抑制のうちにも忍耐があり、忍耐にも抑制がある

2016年10月14日 | 忍耐論1(忍耐の倫理的な位置)

1-2-4-4. 抑制のうちにも忍耐があり、忍耐にも抑制がある
 忍耐と抑制は、別であるが、相互に他方を含むものでもある。忍耐は、辛苦を甘受することで、辛苦を抑制するのではない。もし、辛苦を抑制するのなら、苦痛を小さくしようと欲するのなら、それは、苦痛をそのままには忍耐しないということである。忍耐は、その点では、抑制を発動させない(よりよく忍耐を持続させるために、忍耐しなくてもよい苦痛の部分は排除・抑制するだろうが)。つらいものをそのままに、抑制せずに受け入れる。だが、それを実現するには、自然的に生じる苦痛回避の自身の衝動(逃げたいというだけでなく、攻撃し抵抗したいというものも含む)を働かないようにしておく必要がある。その苦痛回避の衝動の抑制が必須となる。忍耐は、抑制を含み持つ。欲求の忍耐の場合は、はじめから欲求を抑制していることで、抑制するから不快・苦痛となるのでもある。
 他方、抑制の方は、そこに苦痛がなければ忍耐など必要としないが、そとの強力な動きを抑制したり、自分のうちの欲求を抑圧していると、これがつらくなってくることがある。その辛苦の回避は、抑制を放棄することになっていくから、辛苦の甘受の忍耐が登場しなくてはならなくなる。欲求が大きくなるほどに、これを抑制することは難しくなる。欲求不満が高まるほどに、これを押しとどめることは苦痛になってくる。この苦痛から逃げることは、欲求抑制を断念することである。抑制を貫徹するには、苦痛を甘受して忍耐することがなくてはならない。外の強力なものの動きを抑制するときも、抑制が難しくなればなるほど、忍耐が求められるようになる。抑制は、それがつらい大きな抑制になると、忍耐がなくては貫徹できないこととなる。

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