葉流奈津のフォトとエッセィ

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十津川

2011-05-04 | 歴史・世界観
 ビデオテープを処分するつもりだが、幾つか保存して置きたいものもあった。それを再生して、映像をパソコンに取り込めばデジタル化して保存できる。さらにDVD-Videoにもできる。幾つか必要なもののみやってみた。テレビドラマ「新十津川物語」もその中の一つだ。

 新十津川(しん・とつかわ)物語は1991年にNHK-BSで放映された。その事は割りとよく記憶している。ビデオ録画していずれ見るつもりで取って置いた。しかし20年間見なかった。
 今回、DVD化を機会に、明治編1と2を見た。主演は斉藤由貴で、ちょっと変ったキャラクターで、そのドラマに合っているかどうか何とも言えない。大正編以降は原作と異なりドラマ化での創作らしいから見なかった。
 断片的に見た事はあったが、ストーリーを追って通しで見るのは初めてだった。このドラマで、初めて奈良県十津川村の存在を知った。また、北海道に新十津川町がある事も初めて知った。つまり十津川村の人たちが明治の中頃、北海道開拓に出て、新十津川町(当時は村)を作ったのだが、いきさつはドラマの解説に詳しい。
 原作は川村たかし。本を探してみると、偕成社少年少女文庫にあるきりだった。ほとんどの書店で入手不能だが、出版社に在庫はあるらしく、注文すれば入手できるようだ。しかし十巻セットだから嵩ばり、ちょっと考える。

 内容は、悲惨な北海道開拓史と言ってよいだろう。現在の広大な畑地または田地も、入植したときはほとんど樹林帯だったようだ。北海道だから、落葉樹と針葉樹の混交林だっただろう。さらに笹も密生していたか。それを伐採し根を掘り起こし畑地に変えた。現代でこそ樹林がエコロジーの元、心の故郷と言う人も居るかもしれないが、樹林では食糧生産できず食べて行けないのも事実。
 それにしても日本人はコメにこだわり、失敗しても失敗しても、稲作を試みるものらしい。向かないものを無理に作るより、(郷に入れば郷に入って)麦など可能なものにすればと思うが、なかなかかつての習慣が忘れられないものか。それでも数年後には稲も実るようになったようだ。一説によれば酒造りしたかったから、とも言われるらしい。

 その後、つまり20年前にドラマを少しだけみてから、奈良県十津川村についても少し知るようになった。歴史ある村のようで、壬申の乱に戦功あって朝廷から租税を免除されたなどの、古い記録もあるらしい。昔から村人は十津川郷士と称し士族の自覚で生活していたとか。しかし地図で見れば全くの山奥で、急峻な斜面と谷川しかない土地のようだ。が、耕地もいくらかあるのだろう。
 


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