さて、今回。
僕は茨城に行こうと思い立った。それも北部の久慈地方。
きっかけはこう。
いつもの話し相手のSオジサンとヤマタノオロチの談義になって、鹿島灘でも砂鉄がとれた云々となった。
他にも、金や銅もとれたとなって、佐竹の金山の話になった。
室町~戦国期の領主・佐竹は金の鉱脈探しに熱心だった。
関が原後、出羽に転封の際には多くの金山の所在を隠して去っていったとも言う。
古い言葉で「佐竹の殿様は、金と美人を秋田に持っていった」というのがある。
まあ、美人はどうかと思うが、金に関しては、鉱山技師をゴッソリと引き連れて秋田入りしたというのは、あながち誤伝ではないのではないだろうか。
そしてその後の江戸期、秋田の金山開発に精を出し藩政を潤したらしい。
今でも秋田大に日本唯一の鉱学系の学部があるのはその流れだとか。
へえ!そりゃあ面白い!
そういや、たしか袋田の滝の近くに「ナントカ金山」って書いてあったなあ、と思い出した。
近くには、金の名のつく地名もあって、たしか「ナントカ神社」もあったはず。
このあたりから海に出れば、もしかしたら砂鉄に関する何かが見つかるのかも!?
そこで、茨城の鉱物と神社を訪ねる旅をしようとテーマを決めて出かけた次第なのである。
まず訪れたのが、大子町にある栃原金山。
入り口に立つ看板
この山間の栃木・茨城をまたぐ八溝山系は、奈良時代よりの金の産地。
そしてここはかつての領主・佐竹が開いた数ある金山のひとつ。
前日ググってみたら、なにやら観光施設まであったところなのだ!
心弾ませながら、栄華の名残でも感じれるかとやってきた。
しかし、そこはすでに廃墟であった。
まあ、多少予想はついていた。
町のHPには出てなかったし。
netにあったいくつかの見聞レポートも随分以前だったのだろう。
なにせ、入り口の事務所はこんなだし。 ←荒れ放題
入門ゲートだってこんなだし。
←骨しかないし。
現状が気になって奥まで行ってはみたが、坑内入り口は堅く閉ざされていた。 ←最近開けちゃいないみたい。
途中の沢に入って川底の砂利を掬ってみたが、金のかけらも見当たらず。
そりゃ当たり前なんだけどね。
帰りがけ、
近所で草刈していたオジサンに声をかけた。僕と同じく、ネットをみてやってくる人がたまにいるらしい。
この50過ぎくらいのオジサンいわく、
・オジサンの親の時代は、だいぶ金も採れたらしい。
・その頃は祭りも派手で、遠く日立からたくさん芸者を呼んで盛大にやったらしい。
・10年前くらいに、観光目的でやってきた業者がほんの短い間営業していた。
・その際雇用されたジイサンは行く宛てなくここに居座り、もしやまたその業者が帰って来て、未払いの給料を払ってくれるんじゃないかと待っていて、とうとう死んでしまったと言う。
昭和のゴールドラッシュも、ショボショボにしぼんでしまったようだ。
こんな山の中で、何人が儚い夢を見たのかと思うと寂しくなった。
このあと日記は続くのだ~。
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