まちおもい帖2

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国が独立するということ:『吉里吉里人』を読んで

2018-10-16 01:25:02 | 日記

社会の仕組みを再勉強しようと、まず、井上ひさしの『吉里吉里人』を読んでみることにした。これは、日本から、東北の人口4000人くらいのある村が独立するという話だからだ。国が独立するとなると、どんな手続きが必要か、国として体制を整えるには、何を用意しなければならないかが簡単に分かるのではないかと思ったのだ。

読んでみると、井上ひさしらしい、独特の書き方で、これほどエッチな話が続くとは、思っていなかったが、どうにか読み終えた。読み終えた後は、頭のなかで吉里吉里語(東北弁)が渦巻き、エッチな言葉が駆け巡るので困った。自宅で読むのに飽きたので、長瀞まで小旅行をしながら、電車の中や、河原で読み続けた。行きは、所沢で西武秩父まで行き、お花畑駅から長瀞へ、ライン下りを楽しんで、帰りは、寄居から川越へ、バスに乗って蔵の街を散策し、本川越から自宅のある田無に戻って来た。途中「男衾」という駅名があり、頭がエッチになっていたので、思わずクスっと笑ってしまったが、衾とは「キン」とも読むが「ふすま」と呼んで、布団のことらしい。

さて、本題。

国が独立するには;

 1933年モンテビデオ条約(ウルグアイのモンテビデオで締結された16条から成る条約。正式には、国家の権利及び義務に関する条約)というのがあって、独立するには、これを根拠にするらしい。Wikipediaによれば、この条約は、国際法の主体としての国家の資格要件と、諸国家の平等、他国への干渉の禁止、武力による領土変更の禁止等について定めたもの。第1条は国家の資格として①永久的住民、②明確な領域、③政府、④他国との関係を持つ能力、 の4点を要件としている。国家の要件について明文で規定した条約として現在でもしばしば参照されるとのこと。

国際法学では国家の承認の効果について伝統的な学説対立があるらしい。
一つは資格・能力を事実上備えるだけでは不十分で、他の国家の承認によってはじめて国家が成立すると説く創設的効果説。
もう一つは資格・能力を備えることで十分に成立し、他国の承認は成立を確認するものにすぎないと説く宣言的効果説。

上記の条約の第3条は、国家の政治的存在が他国家の承認から独立しており、承認前であっても対内・対外的な諸権利を行使できると定め、明確に宣言的効果説を採っている。

●独立か、内乱か

小説では、吉里吉里国は、第1条の4つの要件を満たしており、独立宣言をすれば国として成り立っている。しかし、独立される日本からしてみると、彼らは、内乱・内戦とみなされ、制圧しようということになる。

このため、吉里吉里国では、国際ピンポン大会を開催し、台湾はじめ数か国から代表が送られているとアピールする。これによって、他の国家が承認したとみなされるし、他国の代表が送られている国に自衛隊などが攻撃すると、国際問題になりかねないため、制圧を抑えることになる。

ちなみに、「内乱罪」というのは、政府の転覆などを計ることなので、日本政府を転覆させるのではなく、一部独立の場合も、内乱罪になるのか微妙なのではないだろうか。Wikipediaによれば、内乱により革命が成功すれば、裁くことはできないとある。また、5.15事件、2.26事件(軍法で処断された)も内乱罪とは、されなかった。オウム真理教による事件も、内乱罪にはならなかった。

第二次世界大戦後、アジアやアフリカで多くの植民地が独立した。たとえば、アフリカでは、フランス領であったアルジェリアで独立戦争が起こり、1960年にようやく独立が認められ、その流れで、フランス領であった地域で一気に17の国が独立することになった。その後、国際連合が1960年12月の総会で「植民地独立付与宣言」を反対票なしで可決した。そこではすべての植民地支配は人権の侵害であり、すべての人々は自己決定権を有すると宣言した。当時植民地を持っていたアメリカ合衆国・イギリス・フランス・ベルギー・ポルトガル・スペイン、及び白人至上主義を採っていた南アフリカの7ヵ国は棄権した。独立したアフリカ諸国は、国連に加盟し、総会では、一国一票で多数を占めるようになり、米ソなどの大国も無視できなくなっていった。

その他の国々でも、独立戦争が起こるなどあり、複数の国々が独立した。しかし、最大の問題は、独立に際して、植民地時代にヨーロッパの列強によって人為的に退かれた境界線がほぼそのまま残されたことである。アフリカの国境がまっすぐなのが、その証か。従って、実際の部族の分布とは一致しておらず、独立後の国境紛争、部族紛争が絶え間なく起こる結果となっている。

最近の話題としては、ウクライナは、ソ連崩壊後に独立したが、ウクライナのなかで西よりと東よりの人達が内戦をはじめ、東側が自治区を作り、ロシアに支援をもとめ、西側は、アメリカやEUが支援するというような自体に陥っている。

このように、「国の独立」は、戦争となり、死者を出すことも覚悟しなければならない。また、小国が独立するにあたっては、大国の代理戦争につながりかねない。

●沖縄の「独立」は、ムリですかね?

私が独立のことを考えようと思ったのは、仮に「独立」するとなると、新たに国をつくるので、国にとって必要な機能は何かを考えるのに良いかと思ったからなのだが、もう一つ、頭に「沖縄」と「福島の被爆地」のことがあったからだ。私に妙案があるわけではないのだが、沖縄と福島の被爆地は、同じように「国に見捨てられている」ように思える。「お国のために泣いてくれ」というのは、余りにも、その土地の人をないがしろにしているように思えるのだ。

では、「わが家のすぐ近くに基地を持って来ても良い、オスプレイもいらっしゃい」と言えるか、「わが家の傍に原子力発電所を設置して良いですよ」と言えるかというと、そうではないところが弱いところだ。私は、たまたま、東京(郊外だけど)に住んでいるので、基地や原発は、無いので、のんきに構えていられるものの、自分が沖縄や福島に住んでいたら、どんな気持ちだろうと思うのだ(実は、すぐ近くに横田基地があるし、原発事故の影響はどこに住んでいてもあるかあもしれないのだが)。

日本の安全保障上、アメリカ軍の基地が必要だとしても、沖縄が地勢上有利な場所だとしても、やはり、沖縄の人が望んでいないのに、戦後70年も、そのままにしているというのは、やはり申し訳ない気がする。沖縄では、日本政府の方針とは、異なる意見の知事が今回も当選した。日本は、これまで、基地を置いてくれる代わりに、振興予算などを投入してきた。離婚調停もそうだが、しかたがないので、お金で解決するけれど、本質である愛憎の問題は、解決した訳ではないのと同じで、お金をもらっても、基地があることに本当に納得している訳ではないのだろうと思う。

だったら、いっそのこと「独立」を検討しても良いのではないかと思うのだ。日本国全体をひっくり返すといったら、内乱罪になるけれど、ある地域が国と方針が違うので独立したいと思ったって良いだろう。

琉球は、昔から小さい国だったから、中国や日本に翻弄されて、それなりに大変だったのだから、わざわざ「独立」は、しないのでしょうが。沖縄が「独立」したら、まずは中国が「後ろ盾になりますよ」と寄ってきて、日米がそれはゆるさんとしてまた戦争になっちゃうんですかね。

沖縄が「独立」し、スイスみたいに、永世中立国みたいになることは難しいですかね。スイスが素敵な山、沖縄が素敵な海、世界中から観光客が集まる。スイスが世界中のプライベートバンクになっているみたいに、沖縄も何かそうした秘策を練る。

 

 

 


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