忍耐は、節制や勇気などの徳目全般に含まれている

2017年01月13日 | 忍耐論1(忍耐の倫理的な位置)

1-3-4. 忍耐は、節制や勇気などの徳目全般に含まれている
 節制など徳目には、いずれも忍耐がその契機に含まれる。勇気では、恐怖という不快・苦痛への忍耐が必須である。この恐怖を我慢できないとしたら、勇気は成り立たない。節制では、快楽享受を抑制する。この抑制は、不快であり苦痛になる。この欲求抑制の辛苦に忍耐することが節制をささえる。正義にも忍耐がいる。正義は、不正があってのことで、私利のために不正に誘惑されないようにと自制する忍耐がいる。もちろん、自分の外ある不正を排除・抑制する厳しく辛い姿勢を維持することも必要であり、忍耐のいることである。
 徳目は、いずれも人の価値ある理想的な行為を、あるべき振る舞いを求める。特定の事柄(勇気なら危険・恐怖)へのあるべき特定の振る舞い方(勇気なら平然・大胆・果敢)を規範として描き出し、その理想・規範を目指しこれの実現へと向かう。それらは、「あるべき」振る舞いであり、「なすべき」こととして、当為となる。すべきだといわれるのは、自然的には、気がすすまず尻込みしたくなるからである。その実行は、感性・個我には、「したくない」不快で嫌々なことになりがちである。徳目には、こういう苦痛・不快が不可避的にともない、これを甘受し耐え忍ぶことが、忍耐が必要となる。徳目全般に忍耐が含まれる所以である。

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