晴耕雨読|アメリカはいかにして日本を滅ぽしたか 2006/9/18
http://sun.ap.teacup.com/souun/130.html
ビル・トッテン著『日本は日本のやり方で行け!』から、マイケル・ハドソン氏の「1985年プラザ合意の教訓とその影響」と題する論旨の要約です。
プラザ合意の真の目的とは……
1985年9月22日、ニューヨークのプラザ・ホテルで、日本は金利を引き下げることにより、ドルの為替相場を支えることに同意した.いわゆる「プラザ合意」である。これは世界経済安定のために、先進諸国が協調して相場に介入した事例として語られているが、ハドソン氏によれぱ、それは表向きのことにすぎないという。
当時大蔵大臣だった竹下登以下日本の高官は、日銀を含む日本の投資家にアメリカの貿易赤字の資金援助を行なうよう働きかけることにより、日本経済を歪めることに合意したのである。
具体的に言えば、日本が輪出で稼いだドルを米財務省証券(米国債)に投資させたのだ。
日本人は余剰ドル(日本の貿易黒字)を円に換えて日本国内(および海外の新しい生産設備)に投資するのではなく、そのドルをアメリカへ融資するよう求められたのである。
アメリ力の狙いは、これによって「ドルの還流」を刺激することであった。
アメリカ側は、もしこの要請を日本が受け入れなけれぱ、円に対するドルの価値を引き下げると脅かした。
ドルの価値が下がれば、海外における日本製品の価格が上がり、日本の輸出業者が苦しむことになる。またアメリカや他のドル地域(カナダやラテンアメリカ)に、日本がすでに投資した円換算の投資価値も目減りしてしまう。
そのため日銀は、価格の高い(すなわち、金利の低い)財務省証券を購入せざるをえなかったのだ。そして、それはさらに別の副産物を生むことになる。この取引によって日本は低金利政策を敷くことになり、またアメリカでも日本から大量の資金が流入してきたことが低金利につながった。そこに銀行の安直な融資が加わり、両国内で金融バフルが膨らんだ。
こうして日米は1980年代後半、バブル経済へと突入したのである。
日本に大量に財務省証券を買わせておきながら、アメリカ人自身は財務省証券は購入せず、アメリカの株式や不動産市場で儲けていた。金利を意図的に低く抑えることによって、日本と同様アメリカ市場も活性化した。しかしアメリカの場合、日本がその要請に従ったがゆえの活況だった。結局、日本の大蔵省は、自国の経済に低金利の貸し付けをあふれさせただけではなく、アメリカ経済へも巨額の資金を流出させ、アメリカの低金利をも可能にしたのである。
アメリカにとっては、まさにこれがプラザ合意の目的であった。当時は健全であった日本経済は、不健全なアメリカ経済への資金援助のために、自国の経済均衡を犠牲にするよう求められた。インフレを誘発するアメリカ経済が均衡を保てるよう、日本の通貨制度を不安定にしてアメリカと釣り合わせることを要求されたのである。このプラザ合意では、「釣り合い」と「均衡」を回復するためにという大義名分が掲げられたが、それは不健全な経済を健全にするのではなく、健全な経済を同じように不健全で不均衡でインフレ過剰のものにすることによって維持されたのである。
これを実現可能にしたのが日本であり、その結果、日本は深い痛手を負った.当時のアメリカはレーガノミクスによって、巨額の財政支出にもかかわらず富裕者の税金は削減され、貿易赤字と財政赤字が増加するにもかかわらず、金融緩和策がとられ金利は下げられていた。この後に続いた通貨供給量の増加と産業の空洞化はさまざまな問題を引き起こしたが、その治療をするよう求められたのはアメリカ国民ではなく、日本だった。
日本はブラザ合意でアメリ力の抱える双子の赤字に資金援助を行なうことに応諾したのである。この治療こそ、バブル経済で知られる状況である。
プラザ合意のお膳立て-金本位制に代わる財務省証券制になぜこのとき、日本はドルを支える必要性を感じたのか。この答えは、アメリカがいかにして自国の貿易赤字を他国に支払わせることができたかの理由にもなる。貿易赤字を抱えていれば、通常は消費や投資の抑制、さらには歳出削減や富裕者、特に不動産投資家への増税を行なう。そのために景気は減速する。
では、アメリカはいかにして、これを回避したのか.
ドルの還流政策がとられ始めたのは、アメリカが金本位制を廃止した1971年であった,べトナム戦争でアメリカは海外に莫大なドルをぱら撒いていたため、世界中の中央銀行が米ドルを1オンス35ドルで金に交換し始めた。しかし、日本のように国際収支が黒字の国は継続してドルを受け取っていた。
たとえば、べトナムのアメリカ兵が休養と娯楽のために日本に送られてくると、アメリ力は日本で使うために何十億ドルもの米ドルを円に交換した。この間のアメリカ経済は、消費財ではなく、いわゆる「ぺンタゴン資本主義」とも言える武器製造に集中した。原価に実定の利益を加算する原価計算方式によって、企業の経営者は製造費用をできるだけ高くし、価格にそれを反映させて儲けたため産業界は豊かになった。
これは市場競争にとってよい経験とはならなかった。コスト削減意識が培われなかったためである。
政治制度もまた、べトナム戦争とそれに関連する軍事支出に反対する多数の団体を買収することで成り立っていた。このような状況下でアメリカの消費者は急速に、自動車や電化製品などを海外のサプライヤ-から購入するようになっていった。
日本製品もアメリカ市場で売れるようになったが、日本のメーカ-はそこで得た米ドルを日銀で円に交換し、その円を生産設備の充実や住宅その他の投資に使った。日銀は集まったドルの使い道を決めなければならなかった。フランスでは、ドゴ-ル将軍が余剰ドルを毎月金に換えていた。しかし敗戦の痛手から抜け出せなかったためか、日本は他の主要国に比べて金の保有高を少なくするようアメリカに圧カをかけられた。つまり、余剰ドルをアメリカ保有の金や、さらには公開市場でも金に換えないように要請されたのである。
したがって、日本の輸出業者やその他のドル受領者が稼いだドルのうち、輸入やアメリカへの民間投資に必要な分を除いた余剰ドルを日銀はどうすることもできなかった。唯一残された選択肢は、日銀がドルを外貨準備金として、財務省証券の形で保持することだけだった。
このようにしてアメリカの対日貿易赤字は、日銀を経由してアメリカの財務省に還流していたのである。
通常は、貿易赤字を抱える国はなんとかしてそれを穴埋めしなければならない。
米ドルが金にリンクしていた1971年まではアメリカは金を売却することで赤字を埋めていた。
しかし、アメリカの金保有高が底をつきはじめると、金本位制を廃止して、別の方法を選択したのである。つまり、金利を上げて民間部門を外国資本に引きつけるのではなく、日銀に余剰ドルを財務省証券に投資するよう働きかけたのだ。財務省証券の利率は当時の市場の状態(およびその後のドル安)を考えると低かった。
日銀がこの財務省証券で得た金利は、アメリ力の投資家が海外直接投資で稼いだ金利よりずっと少なかっただろう。
アメリカに還流した日本の資金は、日銀の余剰ドルばかりではない。日本が金利を意図的に低く抑えることによって、アメリ力への投資は儲かるという幻想を抱かせることになったのである。
それは、確実に日本全体の経済を歪めていった。つまり、アメリカの外交官が日本の高官に圧力をかけたのと同じように、日本政府は日本の投資家に「アメリカに投資しなさい」とささやきかけたのだ。その結果は、もうお分かりだろう。バブル当時、多くの日本企業がアメリカの不動産や企業を買収し、またドル建て債券に金を注ぎ込んだが、その多くは膨大な損失となって日本経済を餌む一因となったのである。
こうしてアメリカは、金本位制から財務省証券制とでも言うべき体制を作り上げていった、そうして、まるで詐欺のような財務省証券制の成立に、もっとも貢献したのが日本なのである、日本は詐欺の片棒を担ぐというより、自国の経済を犠牲にしてアメリカに協力したのだ。
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晴耕雨読|「続:アメリカはいかにして日本を滅ぽしたか」 2006/8/29
http://sun.ap.teacup.com/souun/137.html
米国はいかにして日本を操っていたのか、その一端をニューヨーク市立大学教授、霍見芳浩氏の著書『アメリカ殺しの超発想』から見てゆく。
氏によれば日本を操るアメリカの秘密兵器は「小沢レバー」であった。レーガン、ブッシュ、クリントンは、小沢一郎を利用して市場開放、湾岸戦争への拠出金、米国からの武器調達等の要求を次々に日本に呑ませ、小沢はその見返りにリベートや利権を手にしてきた。
氏は、この「小沢レバー」を詳細にわたって暴露している。筆者によれば、米国はアメとムチの両方を使って小沢を操ってきたという。アメは在日米軍関係のリベートや、日本の特定市場開放に伴う日本の関係企業からの献金だった。もちろんこうしたリベートはただで与えられるはずはない。そこには恐喝というムチも利用されてきた。例えば小沢、池田、ノリエガの三角関係である。以下、同書からの抜粋である。
94年5月以来、ワシントンを起点にしてアメリカの各所に配られた「オザワ批判リポート」はもう1つ重大なことに触れている。まず、小沢氏が唱える「普通の国日本」は、その実態は日本戦略研究センターの「指針」でも明らかなように、日本の昔来た道、つまり、アジアでの軍事大国化と帝国主義的海外膨張を狙うものだとリポートでは的確に指摘している。実際に、アジア・太平洋諸国が「小沢ヒットラー」の出現かと、警戒し始めてもいる。そうした事情を背景に、小沢レバーがこれまで便利だったとはいえ、アメリカとしてこんな小沢氏の勢力拡大に力を貸していると、先々で大変な目に遭うよ、と問題のリポートが指摘したことは、すでにお話ししたとおりである。
そして次に、これに関連して同リポートは、小沢氏が創価学会名誉会長で偽本尊を作ったりしてとか会員の中でも批判のある池田大作氏と連携して、池田大作氏の野望である政教一致による日本の支配と、そのためのハク付けとして「ノーベル平和賞」の獲得に、小沢氏が協力している事実も暴露する。池田氏と同盟を結んでいる小沢氏は、アメリカにとってはますます好ましくない人間だとも明言している。実はこのくだりを読んだとき、私もひとつ思い出すことがあった。それは、ブッシュ前大統領が金丸、そして小沢両氏を思うままに操っていたころ、両氏に与えるアメ玉だけでは説明がつかないと思うことがいくつかあったのだ。そこで、CIAに近いアメリカ人が聞かせてくれたのが、小沢氏、池田氏、そしてパナマの独裁者だったノリエガ将軍を結ぶ線だった。
ノリエガ将軍は、ブッシュ氏がCIA長官時代には、その手先となって、キューバのカストロ首相やニカラグアなど中米の革命グループの撹乱に協力した。そして、その代償として、パナマを中継地として、時にはCIAの輸送機も使ってアメリカに南米コロンビア産のコカインを輸出(?)する暴挙を大目に見てもらっていた。このためにブッシュ氏の弱味を握ったとして、ノリエガ将軍は、ブッシュ氏が大統領となったアメリカを、好きなように操れると過信したのだ。
しかし、こんなノリエガを放置しておいたら自分の政治生命が危ないと知って、ブッシュ大統領は89年就任早々に、米軍による電撃的なパナマ侵攻をやって、ノリエガ将軍を「戦犯」として捕え、アメリカのフロリダにさらって来た。そして、同将軍を「アメリカへのコカイン麻薬供給の罪」もつけて秘密裁判にかけて有罪とし特別監獄の奥に閉じ込めてしまった。
このノリエガ将軍が吐かされたものの中に、池田大作氏が創価学界の金をパナマで運用し、ノリエガ将軍の麻薬取引の資金繰りにも使わせていたことと、このあがりから、池田氏は小沢氏へ相当な額を常時渡していたというものがあった。ブッシュ氏はこの自白の証拠書類もがっちりと手に入れて、金丸、そして小沢の両氏を操作するムチとして使っていた。もちろん、アマコスト駐日大使は、このムチを必要に応じて直接使用した中心人物であったということだった。この話は「小沢のパナマコネクション」として、アジア・太平洋諸国の政府の間にも知れ渡っている、と教えてくれたアジアの外交官もいる。知らぬは日本のみということだろうか。
ノリエガ将軍は池田氏に感謝の気持ちを表すため、1986年パナマに「池田パーク」を作り、また池田氏も翌年、そのお返しに富士山の麓に「ノリエガ将軍の石碑」を建立しているという。なぜ日本にはこのような情報が入ってこないのだろうか。
『アメリカ殺しの超発想』では、この「小沢のパナマコネクション」だけではなく、円高不況、モトローラ日本侵略大作戦、北朝鮮問題、コメ不足など、数々の事例を取り上げ、奴隷国家日本を今の今まで支えてきた政治家や官僚の内幕を、極秘の資料とエピソードで、しかも実名入りで解説する。
霍見芳浩(つるみ よしひろ)
ニューヨーク市立大学教授
『日本企業の悲劇』『日本企業繁栄の条件』『世界の心、日本の心』『地球時代を世界と生きる』『日本再活論』『地球時代の「会社の常識」』『脱大不況』など
http://sun.ap.teacup.com/souun/130.html
ビル・トッテン著『日本は日本のやり方で行け!』から、マイケル・ハドソン氏の「1985年プラザ合意の教訓とその影響」と題する論旨の要約です。
プラザ合意の真の目的とは……
1985年9月22日、ニューヨークのプラザ・ホテルで、日本は金利を引き下げることにより、ドルの為替相場を支えることに同意した.いわゆる「プラザ合意」である。これは世界経済安定のために、先進諸国が協調して相場に介入した事例として語られているが、ハドソン氏によれぱ、それは表向きのことにすぎないという。
当時大蔵大臣だった竹下登以下日本の高官は、日銀を含む日本の投資家にアメリカの貿易赤字の資金援助を行なうよう働きかけることにより、日本経済を歪めることに合意したのである。
具体的に言えば、日本が輪出で稼いだドルを米財務省証券(米国債)に投資させたのだ。
日本人は余剰ドル(日本の貿易黒字)を円に換えて日本国内(および海外の新しい生産設備)に投資するのではなく、そのドルをアメリカへ融資するよう求められたのである。
アメリ力の狙いは、これによって「ドルの還流」を刺激することであった。
アメリカ側は、もしこの要請を日本が受け入れなけれぱ、円に対するドルの価値を引き下げると脅かした。
ドルの価値が下がれば、海外における日本製品の価格が上がり、日本の輸出業者が苦しむことになる。またアメリカや他のドル地域(カナダやラテンアメリカ)に、日本がすでに投資した円換算の投資価値も目減りしてしまう。
そのため日銀は、価格の高い(すなわち、金利の低い)財務省証券を購入せざるをえなかったのだ。そして、それはさらに別の副産物を生むことになる。この取引によって日本は低金利政策を敷くことになり、またアメリカでも日本から大量の資金が流入してきたことが低金利につながった。そこに銀行の安直な融資が加わり、両国内で金融バフルが膨らんだ。
こうして日米は1980年代後半、バブル経済へと突入したのである。
日本に大量に財務省証券を買わせておきながら、アメリカ人自身は財務省証券は購入せず、アメリカの株式や不動産市場で儲けていた。金利を意図的に低く抑えることによって、日本と同様アメリカ市場も活性化した。しかしアメリカの場合、日本がその要請に従ったがゆえの活況だった。結局、日本の大蔵省は、自国の経済に低金利の貸し付けをあふれさせただけではなく、アメリカ経済へも巨額の資金を流出させ、アメリカの低金利をも可能にしたのである。
アメリカにとっては、まさにこれがプラザ合意の目的であった。当時は健全であった日本経済は、不健全なアメリカ経済への資金援助のために、自国の経済均衡を犠牲にするよう求められた。インフレを誘発するアメリカ経済が均衡を保てるよう、日本の通貨制度を不安定にしてアメリカと釣り合わせることを要求されたのである。このプラザ合意では、「釣り合い」と「均衡」を回復するためにという大義名分が掲げられたが、それは不健全な経済を健全にするのではなく、健全な経済を同じように不健全で不均衡でインフレ過剰のものにすることによって維持されたのである。
これを実現可能にしたのが日本であり、その結果、日本は深い痛手を負った.当時のアメリカはレーガノミクスによって、巨額の財政支出にもかかわらず富裕者の税金は削減され、貿易赤字と財政赤字が増加するにもかかわらず、金融緩和策がとられ金利は下げられていた。この後に続いた通貨供給量の増加と産業の空洞化はさまざまな問題を引き起こしたが、その治療をするよう求められたのはアメリカ国民ではなく、日本だった。
日本はブラザ合意でアメリ力の抱える双子の赤字に資金援助を行なうことに応諾したのである。この治療こそ、バブル経済で知られる状況である。
プラザ合意のお膳立て-金本位制に代わる財務省証券制になぜこのとき、日本はドルを支える必要性を感じたのか。この答えは、アメリカがいかにして自国の貿易赤字を他国に支払わせることができたかの理由にもなる。貿易赤字を抱えていれば、通常は消費や投資の抑制、さらには歳出削減や富裕者、特に不動産投資家への増税を行なう。そのために景気は減速する。
では、アメリカはいかにして、これを回避したのか.
ドルの還流政策がとられ始めたのは、アメリカが金本位制を廃止した1971年であった,べトナム戦争でアメリカは海外に莫大なドルをぱら撒いていたため、世界中の中央銀行が米ドルを1オンス35ドルで金に交換し始めた。しかし、日本のように国際収支が黒字の国は継続してドルを受け取っていた。
たとえば、べトナムのアメリカ兵が休養と娯楽のために日本に送られてくると、アメリ力は日本で使うために何十億ドルもの米ドルを円に交換した。この間のアメリカ経済は、消費財ではなく、いわゆる「ぺンタゴン資本主義」とも言える武器製造に集中した。原価に実定の利益を加算する原価計算方式によって、企業の経営者は製造費用をできるだけ高くし、価格にそれを反映させて儲けたため産業界は豊かになった。
これは市場競争にとってよい経験とはならなかった。コスト削減意識が培われなかったためである。
政治制度もまた、べトナム戦争とそれに関連する軍事支出に反対する多数の団体を買収することで成り立っていた。このような状況下でアメリカの消費者は急速に、自動車や電化製品などを海外のサプライヤ-から購入するようになっていった。
日本製品もアメリカ市場で売れるようになったが、日本のメーカ-はそこで得た米ドルを日銀で円に交換し、その円を生産設備の充実や住宅その他の投資に使った。日銀は集まったドルの使い道を決めなければならなかった。フランスでは、ドゴ-ル将軍が余剰ドルを毎月金に換えていた。しかし敗戦の痛手から抜け出せなかったためか、日本は他の主要国に比べて金の保有高を少なくするようアメリカに圧カをかけられた。つまり、余剰ドルをアメリカ保有の金や、さらには公開市場でも金に換えないように要請されたのである。
したがって、日本の輸出業者やその他のドル受領者が稼いだドルのうち、輸入やアメリカへの民間投資に必要な分を除いた余剰ドルを日銀はどうすることもできなかった。唯一残された選択肢は、日銀がドルを外貨準備金として、財務省証券の形で保持することだけだった。
このようにしてアメリカの対日貿易赤字は、日銀を経由してアメリカの財務省に還流していたのである。
通常は、貿易赤字を抱える国はなんとかしてそれを穴埋めしなければならない。
米ドルが金にリンクしていた1971年まではアメリカは金を売却することで赤字を埋めていた。
しかし、アメリカの金保有高が底をつきはじめると、金本位制を廃止して、別の方法を選択したのである。つまり、金利を上げて民間部門を外国資本に引きつけるのではなく、日銀に余剰ドルを財務省証券に投資するよう働きかけたのだ。財務省証券の利率は当時の市場の状態(およびその後のドル安)を考えると低かった。
日銀がこの財務省証券で得た金利は、アメリ力の投資家が海外直接投資で稼いだ金利よりずっと少なかっただろう。
アメリカに還流した日本の資金は、日銀の余剰ドルばかりではない。日本が金利を意図的に低く抑えることによって、アメリ力への投資は儲かるという幻想を抱かせることになったのである。
それは、確実に日本全体の経済を歪めていった。つまり、アメリカの外交官が日本の高官に圧力をかけたのと同じように、日本政府は日本の投資家に「アメリカに投資しなさい」とささやきかけたのだ。その結果は、もうお分かりだろう。バブル当時、多くの日本企業がアメリカの不動産や企業を買収し、またドル建て債券に金を注ぎ込んだが、その多くは膨大な損失となって日本経済を餌む一因となったのである。
こうしてアメリカは、金本位制から財務省証券制とでも言うべき体制を作り上げていった、そうして、まるで詐欺のような財務省証券制の成立に、もっとも貢献したのが日本なのである、日本は詐欺の片棒を担ぐというより、自国の経済を犠牲にしてアメリカに協力したのだ。
_________________________
晴耕雨読|「続:アメリカはいかにして日本を滅ぽしたか」 2006/8/29
http://sun.ap.teacup.com/souun/137.html
米国はいかにして日本を操っていたのか、その一端をニューヨーク市立大学教授、霍見芳浩氏の著書『アメリカ殺しの超発想』から見てゆく。
氏によれば日本を操るアメリカの秘密兵器は「小沢レバー」であった。レーガン、ブッシュ、クリントンは、小沢一郎を利用して市場開放、湾岸戦争への拠出金、米国からの武器調達等の要求を次々に日本に呑ませ、小沢はその見返りにリベートや利権を手にしてきた。
氏は、この「小沢レバー」を詳細にわたって暴露している。筆者によれば、米国はアメとムチの両方を使って小沢を操ってきたという。アメは在日米軍関係のリベートや、日本の特定市場開放に伴う日本の関係企業からの献金だった。もちろんこうしたリベートはただで与えられるはずはない。そこには恐喝というムチも利用されてきた。例えば小沢、池田、ノリエガの三角関係である。以下、同書からの抜粋である。
94年5月以来、ワシントンを起点にしてアメリカの各所に配られた「オザワ批判リポート」はもう1つ重大なことに触れている。まず、小沢氏が唱える「普通の国日本」は、その実態は日本戦略研究センターの「指針」でも明らかなように、日本の昔来た道、つまり、アジアでの軍事大国化と帝国主義的海外膨張を狙うものだとリポートでは的確に指摘している。実際に、アジア・太平洋諸国が「小沢ヒットラー」の出現かと、警戒し始めてもいる。そうした事情を背景に、小沢レバーがこれまで便利だったとはいえ、アメリカとしてこんな小沢氏の勢力拡大に力を貸していると、先々で大変な目に遭うよ、と問題のリポートが指摘したことは、すでにお話ししたとおりである。
そして次に、これに関連して同リポートは、小沢氏が創価学会名誉会長で偽本尊を作ったりしてとか会員の中でも批判のある池田大作氏と連携して、池田大作氏の野望である政教一致による日本の支配と、そのためのハク付けとして「ノーベル平和賞」の獲得に、小沢氏が協力している事実も暴露する。池田氏と同盟を結んでいる小沢氏は、アメリカにとってはますます好ましくない人間だとも明言している。実はこのくだりを読んだとき、私もひとつ思い出すことがあった。それは、ブッシュ前大統領が金丸、そして小沢両氏を思うままに操っていたころ、両氏に与えるアメ玉だけでは説明がつかないと思うことがいくつかあったのだ。そこで、CIAに近いアメリカ人が聞かせてくれたのが、小沢氏、池田氏、そしてパナマの独裁者だったノリエガ将軍を結ぶ線だった。
ノリエガ将軍は、ブッシュ氏がCIA長官時代には、その手先となって、キューバのカストロ首相やニカラグアなど中米の革命グループの撹乱に協力した。そして、その代償として、パナマを中継地として、時にはCIAの輸送機も使ってアメリカに南米コロンビア産のコカインを輸出(?)する暴挙を大目に見てもらっていた。このためにブッシュ氏の弱味を握ったとして、ノリエガ将軍は、ブッシュ氏が大統領となったアメリカを、好きなように操れると過信したのだ。
しかし、こんなノリエガを放置しておいたら自分の政治生命が危ないと知って、ブッシュ大統領は89年就任早々に、米軍による電撃的なパナマ侵攻をやって、ノリエガ将軍を「戦犯」として捕え、アメリカのフロリダにさらって来た。そして、同将軍を「アメリカへのコカイン麻薬供給の罪」もつけて秘密裁判にかけて有罪とし特別監獄の奥に閉じ込めてしまった。
このノリエガ将軍が吐かされたものの中に、池田大作氏が創価学界の金をパナマで運用し、ノリエガ将軍の麻薬取引の資金繰りにも使わせていたことと、このあがりから、池田氏は小沢氏へ相当な額を常時渡していたというものがあった。ブッシュ氏はこの自白の証拠書類もがっちりと手に入れて、金丸、そして小沢の両氏を操作するムチとして使っていた。もちろん、アマコスト駐日大使は、このムチを必要に応じて直接使用した中心人物であったということだった。この話は「小沢のパナマコネクション」として、アジア・太平洋諸国の政府の間にも知れ渡っている、と教えてくれたアジアの外交官もいる。知らぬは日本のみということだろうか。
ノリエガ将軍は池田氏に感謝の気持ちを表すため、1986年パナマに「池田パーク」を作り、また池田氏も翌年、そのお返しに富士山の麓に「ノリエガ将軍の石碑」を建立しているという。なぜ日本にはこのような情報が入ってこないのだろうか。
『アメリカ殺しの超発想』では、この「小沢のパナマコネクション」だけではなく、円高不況、モトローラ日本侵略大作戦、北朝鮮問題、コメ不足など、数々の事例を取り上げ、奴隷国家日本を今の今まで支えてきた政治家や官僚の内幕を、極秘の資料とエピソードで、しかも実名入りで解説する。
霍見芳浩(つるみ よしひろ)
ニューヨーク市立大学教授
『日本企業の悲劇』『日本企業繁栄の条件』『世界の心、日本の心』『地球時代を世界と生きる』『日本再活論』『地球時代の「会社の常識」』『脱大不況』など
逃げたくなるような
マトリクスの世界でいいです
そこでだまされながら生きていたい
と思ったら負けですかね
マイケル・ハドソンが言っていることは、10数年前日本のいくつかの雑誌でも指摘されていた。
ここではもっぱらアメリカ要因が強調されているが、日本要因にも触れている本として三國陽夫「黒字亡国―対米黒字が日本経済を殺す」(文春新書/2005) を参考。