あの大震災からもう4ヶ月以上が過ぎようとしています。
夜、布団に入ると、あの日の恐怖がよみがえり、涙が流れてきます。
震災後、簡単に涙が流れるようになりました。
津波で子供を失って泣く母親。必死に探す父親。毎日毎日、懸命に遺体捜索する自衛隊の方々。
そして警察の方々。
テレビを見るたび、流れる涙。
今日、嬉しいニュースが飛び込んで来ました。
今年のB’zのライブが宮城からスタート。
久しぶりのうれし涙でした。
震災後、いろいろな方のお世話になりました。
Reiさんにはどれだけお世話になったかわかりません。
私たち家族は、Reiさんのおかげで不自由な避難所生活をしないで過ごす事が出来ました。
B’zのブログ友。そして、ジョニーファンのReiさんのブログ友。
皆さんに励まして頂いたり、救援物資を送って頂いたりしながら生き延びてきました。
感謝の気持ちをどうやって言葉にしていいかわかりません。
本当に本当にありがとうございました。
ブログで書きたい事がたくさんありました。
津波の恐怖。
友人宅でのサバイバル生活。
Reiさん宅の楽しかった総勢9人での避難生活。
いつか書いて、ブログに残しておきたい。
そう思いながら4ヶ月が過ぎてしまいました。
今更ですが、今日から少しずつ書いて行きたいと思っています。
3月11日、午後2時46分。
『もうすぐお茶の時間だな・・・』仕事場でそんな事を考えていた時、ゴォーという音と共に
激しい横揺れが始まりました。
会社の事務所の神棚には大きな『だるま』が飾ってあり、神棚の榊を押さえようか、
それともだるまを押さえようか、迷ってウロウロしてるうちに、段々揺れが激しくなって来て、
立っているのさえやっと、というほどものすごい揺れに、専務が『外に出ろ!』
と叫びました。
全員外に出て、揺れが収まるのを待ちましたが、ますます揺れは激しくなる一方で、
もう一人の事務の女の子と抱きあいながら、その場にしゃがみこむしか出来ませんでした。
長い長い揺れが収まった後、私の脳裏には、この日は卒業式で早く家に帰って来ているはずの
娘の事しかありません。
常務に『帰らせて下さい』とだけ言って駐車場に向かいました。
アスファルトの駐車場は地割れがひどく、地震のものすごさを物語っているようでした。
車に飛び乗り、国道に出た頃には案の定、渋滞が始まっており、娘の携帯に電話をかけても
当然の事ながら繋がらず、ドキドキしながらの車の運転でした。
私が働いていた『女川町』という所は、県内でも津波の被害がものすごく、建物の7割が
跡形もなく流されました。
3階、4階建てのビルの屋上に、車がのっているほど、ものすごい高さの津波に襲われました。
今思えば、もう少し行動が遅ければ、私は車ごと津波に流されていた事でしょう。
娘の事が心配で、車に飛び乗った事が私の命を救ってくれました。
仙台の大学に通っている息子は、父親と一緒にマンション暮らしをしていますが、春休みで
家に戻り、石巻でバイトしていました。
幸運な事に、この日はちょうどバイトが休みだった事を思い出し、今度は息子の携帯に電話して
みました。
すると、これまた幸運な事に息子の声が聞こえてきました。
『もしもし、大丈夫?』
『大丈夫。今、家の庭にM(娘)といるから大丈夫だよ!』
『そう、良かった!今家に向かってるからそこにいてね!』
『うん、わかった』
『テレビは?』
『大丈夫、倒れてないから。でも家の中はものすごい事になってるよ』
なぜ、私がテレビが倒れなかったかを聞いたのか?
地デジ化に伴い、一週間前にテレビを新しくしたばかりでした。
ブルーレイ内臓のテレビ、一度もDVDを差し込まないまま流されました(笑)
渋滞にイライラしながら近道をし、やっと家に辿りつきました。
子供たちの顔を見た時の安堵感は忘れられません。
親は子供のために生きれるのだと確信しました。
この後、あれほどの大津波が襲って来て、何もかも奪ってしまうなんて事はまったく
想像できませんでした。
津波の恐ろしさを知りませんでした。
空では、大津波警報、大津波警報と盛んに叫んでいたと記憶していますが、のん気にも、
『津波なんてここまで来る訳ないよね~』
と友達と話していたのです。
車を駐車場に入れ、家の中に土足で入りました。
食器棚は地震に備え、金具で止めていたので倒れてはいませんでしたが、中の食器はすべて床に落ち、
割れていました。
『これを片付けるのに一ヶ月位かかりそうだね~』
『俺も手伝うから』
『余震が来るから、毛布を車に積んで、○○君ちの庭に避難させてもらおうか?』
『うん、そうだね』
息子と一緒に、マックをキャリーに入れたり、車に毛布を積んだり、とりあえず一晩だけ、
友人の家の駐車場で過ごさせてもらおうと、いろいろ準備を始めました。
とにかく寒くないように、それだけしか考えていませんでした。
津波が来るとわかっていたら・・・出来る事はたくさんあったのに。
気持ちに余裕が出来た頃、いろんな事を悔やみました。
3人と一匹で車に乗り、近所の友達の家に行きました。
なぜここに来たかと言うと、ここの駐車場はとても広く、たとえ余震が来ても建物に潰されてしまう
心配がなかったからです。
友達も同じ事を考えていたようで、車にいろいろ積み込んでいる最中でした。
『津波がここまで来る訳ないよね~』
この時、この台詞を何度言った事でしょう。
友人と駐車場で話していた時間は果たして何分だったのか?
立ち話をしながら
『飲み物とか食料も持って来た方がいいかな?』と言う話になり、もう一度家に戻る事にしました。
友達に『すぐに戻って来るね~』
と言い、車に乗り、家に向かいました。
この時、津波はもうそこまで来ていたのです。
車を駐車場に入れ、娘とマックを乗せたまま、私と息子は家に入りました。
この時、車を路上に止めたままにするか、車庫に入れるかちょっと迷いましたが、
車庫に入れた事で、娘とマックの命が救われました。
お風呂場から外を見ると、我が家のエコキュートが倒れていました。
隣の家のフェンスに寄りかかるように倒れていたので、息子に言って起こしてもらおうと、声をかけようとした時、息子の
『お母さん、ヤバイ!』という声がしました。見ると家の前の道路が川のようになっていました。
『お母さん、Mとマック!』
私は走って外に出て、門からはもう出られないくらい水の流れが速かったので、
別の場所から駐車場に走り、車のドアを開けました。
『早く出て!二階に上がりなさい!』
娘は道路に背を向けるように車に乗っていたため、津波が来ている事にはまったく気づかなかったようでした。
娘を出した後、後部座席に積んでいたマックを入れたキャリーを出そうとしましたが、
重くて持ち上がりません。
この時、水はもう膝まで来ていました。
キャリーごと出す事をあきらめ、止め具をはずそうとしましたが、5箇所も止まっているし、
狭い車の中で焦っているのでなかなか開ける事が出来ません。
この時、水かさはどんどん上がり、太ももまで来ていました。
火事場の馬鹿力といいますけど、ものすごい力で上に引っ張ると、幸運にも蓋が壊れました。
太りすぎで、体重が18キロあるマックを抱え、水の中を必死に歩きました。
急いで二階まで駆け上がり、子供たちとベランダに出ました。
この時の光景を、私は一生忘れる事は出来ないと思います。
目の高さに押し寄せる真っ黒い濁流。
家々が流され、キィキィという不気味な音を立てています。
家が丸ごと流れてくる光景が信じられませんでした。
家の前をたくさんの車が流れて行きます。
車の屋根には人が乗っていて、そのまま流れて行きます。
これはいったい何だろう?
さっきまで、家の前を歩いていた人達がいました。
あの人達はどうなったんだろう?
どんどん、どんどん、水かさが増えていきます。
『もう駄目かもしれないね』
『うん』
『え、死ぬの?』
ベランダで子供たちと交わした言葉です。
家の車庫は無残な音をたてながら押しつぶされていきます。
そこに、我が家の物置、隣の家の車、流れてきた瓦礫が重なり、今にも家を押しつぶしそうでした。
流されてきた車からは、助けを求めるようにクラクションが鳴り響いていました。
私は子供たちを屋根に上げる事を考えていました。
せめて子供たちだけでも助かって欲しい。
その事しか考えられませんでした。
その時、隣のご主人が声をかけてくれました。
『身体を冷やさないように中に入りなさい』
『もっと水かさが増してくるんでしょうか?』
『とにかく、今は身体を冷やさないように』
その頃には日が沈みかけ、雪が激しく降って来ました。
私はご主人の言葉に従い、子供たちを促し、中に入りました。
窓から外を見ると、あんなに激しかった津波の勢いが、幾分収まって来ているように見えました。
『助かるかもしれないね』
息子が呟きました。
真っ暗な闇に包まれた家の中。
窓を開けると、ガスとガソリンと灯油の入れ混じったにおい。
2階には、停電に備えて押入れに入れてあった懐中電灯がありました。
それを点し、押入れから布団と毛布を出し、何枚も重ねて暖をとりました。
幸い、私の冬服は2階のタンスに入れてあったので、濡れた服を脱ぎ、着替える事が出来ました。
娘の服はすべて1階にあったので、私の服を着せ、息子にはパパの服に着替えるように言いました。
靴下と下着が全て水に浸かってしまったため、足が冷たくて冷たくて。
娘の足が真っ赤になって冷たそうだったので、2階にあった、小さい頃していた手袋を足にはかせました。
捨てずに取っておくものですね(笑)
2階の廊下の窓から、家の裏の様子を見ていると、声が聞こえました。
『助けて下さい』
見ると斜め裏のご主人の声でした。
『大丈夫ですか?』
『年寄りが下にいるんです。助けて下さい』
『申し訳ありません、私にはどうする事も出来ません』
悲しい事ですが、真っ暗闇の中、私にはどうする事も出来ませんでした。
その夜は、いつも私と娘が寝ているダブルベットに、息子と娘とマックと一緒に入りました。
まさか、こんなに大きくなった子供二人と一緒に寝る事になるとは・・・。
生きている喜びを感じました。
『お母さん、家も車も全部無くなってしまったね』
『うん、でも生きてるだけで十分だから』
『うん、俺も大学辞めて働くから』
『大丈夫だから』
『うん』
息子と交わした会話。
分刻みにおきる余震に、娘は声を出しておびえていました。
長い長い夜が空け、外が明るくなって来ました。
窓から外を見ると、家の前の道路は水がぜんぜん引いてなくて、脱出するのは不可能でした。
まさか、家の前で魚の群れを見るなんて。
『お腹が空いて我慢できなくなったら、あの魚を捕まえて食べよう』
子供たちに言って笑いました。
その時は、この冗談に近い生活をおくる事になるなんて、想像すら出来ませんでした。
息子が、
『お母さん、バックは?』
と言うので、
『あ、車に積んだままだった』
と言うと、
『車から取って来る』
と言ってくれました。
危ないからいいよ、と言う私に、
『気をつけるから』
と言い、押しつぶされた車庫、そして押しつぶされた車の割れた窓から中に入り、泥だらけの
バックを持ってきてくれました。
携帯は防水でしたけど、一晩水に浸かっていたので諦めていました。
恐る恐る開いてみると、幸運な事に電源が入りました。
ただ、電源が入ったというだけで、何の役にも立ちませんでしたが(笑)
このままここにいてもダメだ、と息子が言いました。
外の様子を見に行って来ると言う息子に、また地震がおきて、津波が来たらと思うと、
私はうんと言う事が出来ませんでした。
せっかく助かった命なのに。
『大丈夫だから、必ず帰って来るから心配しないで』
まるで戦地に子供を送り出す母のような気持ちで息子を見送りました。
息子と入れ違いに、息子の友達が私たちを心配して見に来くれました。
『水が引いてないのはここだけだから、一緒にうちに行きましょう』
そう言ってくれました。
律儀に、家に入るとき靴を脱いで入った娘は靴も流されてしまいました。
私の靴もどこにあるのか無くなっていました。
幸い、押入れを漁っていたら、息子が小学生の時に履いていたバスケットシューズが見つかりました。
捨てないで取って置くものですね(笑)
私は、マックを連れて脱出する事は不可能だと考え、娘と息子だけ、友達の家に避難させる事にしました。
『必ず迎えに来るから、それまで動かないでここにいてよ』
息子にそう言われ、こんなに頼もしくなったんだなぁと涙がこぼれそうでした。
子供たちは隣の家のご主人にお願いして、屋根伝いに隣の家に入らせてもらい、ようやく脱出する事が出来ました。
家の前の道路が冠水していたので、息子は娘をおんぶして道路を渡りました。
水のない所まで行くと、二人手をつないで歩いて行くのが見えました。
子供たちがいなくなると、急に寂しさがこみ上げて来ました。
マックと二人、ここで何日暮らすんだろう?
そういえば、パパはどうなったんだろう?
ここで初めて夫の事を思い出しました(爆)
この日の夕方、隣の家のご主人の手をお借りして、私とマックも家を脱出する事が出来ました。
そして、いよいよサバイバル生活の始まりです。
やっといくらか落ち着いた環境になったかな。
良かったね。
当時も何度も話を聞かせてもらったつもりだったけど、
こうして読ませてもらうとまた更にリアルだよね。
家族全員が無事だった幸運に感謝感謝。
>ここで初めて夫の事を思い出しました(爆)
そんなに後だったんだ(笑)
それほど目の前が緊迫していたっていうことだね。
次回のサバイバル生活、楽しみにしてます
本当にお久しぶりです
で、こうして、nonさんがブログを再開でしたこと
本当に良かったです
3.11の恐怖がリアルに伝わってきます
私たちは、こうして、書いてくれてる人たちから、何かを学ばないといけないなあと思いつつ
これからも、読ませてもらいますね
本当にご家族が無事でよかったです
Reiさんも書いてるけど
>>ここで初めて夫の事を思い出しました(爆)
に
ははは・・
どうか、アリーナ行けますように
Reiたんのとこから、すっ飛んでまいりました~
こうして、nonさんの声をまたブログで聞くことができて嬉しいです
変なもので、Reiたんにもnonさんにも一度もお会いしたことないのに・・・
あの日思ったことはReiたんのこと、そしてお友達のnonさんのことでした
Reiたんが綴ってくれたあの震災の日の出来事
nonさん一家のことも聞いてはおりましたが、
こんなにもすさまじい体験をされていたのですね
ももちゃんも言っていますが、こうして聞かせていただくことで、
私たちもいろいろ考え、学ぶことができます
今後もありがたく読ませていただきますね
それにしても、お兄ちゃんのたくましいこと
頼もしい言葉に涙してしまいました
うちにも年の近い息子がおりますが…果たして
ご家族無事でほんとによかったです
B’Z嬉しいですね
どうか当たりますように…
ときどきReiさんのブログで遊ばせていただいてる、ゆゆんデス。
Reiさんのブログで、サバイバルながら絶対生き抜くユーモアとパワーをReiさんとnonさんの様子から頂いてました。
今だから話せること、沢山ぶっちゃけてください(笑)!
そしてB'sのライブ、しかも宮城からって超嬉しいデスよね~!!!
ライブは最高の栄養ドリンクですっ。
私もあの震災以来ライブに行きまくってマス。
どうかチケ戦サバイバルもその愛とユーモアとパワーでgetしちゃってくださいませ。
私もボルサさんに乗っかって(でへ)w
B'sライブチケがどうぞ当たりますように…
今更ですけど、読んでくれてありがとう。
震災後、Reiさんにはいろんな事でいっぱい
助けてもらいました
仙台のマンション、新しい車、そして生活。
申し訳ないと思いつつも甘えてしまいました。
迎えに来てくれて、お湯を何度も沸かして全員
の髪洗ってくれた時のReiさんの優しさには本当
に涙が出ました。
私なら、Reiさんと同じ事が出来るんだろうか?
何度もそう思いました。
あんな時でも笑う事ができたのはReiさんが居たからです。
Reiさんちでの楽しかった避難生活も書きたいです。
>そんなに後だったんだ(笑)
子供たちと自分が生き残これた事が嬉しくて、
他は何も考えられなかったんだよね~。
あの人だけ他人だから(爆)
震災後はいろいろ助けていただき、本当にありがとうございました
ももさんもきっと大変な状況だったはずなのに、すっかりお言葉に甘えてしまいました。
ももさんのお陰で私たち家族は生き延びる事が出来ました。
あの頃は本当に食べる物が無くて、どれほど嬉しかったか
ももさんに手紙を書こうと便箋を買いましたが、
まだ落ち着いて書く事が出来ないままです。
非礼をお許し下さい
今更の記事ですが、読んで頂いてありがとうございます
本当に、参考になるかどうかわかりませんが、
津波は本当に恐ろしいですね。
一瞬で何もかも、人の命も簡単に奪ってしまいます。
私もここに残しておきたいと思い、書く事にしたんです。
B'z、応援して頂いてありがとうございます!
行けるかどうか心配ですけど、宮城でやってくれる事に心から感謝しています。
PS
夫は所詮他人なんですよね~(笑)
命がけの時、思い知らされます(爆)
ご無沙汰して申し訳ありません
震災の時、私の事を心配してくれたなんて、
本当にありがとうございました
まさか家の二階で死を考えるなんて夢にも思いませんでした。
あの津波の勢いはハンパじゃなくて、家ごと流される事を覚悟しました。
後からいろんな人の津波体験を聞きましたが、
みんな何メートルも流されたり、車で死を覚悟したりと、
九死に一生番組をやったら5年くらい出来そうな、
そんな人ばかりです。
悲しいのは、何度もテレビでもやってる大川小学校の子供たちです。
今更な記事を読んでくれて本当にありがとうございます。
もしも津波の前に戻れたら・・・。
考えても仕方ない事ばかり考えています
息子は震災で少し大人になったような気がします。
これが一時的なものでない事を願いたいです(笑)
ボルたんにも本当にお世話になりました
生き延びる事が出来たのは、ボルたんのおかげです。
本当に本当にありがとうございました
ボルたんにもお手紙を書こうと便箋を買いました。
まだいろんな事に追われて落ち着かない毎日ですけど、
ひとつずつ片付けて、気持ちも落ち着いた頃に出しますね。
B'z,応援して頂いてありがとうございます!
今はB'zに念を送る毎日ですけど、本当にここで
ライブをやってくれるだけで感謝なんです。
もしライブに行けたら、稲葉さんを見て号泣して来ますね~
お話出来て嬉しいです
今回の震災後は本物のサバイバル体験をさせて頂きました。
我が家は犬を飼っているので、避難所には行く事が出来なくて、
食料や水は自分たちで確保しなければなりませんでした。
これから続く『サバイバル生活編』は面白いかもしれないですね(笑)
まさかあんな生活をする事になるなんて、
想像もしていなかったんですけど
>私もあの震災以来ライブに行きまくってマス。
いいですね~~!
人生何があるかわからないから、楽しまなきゃ損ですよね!
B'z、応援して頂いてありがとうございます!
今回は、この場所に来てくれてありがとう、ってお二人に伝えたいですね!
そこに居た人でないと感じられない恐怖感や
不安な気持ち・・
nonさんのブログを読んでいて
本当に大変な思いをされたんだなって
改めて思います。
心配する事しか出来なくて心苦しかったです
でも・・nonさん達が無事でいてくれて良かった
と安堵の気持ちでいっぱいです。
色々不自由な事もあるかもしれませんが
少しずつでも前へ進んで行ける様に
遠くからずっと見守ってますね
nonさん達がB'zのライブに行けます様に
自分がドームに当選する事より
nonさん達が当選してくれる方が
正直嬉しいです
小さな奇跡と偶然と運のおかげでnonさんたちは助かったんだね。
読みながら涙が止まりませんでした。
職場を出るのがもう少し遅かったら、Mちゃんとマックを乗せた車を車庫に入れてなかったら、、、想像するのもおそろしい。
もうすぐ5ヶ月。
あたしにとってはあっという間でした。
そんなに経つのかと。
明日グランディのチケの発表だよ!
あたしのくじ運だから期待しないでね。。。