日時 2018年4月14日(土)13:30~16:00
会場 杉並区高井戸地域区民センター 多目的室
講師 城郭愛好家 岡山宣孝氏
内容 1.江戸の町づくり(都市計画)
家康入城時の江戸の原地形を内務省復興局建築部が作成した「東京及横浜地質調査報告」
の 付図(昭和5年刊)により解説され、遠浅の東京湾を埋め立て塩等を運ぶための行徳へ
の水路築造、八丁堀は寺町(①増上寺・寛永寺・浅草寺②山王神社(現・日枝神社)・
神田明神(現・神田神社)であったこと、洪水への対応では平川放水路(神田川開削)と
平川旧河道埋立などについて説明があった。
2.江戸築城
慶長5年(1600年)関ヶ原の戦い後一国一城令までの期間が築城最盛期であった。
大阪城包囲網は西国大名に対する防衛網であった。海上防備では寛永12年(1635年)6月
武家諸法度を改定し参勤交代の期日、500石以上の大船建造の禁止などを定めた。
慶長8年(1603年)2月家康征夷大将軍となり江戸に幕府を開く。
7月千姫、秀頼に嫁する。豊臣と戦うには十分強くなかったと思われる。
慶長12年(1607年)7月駿府城修築成り家康これに移る。12月駿府城火災、翌慶長13年
(1608年)3月駿府城修築。慶長15年(1610年)2月名古屋城を築き市街地を造成、9月竣工。
慶長16年1611年)6月加藤清正没。慶長20年(1615年)5月大阪城落城。7月武家諸法度、
禁中並びに公家諸法度、諸宗諸本山法度を定める。
元和2年(1616年)3月家康、太政大臣となる。4月家康没、久能山に葬る。
元和5年(1619年)6月福島正則改易、7月浅野長成を広島に、徳川頼信を和歌山に、松平忠明
を大和郡山に入封する。
元和6年(1620年)1月旧大阪城を大幅に修築する。 以上