『まんだら屋の良太 後期選集②』(畑中純・作)
1979年から1989年までの十年間、実業之日本社の漫画サンデーにて連載した人気漫画『まんだら屋の良太』
今回『わしズム』にて復活していますので、読まれた方も多いでしょう。
なんと、その『まんだら屋の良太 後期選集②』(1995年発売)で、鈴木邦男が解説を書いています。
名文なので全部載せたいところですが、一部抜粋し、紹介しますので興味を持たれた方は買って読んでみてくださいね。
以下、解説より抜粋↓
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初めてこのマンガを見た時は思わずのけぞった。一体これは何なんだと思った。
その辺のアンちゃん、ネエちゃん達が意味もなく、必然性もなく、朝から晩までセックスばっかりしている。退廃マンガだ。世も末だと思った。
しかし離れられなかった。どんどん深みにはまっていった。気が付いたら最後まで、10年間読み続けていた。
今から思うと、僕は10年間このマンガと闘ってきたのだと思う。ストイックな運動家の僕が、長い間忘れ、あるいは意識的に忘れようとしていた<原風景>がこのマンガにはったのだ。なつかしくて涙がこぼれそうになる原風景だ。それは強烈な力をもっている。ちょっと気をゆるめたら僕なんか簡単に吸い込まれ、そして無になってしまう。だから、その原風景を認めたくなかったのだ。それを思い出し、認めたら運動家としての自分は崩壊すると思った。崩壊したら大変だ。負けるものかと身構えて読んできた。
九鬼谷の人々のように本音で生きているのが人間の本来の姿かもしれない。日本的ユートピア(桃源郷)とは、こういうものかもしれない。そう思えてきた。
左翼も右翼も宗教も、この世の中を変えなくてはいけないと思っている。変えた後に理想の世界(ユートピア)をつくろうと思っている。そのユートピアとは人間一人一人が幸せになることだ。だったら、九鬼谷ではそれが実現している。そうも考えられるのではないだろうか。マルクスやレーニンが夢み、北一輝や三島由紀夫が夢みたのがこれかもしれない。みんなにとって夢であり、なつかしい世界なのだ。
人間の自由が一番大切なのだ。僕は今こう考えている。
不思議なことに、このマンガを読んでいるうちに段々そういう結論になったのだ。活動家としての「集団思考」からいつの間にか脱却したのだ。そして「脱右翼宣言」もした。昭和が終わった、冷戦構造が終わった、ということもある。それと共に、もしかしたら10年かけてこの『まんだら屋の良太」に洗脳されたのかもしれないと思った。そう考えると恐ろしいマンガだと思う。悔しいが、このマンガと格闘し、完敗したのは僕の方だ。
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名文じゃないですか、鈴木先生!
と早速電話を入れると、
「そーだねー。昔のほうが、絵も字も文章も上手かったし、今は小学生の作文だし……。パソコンばっかりやってるから、退化しちゃうよー」
と、相変わらずの自虐節。
みなさん、是非、励ましのお便りを!
1979年から1989年までの十年間、実業之日本社の漫画サンデーにて連載した人気漫画『まんだら屋の良太』
今回『わしズム』にて復活していますので、読まれた方も多いでしょう。
なんと、その『まんだら屋の良太 後期選集②』(1995年発売)で、鈴木邦男が解説を書いています。
名文なので全部載せたいところですが、一部抜粋し、紹介しますので興味を持たれた方は買って読んでみてくださいね。
以下、解説より抜粋↓
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初めてこのマンガを見た時は思わずのけぞった。一体これは何なんだと思った。
その辺のアンちゃん、ネエちゃん達が意味もなく、必然性もなく、朝から晩までセックスばっかりしている。退廃マンガだ。世も末だと思った。
しかし離れられなかった。どんどん深みにはまっていった。気が付いたら最後まで、10年間読み続けていた。
今から思うと、僕は10年間このマンガと闘ってきたのだと思う。ストイックな運動家の僕が、長い間忘れ、あるいは意識的に忘れようとしていた<原風景>がこのマンガにはったのだ。なつかしくて涙がこぼれそうになる原風景だ。それは強烈な力をもっている。ちょっと気をゆるめたら僕なんか簡単に吸い込まれ、そして無になってしまう。だから、その原風景を認めたくなかったのだ。それを思い出し、認めたら運動家としての自分は崩壊すると思った。崩壊したら大変だ。負けるものかと身構えて読んできた。
九鬼谷の人々のように本音で生きているのが人間の本来の姿かもしれない。日本的ユートピア(桃源郷)とは、こういうものかもしれない。そう思えてきた。
左翼も右翼も宗教も、この世の中を変えなくてはいけないと思っている。変えた後に理想の世界(ユートピア)をつくろうと思っている。そのユートピアとは人間一人一人が幸せになることだ。だったら、九鬼谷ではそれが実現している。そうも考えられるのではないだろうか。マルクスやレーニンが夢み、北一輝や三島由紀夫が夢みたのがこれかもしれない。みんなにとって夢であり、なつかしい世界なのだ。
人間の自由が一番大切なのだ。僕は今こう考えている。
不思議なことに、このマンガを読んでいるうちに段々そういう結論になったのだ。活動家としての「集団思考」からいつの間にか脱却したのだ。そして「脱右翼宣言」もした。昭和が終わった、冷戦構造が終わった、ということもある。それと共に、もしかしたら10年かけてこの『まんだら屋の良太」に洗脳されたのかもしれないと思った。そう考えると恐ろしいマンガだと思う。悔しいが、このマンガと格闘し、完敗したのは僕の方だ。
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名文じゃないですか、鈴木先生!
と早速電話を入れると、
「そーだねー。昔のほうが、絵も字も文章も上手かったし、今は小学生の作文だし……。パソコンばっかりやってるから、退化しちゃうよー」
と、相変わらずの自虐節。
みなさん、是非、励ましのお便りを!