・・

外人だったから許されたんだ。きっとそうだ。それとも私の様子があんまりいっちゃってて怖かったのか・・・・しかしそれ以来、彼は決して私に「強くなれ」とは言わなくなった。(当たり前?)その次の段階「ずるくなれ」とは言われるけど・・・。(また切れたるぞ、こら!)

その日以来、すっ、と楽になった。相変わらず泣いたり怒ったりするけれど、10回に3回くらいは落ち込まなくてすむようになった。(それだけ??)
悪友たちは「開き直っただけ」って言うけど、落ち込まなくてすむなら何だっていい。

開き直りからまた出発した私の「支配人生活」。こんなことを言うと人事のえらい人に怒られるけど、「やっぱ、続くのかぁ・・・・」

おやすみなさい