栗太郎のブログ

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仏都・会津を行く(1) 慧日寺と会津大仏と伊佐須美神社

2008-08-20 14:48:13 | 見聞記 東北編

会津という土地は、神仏を敬うことにかけて平安の頃より盛んらしい。

もともと会津の仏教は、奈良で法相宗(ホッソウシュウ)を修めた徳一(トクイチ、トクイツとも)上人が広めたことに始まる。
この坊さん、藤原仲麻呂を父にもつバリバリの貴種。
その人物が京の都で名声を高めようとせずにこの地にやってくること自体だけでもその行動力は凄まじいのだが、なにより、後に最澄や空海に喧嘩を吹っ掛ける向うっ気がまた痛快なのだ。
万事要領のいい空海は上手くいなして逃げてしまうのだが、ナイーブなほど正直な最澄はその論争(三一権実論争)を正面から受け、散々に論破された。朝廷の庇護を受けた新興仏教の天台宗としては立場がなかったろうと思う。

その徳一。
都の喧騒から身を遠ざけて修行に専念すべく、会津にやって来た。
その総本山があったのが、ここ磐梯山の西麓、慧日寺(エニチジ)であった。
一大伽藍を誇った寺院も、幾度の戦火とともに廃れ、今はその地に資料館がある。



・・・・というわけで、ようやく旅日記の本題に入ります


お盆の16日。
朝、ウチをでて、真っ先にやってきたのは慧日寺資料館。
http:// www1.to wn.band ai.fuku shima.j p/kanko /enichi ji/enic hiji_01 03_siry okan.ht m
実は1年半前にここを訪れたときは冬季休館中で、その周りはかつての大寺院の面影もない様子だった。

・・・のだが。
今回行ってみたら、金堂ができていた。
しかも、観光バスが乗り付けて、団体さんが見学に来ているほどの盛況ぶり。

 正面の集落付近が慧日寺跡。



 
 復元された金堂。




 裏手にある徳一廟。





さて。
次の目的地は、喜多方市にある願成寺。




 山門と、うしろは本堂。





お盆だけあって、お墓参りの方が多い。
看板をたよりに本堂奥の収蔵庫にたどり着くと、そこにおわすは阿弥陀三尊像。
通称、会津大仏。
拝観無料。鎌倉時代の作で国の重要文化財である。
241cmの坐像に、千体仏を付けた光背が見事。
 ガラス越しに。




ご住職にご朱印を戴き、普段見れない本堂内も案内していただいた。
「会津にはいいホトケさんが多いのに、世間の知名度は低いようですね」と尋ねると、その答えは「案内する人がいない」からだそうだ。
会津の冬期は雪に閉ざされ、9~10月の絶好の季節は農繁期。
つまり、農家が多いこの地方では、年間を通した仕事としては成り立たないらしい。
ずいぶんともったいない話である。

 ご朱印は字までもハンコでした。





次に、会津美里町の中田観音へ。



「会津ころり三観音」のひとつで、その三つを参拝すれば『一生を健康で過ごし、苦しむことなく、ころりと極楽往生』できるのだとか。
抱きついて願い事を念じる「だきつき柱」もある。
ご本尊は十一観音立像なのだが、ご開帳は一週間ほど前だった。
お札売り場(?)でご朱印をいただいて、話しかけてみたのだけど、つれない態度に早々に退散。

 ご朱印。




南下して、伊佐須美(イサスミ)神社へ。
ここは『会津』の語源の地。
北陸道を平定してきたオオヒコノミコトと、東海道を平定してきたタケヌナカワワケノミコトが出会ったのがこことされる。
清閑な木立ちの雰囲気は、社の風格を感じさせるのに十分。






楼門には、古事記にでも出てきそうな神様が。
 



ご朱印をいただき、「楼門に居られるのは、落ち合ったお二人では?」と問うと、「誰ということではなく、単に人神像ということです」とここでも妙につれない答え。
神社の縁起を尋ねても、やりとりはチグハグで、僕の気持ちは消化不良。

 ご朱印は見開き。500円。




車に戻ると、荒れた天気の湿気のせいか、頭痛がしてきた。
そういや朝から食事を取っていないことを思い出し、山都まで足を延ばして蕎麦を食った。
正直、頭が痛くて味は覚えていない。
温泉で体を癒そうと、近くの温泉・高郷ふれあいランドへ。
すでに5時をまわっていて、夜間料金300円。これは安い。
閉館時間の9時までゆっくりして、温泉をあとにする。

この旅、僕は仕事用の軽ワゴンで来ていた。
しかも寝袋持参。つまり、荷台で寝るということ。
場所は、西会津の道の駅。多少の明かりもあれば、トイレもある。
夏とはいえ、山の夜は涼しいのでこれで十分。
快適な夜でした。



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