栗太郎のブログ

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「円朝」(上下巻) 小島政二郎

2017-01-20 02:53:27 | レヴュー 読書感想文

僕にとって、落語の入り口は柳家三三だった。三三と書いて、さんざと呼ぶ。
その三三の高座が、初めて生で噺を聴いた落語で、それもほんの2年ちょっと前のこと。
それから、暇があるとようつべで落語を聴くようになり、そのあとにハマったのが柳家喬太郎だった。
すでに両人の落語は数回ずつ観に行っているが、その二人が揃った二人会が年末に鎌倉であった。しかも休みの土曜日、行かないわけがない。

その会のタイトルは「三遊亭円朝の噺を聴く」だった。
落語家、三遊亭円朝。
幕末から明治にかけて名を遺した大名跡であり、現代においてはすでに古典に分類される「死神」「文七元結」「真景累ヶ淵」「牡丹灯籠」等々の作者である。
円朝のつくった噺は、滑稽噺よりは人情噺や怪談噺が多い。当然、当時にとってはこれらは”新作”であった。
毎月のように新作を自らつくり、自ら工夫を重ねて、演じる。それをすべて一人でこなす。
現代に例えれば、次から次へと新曲を発表する歌手のようだ。
娯楽と言えば、芝居か落語であった当時の江戸の人々にとって、円朝の新作はまたとない喜びであったに違いない。

小説の作家は小島政二郎。僕を含めて、読者にとっての幸運は、小島の祖父が円朝と幼友達だったことだ。
その祖父・利八は、晩年まで円朝一家と家族ぐるみの付き合いを続け、円朝にとって無二の理解者であり続けた。
そんな昔話を、本人やほかの家族から随分と聞いてきたのであろう小島の文章には、円朝に対する敬意と愛情にあふれている。

父も落語家であった円朝は、わずか6歳で初高座を踏み、二代目三遊亭円生の弟子になり、10歳で二つ目に昇進。
寄席をいくども満員にするその話芸の達者さ、のちに大名跡となる経歴をながめれば、順風な人生だったのだろうと思った。
が、やはりそこは芸人の世界。頭角を表せばやっかむ者も(それが師匠だというのが困ったものだが)出てくるし、本人も自分の芸に悩む。
並みの芸人ならば得意満面になるくらいの活躍でも、本来生まれ持っての才能を鼻にかけるような円朝ではなかったらしい。
だから、鬱のような症状が表れる。余人には、十分でしょ?と思える人気者ぶりなのにだ。
ふと、桂枝雀を思い出した。彼もそうだったのだろうかと。
だから、またどこかで円朝がつまずき、つまらぬ結末になりはしないかと気が気でなかった。(結果として、それが杞憂で終わってよかったが。)
女性問題もさまざまあり、モテ男でありながら、むしろ女に振り回される方であったのも意外だった。
いく人かの女性遍歴を経て、最後におやいと所帯を持つ円朝。このおやいという女房が実にできた女だったことが、円朝にとってその後の人生にとって幸運だった。
しかし、残念なことに二人の間に子はできず、円朝がほかの女に産ませていた朝太郎を我が子同然に育てた。
おやいが朝太郎をかわいがって育てる姿には胸を打つものがあり、おやいの優しく人柄がにじみ出ている。
物語は終盤、この朝太郎が主人公のようになって進んでいくのだが、彼の人生もまた波乱に満ちたものだった。
円朝よりもむしろ、この朝太郎という人物の描かれ方の方が、感情豊かに生き生きとしているくらいだ。
そして、この小説は案外あっさりと終わる。紙面の制限でもあったのかとでも思えるようなすっぱりとした場面で。それが物足りないが。

晩年、山岡鉄舟を禅の師としていた円朝。ほかにも、渋沢栄一や井上馨など、政財界の一級の人物たちと交流を持っていた。
付き合っている人脈を見るだけで、筋の通った人格者、名士であったのだろうと僕には思うことができる。
なによりも、鉄舟に導かれた禅宗の教えは、彼の人生を見事に仕上げていく手助けをしたのだろうと思えた。
彼の道号「無舌居士」は、じつに円朝らしい名だと思う。
作者小島は、禅をこういう。
<外の宗教には、必ず宗派が護持するお経がある。しかし、禅宗にはない。その点、私のような門外漢には大変潔い気がする。
 禅では阿弥陀も、大日如来も礼拝しない。その点も、はなはだ潔い。つまり何かにたよって救われようなどというけちなことを考えていないのだ。救われるなら、自分の力で救われようというのだ。>と。
まさに、僕のもつ鉄舟の人物像に近いものがあるし、鉄舟を敬愛した円朝もまたそうありたいと思っていたのであろう。

満足度7★★★★★★★

円朝〈上〉 (河出文庫)
小島 政二郎
河出書房新社

 

円朝〈下〉 (河出文庫)
小島 政二郎
河出書房新社



さて、三三と喬太郎の、円朝の噺のことである。
かつて円朝の時代、円朝の属した三遊派と、柳派は、それぞれ鎬を削っていた。
その頃の三遊派は人情噺を得意とする噺家が多かったというが、日曜夕方の番組に出ている噺家からして、当代はどうもそうではないらしい。
むしろ、滑稽噺を得意としていたという柳派の系譜を下った三三と喬太郎がそろって円朝を演るというのだから、時代も変わったということか。
チラシにはすでに、三三が「鰍沢」、喬太郎が「文七元結」を演ることが刷られていた。
おそらく二席ずつは演るのだろうから、そちらも円朝ものかと期待していたのだが、三三が「元犬」、喬太郎が新作の「夜の慣用句」と、円朝を聴く空気にそぐわないものだった。(個人的意見です)
さて肝心の「鰍沢」は、六代目円生のものをようつべで聴いたくらいしか知らないので楽しみにしていた。
思っていた通り、当代、正統派として名を馳せる三三らしい、本道、本寸法の噺が聴けた。
「文七元結」のほうはといえば、ほかの噺家のものをいくつも聴いていたこともあり、知ってる噺だと甘く見ていた。
喬太郎は、橋の欄干を飛び越えて身投げをしようとする文七に、長兵衛がなけなしの50両をくれてやる場面をやたら引っ張った。
出し惜しむじれったさと、くれてやると決めたあとの潔さ。そりゃそうだ、50両といえば大金なのだ。
この場面をさらりと演ってしまっては、50両の重みがない。おかげで、のちの旦那さんや番頭が出てきてからの場面が活きていた。
僕は、みごとに喬太郎の世界に引き込まれてしまった。やはり、喬太郎はうまい。
大船駅までの道のりは、ほてった心のいいクールダウンとなった。

それから数日、いうまでもなく、僕のスマホに入っている圓生、談志、志ん朝、馬生、小三治の「文七元結」がヘビーローテーションとなっている。
それぞれ、噺家ごとにわずかにスジが違う。もちろん喬太郎のものあるが、鎌倉でのスジとも若干違っている。
聴き比べもまた面白く、飽きもせず。そうやってスマホに溜まった落語は、すでに400近くとなってしまった。
 
 



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