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ムゲンツヅリ

もはやジーザス日記。

ジーザス・クライスト=スーパースター 2013 @自由劇場

2013-12-10 | 見た聞いた
まさか1年後にまた同じ場所でジーザスが見れるとは!
もう10年以上前から、私はこの舞台に恋してるんだよなぁとしみじみ。


2013.11.12 夜 えるされむ 1階・ステージ向かって右側・真ん中くらいの席

<本日のキャスト>
ジーザス:神永東吾
ユダ:芝清道
マリア:野村玲子

カヤパ:高井治
ピラト:村俊英

ヘロデ:北澤祐輔


メイン3人は基本的にあんまりパフォーマンスしない演出…?
群衆の圧倒感をより際立たせるためなのか。
むか~し、福岡で観た時はジーザス様もユダも、
もっとオーバーパフォーマンスで動いてた気がするんだけど、私の妄想だったかしら。
確かに、あれだけ歌いながら踊るのは大変だと思う。
でも、なんかちょっと物足りなさを感じてしまうのは
もっと動いていた舞台を以前に観たからじゃないかと思うんだけど、
記憶ってものはあいまい;

ヘロデは1年前の下村さんからすると、やっぱりかなりの物足りなさがあった。
下村さんが強烈すぎるのはわかるんだけど、わかるんだけどっ!

残念ながら(私の観る時のモチベーションも多いにあるんですが)
ちょっと全体的に物足りなさがあったので、
ジャポネスクのチケットも急遽とるという去年と同じパターン。
単純にジャポが観たいというのと、ボーナス時期だしまあいいか…というのもあるんですが。

ただ、冒頭オーバーチュアのユダの演技で、ちょっと涙出そうになりました。
ジーザスへの想いで「まじ、辛そう!!」というのがひしひしと伝わってきまして
けっこうオーバーチュアでおごちそうさまでもありました。



2013.12.10夜 ジャポジャポ  1階・ステージ向かって左側・奥の方通路横の席

<本日のキャスト>
ジーザス:神永東吾
ユダ:芝清道
マリア:高木美果

カヤパ:高井治
ピラト:村俊英

ヘロデ:下村尊則


もはやジャポの方が好きかもしれない…

一年前もそうだったんですが、エルサレム→ジャポネスクという公演順だからか
ジャポの方がノリがいいというか、完成度が高まってる気がするんすよね。
みなさん、よりその役にハマりこんでしまっている時期なのか。

オーバーチュアのユダとゆかいな?仲間たちのダンスがとっても素敵。快感。
しかし意味はよくわからないかもしれない(笑)
本来、ジーザスさまとユダさんとみなさんの状況を
端的に表すべき序章のようなものなんだろうけど。
ユダとみなさん息ぴったりだなぁ…と思ってしまう。
ただ、これまでのエルサレムの舞台で私が気付かなかっただけかもしれませんが
「最後の晩餐」でユダが去る時に、何人かついていく弟子?みたいな人達がいるんすね。
ユダも実際、ジーザス信奉者たちのなかでもかなりのリーダー的存在だったことを
このダンスは表現してるのかしら、もしかして。

そして、ユダのいっちゃん最初の右手を挙げる素早さとキレに痺れてしまうんだ。
もうそれだけも素晴らしいのだ。

「何が起こるか教え給え」では男性が動で女性が静。
みんなちょうせくしぃ。
一年前も書いた気がするけど、男性の裸の上半身がとても美しいのです…
女性も腰のくびれのあたりがそのカーヴィーラインがそれはいやらしくて美しいのです!

今回、比較的役者のみなさんのお顔がよく見える席だったのか?
くまどりしてても、全然みなさん前回のエルサレムVerより熱い演技をしているように見えました。

マリアもよかったですよ。
歌声が研ぎ澄まされていてきれいでした。
アンコールで笑った顔がかわいかったv(くまどりしててもv)

ジーザスさまがすごく完成していたというか、
やっぱり前回より良くなってたと思う。
結構、聞き惚れてしまいました。
ちょっと動きが時々固い?ジーザスさま。
『出ていけ!』と『自分で直せ!』の動きにどうしてもちょとクスっとしてしまう。

あと、ピラトさま!!
どんどん良くなってると思われる村さん
このピラトってキャラにひじょ~に深みが出てるんですな。

カヤパもいい~声してました。
今回、初めて「ジーザスは死すべし」の後で拍手を聞きました。

下村さんのヘロデはもう期待通りですね。
やっぱり、このナンバーの後の拍手が一番アツい。
他のヘロデとどう違うのかというと、なんか全てが違うんだなぁ。
迫力!!だな。うむ。声量も充分で。
ふざけながらもジーザスさまにイラついていく様子がよくわかるんすよね。

ユダのジーザスへのキスと抱擁は
「これでこの人はようやく解放される…」
といった安堵もどこか感じられた。
あの時の、ユダのジーザスの身体の触り方がちょっといやらしいv
ずっと抱擁したままでいたかったんでしょうね、ユダは…。


う~ん、クリスマスの時期にジーザスはいいですね。ジャポだけど。

J.C.S. エルサレム&ジャポネスク (2012年自由劇場公演)

2012-12-15 | 見た聞いた
劇団四季ミュージカル
「ジーザス・クライスト=スーパースター」
@自由劇場

エルサレムバージョン 2012年11月15日 夜公演

<主要キャスト>
ジーザス:神永東吾
ユダ:金森勝
マリア:高木美果

ピラト:村俊英
ヘロデ:下村尊則


すっごーい久しぶりに劇団四季を観劇です。
たまたま劇団四季のホームページを見たら、おおっジーザスやっとるやんけ!というわけで。

仕事帰りに観劇できる贅沢よ…こういう時、これこそ上京したメリットだなぁと思う。
そして初・自由劇場!と思っていたのですが、な~んとなくここ覚えがあるような…
この小ささ…舞台と観客席が近くていいなーって思ったことがあるような…
うーん、でも本当に来たことあるのか何を見たのか思い出せません;

とりあえず、キャスト表を見てまず最初の衝撃!
ヘロデが下村さん…シモン…!四季やめたはずなのになんで~?ラッキー!!
その昔、キャナルシティ博多の噴水前イベント広場で、例のセクスィ~なスリット入りの衣装で華麗にヘロデのナンバーを歌われて、私と姉で彼に「フェロモン」というあだ名をつけた懐かしい思い出が蘇る…
またフェロモンを拝めるなんて、ありがとう神様(涙)
そしてピラトは村さん!!私の№1ファントムv

残念ながらユダは芝さんじゃないのか…

しかし、開演前にパンフレットを眺めてこの日2番目の衝撃!
芝さんがジーザスを演っている…!!
ひー思いもよらなかった。そんなキャスティングも有り得るとは。
確かに芝さんがジーザスの恰好した写真が載ってるわー。うひょー。意外過ぎる。

そんな興奮の中で開演。
久々のジーザス。

及第点です。決して悪くは無いのです。やっぱりこのミュージカルはいいなーと思いました。
ただやっぱり、以前見た福岡公演で感じた興奮・激動は感じられなかったなー。
メイン3人は確か、前回見た鳥栖公演と同じキャスト。
金森ユダは私にはちょっと物足りないようです。
ちょっと大人しい…?なんかあんまり萌え心をくすぐられない(笑)
高木マリアは『私はイエスがわからない』で、なんとなく棒立ちで歌っているように見えてしまった。確かに聴かせるシーンなのだけど、何かミュージカルとして足りないような。
以前、劇団四季俳優(誰か忘れた)がインタビューで「演出家に“歌ってはいけない”と言われ、それが難しかった」みたいなことを言っていたのを思い出した。彼らは歌手ではないのだから、どんなに歌声が美しくても朗朗と歌い上げてはいけない、彼らが口にするのは歌であり台詞なのだから。歌を聴かせるシーンであると共に、その役の想いを吐露する貴重なシーンなのだから。それこそコンサートでもストレートプレイでもない、ミュージカルの醍醐味…そんなことをちょっと思ってしまった。
『何が起こるのか教え給え』で、マリアはあんなにジーザスの足にキスしていたとは知らなかった。これは高木マリアだからなのかな?

群衆も、もっともっと激しい勢いを私は以前の公演で感じたことがある気がする。
メイン3人をも凌ぐ圧倒的な群衆達の勢いがあったはず、なんだけどなー。

下村ヘロデは素晴らしかった。200点満点。
やっぱりこの人の持つオーラとキャラは凄いですね。
この5分くらいのヘロデの出番を見るためだけに1万円くらい払って見に来る人もいるかも。いてもおかしくないよなぁ。とにかく、彼が舞台に出ている間、彼の一挙一動に釘付けです。
ヘロデのナンバーの後が、この日一番の拍手でした。

この日のカーテンコールは5、6回くらいだったかな。
そう、決して悪い舞台じゃなかったのです。
私も久しぶりにジーザスの世界に浸れて満足でした。

この日のエルサレムしか見る予定じゃなかったんですが、
芝ジーザスがちょっと気になるなーと思い、
急遽、ジャポネスクのチケットもとってしまいました。はは。社会人って素敵だね。





ジャポネスクバージョン 2012年12月11日 夜公演

<主要キャスト>
ジーザス:神永東吾
ユダ:芝清道
マリア:野村玲子

ピラト:村俊英
ヘロデ:下村尊則


まさかの奇跡キャスト!芝ユダ…!!(感涙)
うわーん気まぐれでチケットとってよかった~
マリアも野村さん!「エビータ」のCDではお馴染みだったけど、生で野村さんを見るのは初めてなのです。村さんも下村さんも今回も出ていて、なんて贅沢なキャストだ~

まず、ジャポネスク演出について。
私は前回の鳥栖公演感想で「一週間中ジャポネスクは1回くらい見ればいい」とか書いてましたが(笑)今回の公演を見た結果、一週間中3回はジャポネスク見たいと思いました!!
凄く面白くて完成した演出だと思いました。一か月前にエルサレムを見ていたのもあって、「あれがこうなるのか~」という違いを実感することができて、それが良かったのだと思います。オリジナルを知っていてこそ、パロディが楽しめるものですね。これは前回も思ったことだけれど、大八車の使い方が見事ですね。時に坂となり、見晴台となり、花道となる。職人芸!いや黒子ならぬ白子芸?
あえて、アシンメトリーな配置。群衆の女性陣もヘロデの傍の女の子達も、ほとんど動かない。これが大和撫子だってことなんでしょね。所々に織り込まれた“和”の感覚が面白い。探せばもっとありそう。

芝ユダには、一番最初に出てきたときのその佇まいだけで落ちました↓
ややややっぱり素敵…もう50歳とは思えないそのはだけた肉体がとてもとても素敵…
芝さんはもちろんですが、ジャポネスクでは男性陣がほとんど上半身裸で、みなさん日頃のダンス等で程よく鍛えられた美しい肉体をされているので、目の保養でした…人間の身体って美しい…見習いたい;
ジャポネスク演出だからなのもあるのか、前回見た芝ユダ(10年くらい前?;)ほど動きは激しくなかったですが、芝さんはちょっと振り向いたり屈んだりするその一つ一つの動作にキレがあって、そこに痺れるんだよなぁ~~~。
そして声は最初「あれ?」と思いました。芝さんってこんなに声高かったっけ?ジーザスを演じていたりして、声域が広がったのでしょうか。これだと、ファントムにぴったりじゃなかろーかと、芝ファントムへの期待が高まりました(笑)
そしてなぜだろう、芝ユダはやっぱりとても萌え心がくすぐられるのだ
なぜ?同じ台詞を喋っているのになぜなのっ
金森さんと芝さんとの、ユダというキャラクターに対する解釈の違いなのか、単に私の好みの問題なのか(^^;
ここでいう萌えとは、ユダ→ジーザスの関係です。ジーザスに対する自分の想いにものすごく苦悩している、ジーザスのことを屈折しながらも本当に愛しているユダに萌えるのです。『ジーザスの神殿』でのシーンのように「見てください、治してください」と言われ苦しむジーザスを、きっとユダは見たくなかったのだろう。彼がただの優しい1人の人間であることを誰よりも知っているから。ユダはジーザスをそういった苦しみから守りたかったのだ。マリアのように、マリア以上に自分はジーザスを想っているのに、ジーザスはマリアの前でのみ安らいでいる。そして、実際にジーザスに十字架を負わせる引き金を引いたのは自分である。…そんなことを悶々と考えてしまう。金森ユダではならなかったけど、芝ユダ見た後だと太宰治の「駆け込み訴え」が読みたくなるんだよな。

野村マリアは、歌い出しの一音が出しにくそうでしたが、やっぱり貫禄がありました。『私はイエスがわからない』も、特に大きな身振り手振りがあるわけでもないのに、マリア自身も自分のジーザスに対する想いに戸惑っている、そして彼を愛するということは今後おそらく試練が待っているだろう、でもそれにも耐えようという強い決意など、マリアの抱えているいろんなことがこの一曲から感じられました。この人も苦悩しているんですよね。

神永ジーザスも一か月前よりも、声の張りが全然良くなっている!マイクの質か、つけ方を変えたんじゃないの?ってぐらい声の出方が違った。本当にそうだったりして(笑)ジャポネスク演出でよく仁王立ちになるから、声が出しやすいとかそういうことか??迫力がすごく増していて良かったんですよー。

下村ヘロデは、うわーやっぱりすごいよー(涙)
鳥栖公演でも、ヘロデは青の爆発ヘアーだったっけか?すごいインパクト。
そしてやっぱり際どい衣装。どこまでいってもフェロモン!!
「かっかっか」とか歌舞伎調の擬音語を挟むのは、下村ヘロデ的演出じゃないかなぁ。うーん、いいですねぇ。もう本当になんて濃密な5分足らずなのかしら。公式で動画アップしてくれないかなぁ(笑)きっと何度見ても飽きないよ。
竹槍ぐるぐる回した時には、「ひー危なくない?」と思いましたが、そういえば彼はバトンチャンピオンでしたね。
下村さんは派手目なお顔といいキャラクターといい、市村正親さんのようにテレビ受けする人のように思うのですが、テレビには出ないのかな?ずっと舞台で活躍してほしい気もするけど、気軽にいつも見ていたい気もする。

そして今回、村ピラトが今まで見たピラトの中で一番迫力を感じた!
ピラトこそ、この作品の中でも代表的な「苦悩する人」なのだと今回改めて思った。ピラトはジーザスが悪人ではないと判りながら、十字架に掛けた。群衆は騒ぐだけで手を汚さず、血で手を汚したのはピラトだけ。こんなにピラトに魅力を感じたのは今回が初めて。

群衆も前回より勢いを感じました。熱くなりました。
この舞台って、自分も群衆に交じって一緒に躍りたくなります(笑)
あの熱狂の渦に巻き込まれるのが、なんとなく楽しそう。

この日のカーテンコールは前回より1~2回多かった気が。
キャストが手を振ってバイバーイってした後にも拍手が止まなかったから、もう1回出てきてくれました。私的にはスタンディングしたいくらいだったけど、周りがしてなかったので…小心者な日本人です;





「009 RE:CYBORG」追記

2012-12-03 | 映画感想文
2回目見てきましたー。(11月27日)
ほとんどの劇場で上映終了しててさびしいなぁ


*** ねたばれだよー  ***





●『僕はこの時のために生かされていたんだよ。』
島村君のこの台詞、とても好きだった。皮肉なようでそうでもなく、素直な感情のように思える。この台詞に、これまでの虚ろな人生の空しさ・哀しさと、でもそうまでして生きてきた自分が今まさに生きてる意味を見出した、希望・喜びのようなものが感じ取れる。
ギルモア博士はつくづく残酷だよなーと思う。島村ジョーとしての人生をまるまる奪って、サイボーグ009としての“仕事”のみを残した。それは他の00ナンバーたちも似たようなものかもしれないけど、島村君はその戦闘能力が高いが故に、個人としての感情を持って生きることまでも禁止された。客観的にみると、ギルモアにとってのまさしく“武器”でしかない。島村君の思いとは裏腹に、その特別扱いにジェットは嫉妬したのかもしれない。そしてギルモアとしては、本当は一番大事な“子供”を守りたいがゆえに過保護とも言える判断をくだしたのかもしれないけど。平ゼロででピュンマを人の姿とは言えない潜水形態に改造したように。そう考えると、今回の映画で永遠の高校生・島村君になってしまったのも少し頷けるかも・・・。ギルモアは根っからの研究者で考え方が少し偏ってしまっているが、だから一番大事な時まで、一番のお気に入りをとっておきたかった。島村ジョーとしての幸せなどは考えずに。
本来の島村ジョーに戻る時に、必ず会う相手はフランソワーズ。そりゃ二人の愛も深まるわな(笑)
私の個人的な考え方かもしれないけど、いくら永遠に生き続けられるとしても、自分の想いも願いも持たずに虚ろに生き続けるくらいなら、特攻してでも何かをやり遂げた方がいい!と思う。
だから、この台詞には哀しさと喜びが同居しているような気がするのです。



●ジョーとフランソワーズ
私がこれまで見た009の中で、一番ちゃんと結びついている二人だった…(涙)。この映画では監督が「ゲストキャラに大事なことを言わせない」ということをポリシーにしてるみたいだから、本当にそのおかげで!!!だと思う。でないと、島村君の周りには絶対、黒目でグラマーな女の人がついてくることになるから;;監督が映画好きだからか、会うとすぐにハグしたり、お色気シーンもあったり、別れ際にみんながいる前でもキスしたりと、本当に王道ハリウッド映画の主人公カポーみたいでした。あんまり日本人的ではないけど、フランは仏人だからいいよね(笑)
どん底の中のジョーを救ったのがトモエ≒フランソワーズだったのがすごく嬉しかった。
ドバイで核爆発が起き、その超人的な能力を用いてひたすら逃げるだけの島村君。誰一人助けられない。それだけ、今の世ではサイボーグ戦士1人1人の力も小さなものになってしまっている。自分に何ができる、何もできない、本当にただ生きているだけだ。そんな彼をトモエは優しく包み込み、『神は越えられない試練は与えないはず』と、あなたにできることがあるはず、あなたならできると囁く。
この時の島村君を導く「神の声」は、まさしくフランソワーズである。
そりゃ確かにここ何十年もまともに島村君と関わってる人はフランだけなわけで、特別も何もあるかって話かもしれないけど;;
平ゼロ最終話でジョーがフランの手を握り返し、微笑んだシーンを思い出した。
あのシーンは、どちらかというとどうもフランの一方通行のように見えた平ゼロにおけるジョー×フランの関係で、初めてジョーが応えてくれたシーンのように思っていたのですが、今回の「Re:」劇場版とリンクさせて考えると、フランソワーズという希望に対して微笑んだのかもしれない。フランソワーズという守るべきもの、戦う意味そのものに対して微笑んだのかもしれない。



●ヴェネツィアのフランのセーフハウス
ラストの解釈は本当に困難なのです。しばらくこの解釈について考えるのが趣味でした(笑)
そして、負けた気がするけど関連書籍買っちゃった…監督のインタビュー読んじゃった…。しかしそれでも自分の中になかなかストンと落ちてくる答えは出ず。
どうでもいいけど、『アニメスタイル 002 (メディアパルムック)』という雑誌の監督インタビューはとっても面白かった!作品の本筋に関わる部分よりも、押井守さんが監督するかもしれなかった頃の話が面白くて、押井さんの奇行が非常にそれらしくて笑ってしまいました。いやー周りの人は大変だわ!
で、
結局ジョーやジェット達は生きてるの?
ピュンマやグレートはどこで何しててあそこにたどりついたの??
…ということなんですが…
(悔しいけど)関連書籍によると、どうもあれは象徴的な表現に過ぎないっぽいよ~な感じがする。でもその一方で「これは紛れもない現実だ」みたいな台詞をギルモア博士が言っている。
そして、一見、サイボーグ戦士達以外誰もいないように見えた静かなヴェネツィアの町に、ギルモアとジェットが砂浜と水辺からそれぞれ手を結んだ瞬間、多くの人が動き出したように見えた。フランも水辺を渡る前に辺りを窺っているようで、これは水の上を歩くことを誰かに見られることを懸念しているから?ということは、サイボーグ戦士達以外の人々もいるということ?
神山作品なので、なんとなーく私が最初に連想したのは、ジョーやジェットやピュンマやグレートは実体はどこにあるかわからないけど電子脳的な世界で、みんなと再会してるのかなと。ジェットなんて大気圏であんなボロボロになっちゃったのにあそこまで復元できるレベルで地球に還ってきてるとしたら「おかえり、はやぶさ!」以上の感動的奇跡だよ!(…それをいうと原作のヨミ編以降の話はなんだってことになるけど;またもやイワンが眠る寸前に頑張ったとか。それならそれでよいのですが。)
どうもこれはフランが願って手に入れた世界らしい。フランだったら、島村君の頭の中にトモエを作っちゃうくらいだから、ネット的な世界でみんなを探して呼び寄せたり、ジョーやジェットの頭の中をバックアップ(?;)することとかもできたのかも。
そして彼らがいる“水の上”というのは、神の世界?サイボーグ達は天使になったのか神になったのか。でも結局、このお話では「神とは自分自身である」みたいな一貫したテーマがあるから、希望を捨てずに自分の本願を成し遂げた人こそが神の世界にいる、水の上に立っている、ってことかしら。そうするとジョーやジェットはわかるけど、ピュンマとグレートは…サイボーグであるがゆえにたまたま迷い込んでしまったの?まあピュンマとグレートも“神との対話”に近づいていたわけだし、今回のお話の中で見えないところで、それぞれの戦いがあってあそこに辿り着いているのかもしれないよなぁ。
なんにしても「現実」に彼らが生きていてくれて、嬉しかったですが。
もう、島村君はみんなと同じ時を過ごさせてあげたいなぁ。

この作品が興業的に成功であれば、もっと神山009が見れるのかも。
原作にはいろんなエピソードがあるから(私もほとんど忘れちゃったけど;)神山テイストでぜひもっと見てみたいなぁ。
あーでも、ジョー×フラ的にはこのお話で完結してる方がなんとなく幸せかも(笑)





「009 RE:CYBORG」

2012-11-03 | 映画感想文
『009 RE:CYBORG』(2012/日本)

大学時代に平ゼロをきゃぴきゃぴ一緒に楽しんでくれた友達と
「懐かしいねー」と言いながらきゃぴきゃぴ見てきました。

神山健治×009なんて最初聞いた時は「バカみたいな(≒夢みたいな)話だな(笑)」と思いました。なんていうかウケるっていうか。「ちょー楽しみー(笑)」みたいな感じで楽しみでした!
とにもかくにも上映される1時間半ちょっとの時間が楽しめればいーやと思ってたのですが、1時間半フルに200%くらい楽しませてもらったうえに、しっかりちゃっかり渦巻く余韻まで残してもらいました。

ものすごくおもしろかったです!!

私的にはアリです。平ゼロで狂わされ、原作を全巻揃えてしまった私的にアリです!わからん、O型に近いA型だからかもしれないけど!(そこ?)

すっごくセンスいい人が作ったすっごく出来のいい同人誌みたいというか…。
アマチュアっぽいということではなくて、オリジナル以上に洗練された部分がありつつ、しっかりオリジナルを踏襲していてこの人オリジナルのファンだなぁってことがしみじみ実感されるのです。

一番心配だったCGくささとかポリゴンくささとかも大丈夫だった!さすがだな。
『攻殻機動隊 SSS』は正直そんなに3Dっぷりに感動しなかったのですが、これは3Dでないと!って感じでしたね。うちには対応テレビが無いからDVD買っても2Dだけど…。だからちょっともう1回くらい劇場に見に行きたいんだよなぁ。でも高いんだよなぁ;


※ネタバレありなのでまだ見てない人は読まないで※



箇条書き短め感想

・みんなすっごく頭良くなったなぁ(しみじみ)。

・島村の加速装置戦闘シーンは斬鉄剣を操る五右衛門のようだ。

・ギルモア博士はほぼ公安9課の課長。

・グレートの能力はそれ変身能力というより光学迷彩…!

・結局、ピュンマとグレートは防護服シーンなしだ…!!

・神山さんはとりあえず、ないすばでぃな女性キャラを高いところから飛び降ろさせたいんだな。きっとそういう衝動に駆られるんだろな。

・博物館行き寸前のアルベルト様の戦闘シーンはすっごくかっこいいのですが、イマドキそんなに薬莢という名のゴミ(失礼)を落として、もうちょっとエコにできないものかしらと思ってしまいました。現代病ですね。いや、そこがいいんだけど!むしろ薬莢は拾ってリサイクルできるの!?

・005の新たな能力として波動拳が…。


うだうだ長め感想

・島村君のエンドレス高校生設定
いまいちその必要性がピンとこなかったんですが、これはこれとして考えてみると、27年間ずーーっと学生服を着て脳内世界に生きておそらく実在の友達や知り合いは一人もいなくてただ虚ろな目で六本木ヒルズあたりをうろうろしながら日々を過ごしているとなると、とんでもなく哀しいな…。そりゃフランソワーズも脳内彼女ぐらい作ってあげたくなるよ。そんな彼をずっと監視しなきゃならないフランも辛いよな。いっそギルモア研究所でフランといちゃいちゃしながら過ごせばいいのに、と思ったのですが、彼に意識があるとその力をそんなにピンチじゃない時に使っちゃうからダメってことなんでしょうね。それじゃ冷凍保存とか?そっちのが可哀想か;有事の時にすぐに動けるように催眠状態で現代社会に置かれていたってことかなぁ。わざわざ3年という単位で区切るということは、形だけでも高校に通ってたのかしら。次から次へ転校しつつ?いやいややっぱり脳内高校生ライフ?そして毎回、暴力で覚醒させるんだろーか。覚醒の度にショックが大きくなる気がするなぁ。「おれ、妄想の中に生きてたのか…(ズーン↓)」みたいな。

・3年毎の逢瀬
3年というのはもしかしたらフランソワーズ的に「もう限界!」という時期でギルモア博士にそういう風にしてもらったのかなぁ(笑)飛行機の中でいきなり服脱いじゃった時にはどっきりしましたよ。ハリウッド映画みたいだね。声とかいろいろジェロニモに聞こえるんじゃないかな…と心配しました(笑)ジェロニモはいつものことだってもうわかってんのかな。このシーンは原作の「あなたの子供がほしい」っていう例のシーンからきてるのかなぁ。こんな、いつどうなるかわからない時だからこそ、とりあえず抱いてほしいっていう。余裕あるようで、逆に緊迫してるような。
うーん、しかしこれまでは毎回また高校生に戻す時がフランは辛かったんじゃなかろーか。島村自体もなんとなく「もうこんな(催眠状態の)生活いやだ!」って拒みそうだけど、毎回おとなしく高校生に戻されてるんだろーか。その役目こそフランソワーズなのかしら。「彼を危険に曝さないためなら…」みたいなね。妄想は尽きない。

・ジョーとジェットの確執
日本VSアメリカ!そんな理由でか!!とちょっとびっくりしました;一緒に見に行ったジェット好きの友達は、ジェットのキャラが政治的に利用されて(笑)かなり不服そうでした(^^;いかにも神山健治っぽくて面白かったですけどね。確かにこのジェットはおバカで女性に弱い感じじゃないよなぁ。




核心に触れる部分は、ちょっと自分の中でまだ解釈ができてないので、おそらくもう1回くらいは見に行くのでそしたらまた書き足したいと思います。てか、いろいろと思ったことを忘れてきている…。

少女まんが的な

2012-09-30 | 日々のこと
窓がかなりガタガタいってます。

マッターホルン、やった!


可愛いサイザーを描こうと思って、バババっと落書き。
少女まんがみたいな。目でか。ちょっときもい。

もっとこう、ぼんきゅっぼ~んなサイザーさまが描きたいです。