無限と沈黙

2006年08月04日 23時36分40秒 | 深秘探究学
秋にはまだ枝々のあちこちで風になびいていた葉群(はむら)も今は池の水に浮び、また水底に沈む。おびただしい枯れ葉の中には大きなとんぼの骸が沈んでいる。冬の訪れとともに池の水が凍ると、凝固したままの枯れ葉と大きなとんぼの死体が生きたように凍りついて眠り込む。

氷の中に封じ込められた朽ちた骸の姿は命の記憶であり、その形態がひとつの美を示している。あたかも不滅の形を示しているかのようだが、風が激しく吹き、季節がひとつ動くと、不滅と思われた形はまた違う形態へと移ってゆく。

不滅から変転へと、いく年ものあいだ繰り返されてきたこの無限の循環。その変転の声に耳を傾け、凍る風景を凝視しているモノがある。不滅は空虚を背負い、変転はさらに異なる変転を求めるが、そのモノは無限の沈黙のなかにいて、無言の旋律を奏で始めるように見える。

羽を広げて冬の氷の中に封じ込められたとんぼの骸は、凝視する目の魂から見れば骸ではなく、生きたままのような羽とんぼの動かない肉であり、氷の中で液化した羽音である。強固なまなざしで見ているそのモノだけに視える音の城。そのモノだけに聴こえる音楽である。

季節が動くと液化した羽音は気体になり、不滅の空虚を去って、春の溶解した氷の中で濡れた羽を重く垂らした死体となる。その時にそのモノが羽の死体にひそやかに話しかけると、妖気が立ち昇り、春の霞の中に羽とんぼの変性した姿を見るのである。

沈黙の声に耳傾けると、そのモノの声が水底から届き、気化した息吹が声の現前を伝えてくる。かつて在った死体に確かな心で話しかけると、それは気化した息吹で合奏され空に浮きでる。いまや羽は声の花となり、溶けるピアノの音のように存在する。

液化し、気化し、羽化して、無限への旅立ちを奏でる音楽に取り巻かれて上昇する声の羽に、不滅の空虚を体現したおびただしい花々が無限の空から降ってくる。かすかなピアノ音の奏でる中で、いまや花の無限に溶け入る存在となった声の羽の昇天と引き換えに、そのモノは沈黙の中へと消え去ってゆく。