天然酵母パンの店 パパゲーナ

2011年11月に閉店いたしました。
14年間、本当にこころからありがとうございました。

『アサツユ』に記事を載せて頂きました。

2011-12-29 14:27:28 | 日記
脱原発福島ネットワークのニュースレター『アサツユ』に記事を載せて頂きました。
過去のブログと重複したり、タイムリーじゃなかったりしますが、アップします。

<私たちのハイロアクション>
福島市で14年間続けてきたパン屋を11月26日に閉店しました。
原発事故後、いずれは、、、と考えて来た日です。
3月12日に福島を出て、約一ヶ月間関西に避難していましたが、借りていたテナントをそのままにしておくわけにもいかず、おそるおそる4月13日に福島市に帰ってきました。ちょっと静かだなと感じた位で、いつもと変わらない人々の様子にとても不安になりました。
翌日から体の変調がありました。鼻の中が荒れて痛いし、歯茎から血が出るし、目もシバシバしました。生理以外の出血も何回かありました。
思えば、4月上旬、京都に避難していたときに5日間熱が出て、口の中が真っ赤に腫れて、唇も口内炎が何個も出来て、ひどい思いをしたのですが、今では放射能を取り込みやすいと言われる野草である『つくし』を食べた事と無関係ではないと考えています。大阪でも同じ様な症状の人がいたそうです。きっと放射能に対する感受性が強いのでしょう。文科省から公表されている定時降下物モニタリングの月間積算値を見て、関西も汚染されていることを知り、確信しました。6月に、はじめて沖縄から福島入りした友人も同じ様な症状があり、加えて彼女は甲状腺のあたりが腫れたと言っていました。『やっぱり長く住めるところじゃないんだ、、、。』
パン屋を再開したことをとても喜んでくださるお客様がたくさんいらして、私にとって、閉店の決断は厳しいものでした。でも、『ここ福島は普通に生活できるところではなくなってしまったんだよ』という無言のメッセージにもなるし、自分の健康も大事だし、事故後、一回も帰って来ていない妹とその子供たちの事、事故後急に弱ってしまった高齢の両親の事などを考え合わせると、はやり家族そろっての移住を決断せざるを得ませんでした。
店を閉めてから、長野を旅してきました。
5月に二本松市から上田市へ移住してすっかり馴染んでいらっしゃる有機農業のご家族、松本市へ引っ越し中のご家族、、山の中でレストランを営みながら心豊かな生活をしているご夫婦、みなさん生き生きとたくましく生きておられて、どの方も笑顔がとても印象的でした。公以外の支援者の方々とも交流が出来て、『福島を出ても、幸せに生きていける』との想いが強くなり、とても励まされました。
一歩を踏み出したからこその出会いでした。これからも幸せへの歩みを一歩ずつ進めていこう。
唯一気がかりなのは、福島に残っている人達。私は何も出来ないけど、ブログを書こう。書いて伝えよう。幸せになろう。


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