中村俊茸

とあるサッカー選手の軌跡とコメント集

俊輔“夢のスペイン挑戦”は7カ月で終了

2010年02月28日 | 記事 エスパニョル
2010年02月28日 俊輔“夢のスペイン挑戦”は7カ月で終了
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« 前のニュース次のニュース ».俊輔“夢のスペイン挑戦”は7カ月で終了 サッカー日本代表の主力MF中村俊輔が、8年に及ぶ欧州生活に別れを告げて帰国した。イタリアを経てスコットランドでは輝かしい実績も残したが、夢見たスペインへの挑戦は7カ月で終わった。帰りの飛行機では「結果を残せなかった悔しさを感じた」と言う。

 昨年7月、バルセロナ空港に降り立った中村は数百人のサポーターに熱烈な歓迎を受けた。エスパニョールのポチェッティーノ監督は「非常に優れた選手で即戦力になる」と話し、現地報道もスター扱いで取り上げた。

 開幕前の練習試合では活躍を予感させるプレーも見せた。全国紙ムンドの記者は「十分やっていけると思った」と言う。だが「それっきり。チームに溶け込めず、記者と話さず、何を考えているか分からなかった」と話す。

 通訳が不在で周囲と意思疎通を欠き、徐々に孤立を深めた。郊外の高級住宅地に居を構えたことで「バルセロナの街になじむ気がない」と見る向きも。監督やメディアからは適応力の欠如を指摘する声が上がり始めた。

 エスパニョールはカウンター戦術から、パスをつなぐサッカーへの転換を目指し、その不可欠な駒として中村を獲得した。だが、主将DFの急死や主力MFの故障など誤算の連続で方向性が狂い、結局は個人の突破力に頼る力技に終始した。

 連係の中で才能を発揮する中村は、ピッチ上にも居場所がなかった。リーグ戦フル出場は23試合中わずか3試合。1ゴールも奪えなかった。

 かつてFW西沢明訓も指導した元エスパニョール監督のフロレス氏は「西沢は私とよく話し、街で遊び、選手に溶け込んでいた」と中村との違いを口にした。その上でポチェッティーノの手腕にも疑問を呈し「新しい選手の起用法を見いだせない。中村に力を発揮させる努力がない」と指摘した。

 横浜で監督経験を持つデラクルス氏は「スペインで通用しないはずはなかったのに」と惜しむが、6月に迫ったワールドカップ(W杯)を前に実戦感覚が鈍るのは避けたかった。1月から代理人は水面下でJリーグ復帰を模索。愛着の深い横浜への復帰は自然な流れだった。「新しい挑戦」と意気込む中村がJリーグで再出発する。