人事という仕事柄、つい「グローバル人材」という言葉には即!反応してしまうのですが、最近、何か、流行り言葉のように使われていることには、違和感を感じています。
日本企業の近況を挙げれば、
▼ファーストリテイリングが、2012年に新卒正社員の約8割にあたる1050人を外国人から採用する
▼三井住友銀行が、総合職の全行員約(1万3千人)がTOEICで800点以上取得することを求める
▼武田薬品工業が、2013年4月入社の新卒採用からTOEICで730点以上取得することを義務付ける
など。このようなメディア報道と併行し、英語学習熱が日本国内で再燃していると聞きました。
また、海外留学する日本人の減少傾向や海外赴任を希望する若手社員の減少をもって、「日本の若者の内向き志向」とメディアは報じているようですね。
Konとふたり、これまで外資系企業に勤め、留学を経験し、数多くの失敗から学んだことは、”知らないことは伝えられず、相手との違いすら判断できない”ということ。
最近、大きく頷いた記事として、
1.日本マクドナルド原田社長の言葉
原田 逆説的な言い方になりますが、日本企業にまず必要なのは「日本のことをよく知る」ことです。日本の文化や特質について、強いところも弱いところも知って、初めて海外との違いを認識することができます。例えば、多くの日本人は「チェンジ」に対して一貫性がないと解釈します。ところが米国人はチェンジがなければ、結果が出ないと考え、「チェンジ」イコール「成長」だと思っています。これは日本の教育が協調主義で、日本人が他人と違うことをやりたがらないのに対して、米国では人と違う発想や考え方ができるように教育していることに起因しています。こうした歴史や文化による違いを日本企業はしっかりと認識し、両方を理解しなければ、グローバルプレイヤーにはなれません。
2.アゴス・ジャパン 取締役会長 横山氏
「国際社会で活躍する人材」の基本条件として、下記の4つの点
1) 自己理解(「自分の運命のひとつである母国」を大切にする心も含む)
2) 正しい意思発信と意思受信(コミュニケーション)
a.伝える能力と理解する能力
b.伝える意識と理解する意識
c.伝えたいメッセージを持つ(その前提となるのが「自己理解」)
3) 多様性への耐久力・理解・感謝(3レベルを経ての成長)
4) 上記1~3が備わった上でのリーダーシップ
普段から何気なく感じていたことを、上記のお二人の言葉から確認できたような気がしています。
「日本(自分)を知ること」
日本の文化の特質や外交上の歴史など、自分の言葉で語ることのできない情けなさに何度も遭遇してます。これまでの自分の努力の足りなさは置いておいて・・・・(笑)、「グローバル人材」育成の第一歩として、現在の日本の歴史教育(縄文・弥生時代から始めて現代史までたどり着けない日本史。日本と世界の関係性が見えてこない世界史。)を見直すことが挙げられると思うんです。
特に、近現代史では、日米、日中という1対1の関係に注目するだけでなく、例えば、「日米の親密さに中国がどういう動きをし、その中国にソ連がどういう反応を取ったか」というような、丸い地球儀を上から見て、それぞれの国がどうのようにインタラクティブに関わってきたか・・・が理解できるような授業。実際、大学院で受けた「中国外交史」の授業では、目から鱗が落ちるような授業展開の面白さでした。
「多様性への理解」
多様性への理解は、異文化に触れる(留学・海外居住)ことで養成されるのではなく、性別・年齢・価値感といった個々人の違い(個性)を認めることから始まると思っています。既卒・中途採用者、女性、派遣社員といった自分達と異なる価値感を持つ人材を活かせていない企業があるとして、企業のグローバル化=英語力強化・外国人採用と捉えていたら・・・・・。
以前書いた記事(「日本文化の特性」)でも取り上げましたが、雑誌エコノミストが「外部の視点の欠如は、トヨタの取締役会に見てとれる。29人の日本人男性で構成され、全員がトヨタ出身」と指摘しています。日本人、男性、同一価値感というキーワードを維持したまま、海外に出て行けば、先日の「米国東芝、性差別で訴えられる―1億ドルの賠償請求」のような事態が起こり得る(外国人を採用しても、その中でまた、男性優位という価値感を維持し続けちゃうってこと)。
まずは、日本の中で「隗より始めよ」じゃないかな。
「世界を広げるための言葉」
英語については、まだまだ人に何かを言えるほどの語学力もなく、あいかわらず電話も怖い。それでも、英語で読む・聞く・書く・伝えるという手段を持てたことで、自分達の世界が広がったことを本当に実感してます。
懸念してしまうのは、企業がTOEICのスコアに固執していること。”スコアが高ければ英語が話せる”というのは絶対ない。実際、留学前、800点以上だった自分もビジネスではまともな英語を話せなかった。それに、経験上、TOEICは受験回数を重ねれば、ある程度のスコアが取れるようになる。
一方で、人事の立場から言えば、海外赴任者や海外研修に選抜する際、公正さを考えれば、スコア化されるTOEICのようなモノサシは必要。また、一定以上のスコアは英語に対する基礎力を持っているとも判断できるので、TOEICそのものを否定はしてません。
でも、スコア獲得が目的になってしまって、”言葉で広がる世界”が見えなくなってしまうのは、ある意味、怖い傾向じゃないかと思う(同じ方向に一斉にド~っと流れる動きも怖い)。
さらに、今、TOEIC受けろ、と言われるのも怖い。
さいごに・・・・・・
「日本の若者の内向き志向」と言われていることに、我らと同じバブル世代は、どのように受け止めているんでしょう~。