持続する夢

つれづれにふと気づいたことなど書き留めてみようかと
・観劇生活はえきさいてぃんぐに・日常生活はゆるゆると

HEDWIG AND THE ANGRY INCH (2/3)

2005-07-11 00:19:22 | 演劇:2005年観劇感想編
7/10のつづき> ここは、というところだけ隠します。反転表示になっております。
東ドイツに生まれた少年ハンセルは自由を得て、ロックシンガーになる夢を叶えるため、アメリカ兵との結婚を決意。性転換手術を受ける。ところが股間には手術ミスで「怒りの1インチ(アングリーインチ)」が残ってしまう。渡米を果すも離婚、しがないロックバンドを組み、ベビーシッターなどをして暮らす。やがて17歳の少年トミーに出逢い、愛情を注ぐが、トミーはヘドウィグの曲を盗んでビルボードNo.1のロックスターに上り詰める。裏切られたヘドウィグは自らのバンド「アングリーインチ」を率いて、ストーカーのようにトミーの全米コンサート会場を追う…。
新しく踏み出すときには、大切なものを捨てなきゃと。勧めたのが母親だとは考えもしなかった。自分のパスポートを与え、名を渡してまで。母親は、息子に何を託したのだろう?

舞台後方の扉を開くと。まばゆいライトが瞬いている。大きな歓声が、遠く聞こえてきて。そこがトミーのステージなのだとわかる。マイク越しの、トミーの声も聞こえてくる。いくら、期待を込めて耳を凝らしてみても。彼の話に、ヘドウィグの名前が登場することはない。傷ついているのだろうに。ヘドは、女のシナを作りながら、笑い飛ばしてみせる。お下劣な単語を、山ほど盛り込みながら。子どものころから今までの、悲惨な道のりを。殊更に明るく語って聞かせる。でも、それは強がりでしかなくて。。

あるところで。感情が最大限に膨れあがり、それに堪えかねて、ステージに、壊れて突っ伏してしまうヘドを。ただ、見守るしかない我々は。切なさに堪えかねて、泣きたくなる。
全てをむしりとって。生身を曝け出したときに。胸から何かを取り出して、潰したところまではわかった。が、それが何かというところまでは、後席からでは見えなかった。「それ」の正体が判明。「トマト」。吐き捨てるように語られた過去に、トマトは在った。群衆が、彼女に大量に投げつけた嫌悪感の実体。なのに、彼女は「そんなもの」を胸に入れなければ、女形が保てなかったという事実。見えていなかったものがわかって、つながったとき。遅ればせながら泣けてきた。できれば、あのときあの場で、一緒泣いてあげたかった。と、後悔の念で泣けてきた。(ソースは、昨日TB頂いた、徒然...観劇日記さま)

倒れ伏す間。ずっと響き続ける楽器の音は。全身を(椅子ごと)振動させるくらい大きくて。ひどく耳障りで、だけども救いだ。そして、彼女は立ち上がる。誰の手も借りることなく。独りで歩き出す。これは深い絶望の物語であるのと同時に。しなやかな再生の物語でもある。トミーが優しく歌う。みんなが静かに聞けば「彼女に」聞こえるかも、と言って優しく歌う。ヘドウィグはカタワレを探し続けるだろう。また、したたかに、下劣な話をしながら。内に、痛みや哀しみを内包したまま。ずっと歌い続けるのだろう。ならば、我々は拍手を送り続けよう。

三上博史氏のことを続けて書きたくて。ごめんなさい。昨日のタイトルを訂正しました。

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