●第21回「クロスカルチャー下でのチームワーク、そして朝青龍問題
~それぞれの国の文化・習慣をどう乗り越えるか~」
[時間感覚と仕事]
まず、自分が日本人だと気づいたのは、時間に忠実なこと、「時間厳守は当たり前」というのが、小さい頃からDNAに刻まれた、習慣だった。
この時間感覚が、なんとモロクモくずされたのが、東アフリカでの仕事場。ミーティングの開始時間になっても、顔をみせるのは、日本人ばかり、現地の東アフリカ人は、15分、30分遅れが当たり前。
何で、日本人はいつも最初に座っているんだ、という顔をされるのが普通だった。
メルボルンでは、グループ・アサインメントが学生に課せられていて、科目によっては、1回~2回は、他カルチャーの学生と組んで、レポート書きをやるのが一般的だ。
今までのクラスメイトの国籍を思い出してみると、中国、韓国、ベトナム、タイ、インド、 インドネシア、オーストラリア、フランス、 メキシコ、フィリピン、パキスタンなどだ。他のグループでは、また、違った国籍の学生がいたが。これはもう、多国籍企業の各地域の職場が一つになったような雰囲気。
今から振り返れば、各学生は、知ってか知らずか、それぞれ自分の文化を背負っているんだなあ、との思いがある。
例えば、直前に平気でミーティングをキャンセル(何回も)する仲間もいれば、
必ず、指定時間を守って、最初から待っている仲間(私も含めて)もいるし、
レポートの最終段階のまとめで、自分の担当分野は提出したので、自分の役割は終わったからあとは皆さんでどうにかしてくれ、という仲間もいたし、最後まで、一緒に協力するのが当たり前という仲間もいた。
文化の影響なのか、個人の価値判断の基準なのかは不明だけれども、厳然と違いは存在した。
[時間厳守]
この時間感覚による文化の違いは、クルックホーンやトロンペナーズなどによる、
時間感覚(過去志向、現在志向か未来志向か)の違いなんだな、と思われる。
日本人は、未来志向というか、段取りが分かっていて、今これをやらなければ、将来はこうなるというのが知らず知らず見えてくるので、今の時間を几帳面に重視する。
一方、現在志向の人たちは、不確定の未来より、今、一番自分にとって大事な事柄を優先する。だから、ミーティングのキャンセルも一向に構わない。日本人の思考・態度は、どうも未来志向の代表選手、アメリカの仕事文化に影響をされているようだ。もちろん、このグローバリゼーション/フラット化の世界では、文化の収斂化(コンバージョン。ある文化が他へも伝達して、一定の影響を与える)があり得るわけで、これは、国民性というより、個人の文化かも知れない。
[異文化の衝突:朝青龍問題](~謝罪か矜持か~)
さて、昨夜の記者会見と横綱審議委員会(横審)での「反省・謝罪」で、朝青龍問題は一見落着を見たようだ。
身近のモンゴル人の友人に、一連の朝青龍問題を率直に聞いた。
彼は一言、
「あのような細かいことは、モンゴルの文化にはない」との答えだった。
複数のモンゴル人に尋ねなければ、正確なことは言えないが、クロスカルチャー(交じりあう文化)の理論を勉強した立場としては、この朝青龍問題は、日本文化とモンゴル文化の衝突のように思われる。
日本文化によれば、「謝罪」をすれば、水に流してくれる文化がある。「謝罪」とは「ごめんなさい」と皆の前で、頭を下げることである。会社の不祥事のたびに、トップが頭をさげるニュースを、これまで何度見たことか。この「頭を下げること」で、感情的には満足がもたらされるが、筋の通るような結論は得られず、概してうやむやになり、将来に向けて失敗を活かすことが不可能になる。
角界は、伝統的日本文化を体現しているため、この「頭を下げる」ことをまず望んだし、国民も、それを見て、胸をなでおろし、許してしまう。
他方、
会見の内容を読む限り、
朝青龍は、非常に、合理的な人間のようだ。
プライバシーのことについては、個人主義の国の人間と同じ回答をしている。
ここからは、私の推測だが、
もし、モンゴル人の矜持(プライド)あるいは価値観に関して、「細かいことをぐずぐず言うのは、男らしくない」、「モンゴル人は、大きなこと、つまり、相撲で実績を出せばいい」という価値観が大勢をしめるのであれば、この問題の発端になった、『腰や左ひじのけがを理由に夏巡業への休場届を出しながら、故郷のモンゴルでサッカーに興じたこと』に対しての、相撲界の反応は、彼には、全くと言っていいほど、理解できなかったのではないか、と思う。
今回の問題を振り返ってみよう。
モンゴルでの病欠時のサッカーを端緒に、
最終的には、
「横綱としての品格に欠ける」がスローガンとなり、
ある種のキャンペーンが始まったように思われる。
-礼をしないで土俵を下り、花道では座布団を蹴り上げた。
-過去、朝青龍は03年名古屋で旭鷲山のまげをつかんで横綱として史上初の反則 負けを喫し、綱の品格を厳しく問われた。
-けたぐりで勝利した。
-報道陣に舌打ちし、にらみつけた、等々....。
何か話しがオカシイなあ、とずっと思っていた。
そこで、二三の疑問がある。
誰が、朝青龍を横綱として選んだのか。選んだ人たち(横綱審議委員会。横審)の責任は、どこへいったのだろうか?
まず、品格の欠ける横綱を選んだ、自身の反省を述べ、選んだのが間違ったのだから、後から、ぐずぐず言うのも、なんだか、大人気ない気がする。
よっぽど、内舘牧子女史の言うように、「引退勧告」を主張した方が、筋が通っているように思える。
次は、「横綱の品格」とは何か、だ。
スポーツの世界では、勝負に勝てばいい。しかし、相撲や、伝統的武道では、勝負だけでなく、「礼」が重視される。これは、日本文化で育った人であれば、言わずとも、分かっている。もちろん、世界の一流のアスリートたちは、マナーを含め、それなりの風格を備えていなければならない。さて、日本文化で育てられなかったスポーツ人はどうすれば、いいのか?
よきメンター(指導者)を探す。この場合、身近にいなければ、過去の尊敬された横綱の態度(特に、日常の作法など)をビデオや門下生から学習すること(ロール・モデル)が必要だ。日本文化で育った人では当たり前のことが、そうではない人間には、理解できない。理解できなければ、態度として表れない。理解できない者に対して、「違う、違う」といっても、どう違うか、分からない。
ここは、はっきり、「こういう人が横綱の見本だ」と説明し、示さなければならない。
次に、日本側、特に、横審の態度だ。
スポーツ報知12月1日によれば、
『26日の委員会終了後には「私の中では引退した力士だ」として、引退勧告をするべきという意見を持つ内館牧子委員(脚本家)も態度を軟化。「私の正面に座った横綱の目をじっと見ていたのですが、終始伏し目がちだった。もっとふてぶてしいと思ったが、反省のあらわれが出た態度だと思った。横綱として、してはいけないことをしたことは十分、分かっているようだった。今後を見守りたい」と、話した。』 とある。
あの理知的な内館委員でさえ、他文化の理解を拒否し、日本文化を強要し(「終始伏し目がちだったから、反省しているだろう」)、胸をスッキリさせたかったのであろうか。ふてぶてしさは、日本文化ではマイナスだ。でも、モンゴル文化では違う意味をもつとしたら、どうなるのだろうか。それとも、日本人になれ、と要求しているのだろうか。朝青龍は確かに外見的には、日本人に好感をもたれない顔つきだ。その種のことが、言外に、品格に含まれるとしたら、美顔の大鵬のような横綱以外、ちょっと考えられない。彼にはどうしようもないことだ。
これも、なんとも、大人気ない。
一方アメリカでは、大リーグで活躍する、アメリカ的でない小刻みな(日本的な)ベースボールは、勝負に勝つという視点から、非難されるどころか、受容され、尊重されてきている。
文化によっては、同じ態度が違う意味合いを持つことが多い。
例えば、
「腕を組んで話を聞く」:他の文化では、相手に対しての丁重さを示すこともある。
「貧乏ゆすり」:他の文化では、リラックスのための単なる運動以上の意味合いはない、等々。
* ちなみに、ある心理学者による、「この笑顔が本当かウソか」を見極めるテストを受けてほしい。どれだけ、人間の眼識が不確かかが理解できるに違いない。(時間は、約10分間、20の表情で判断されます)
http://www.bbc.co.uk/science/humanbody/mind/surveys/smiles/
<やり方は、下記参照>
クロスカルチャー下での人間関係をスムーズにさせるためには、
次のようなモデル(解決策)が推奨されている。
○エスノセントリック(拒否・否定、守り、脅威を最小限にする)から
エスノレラティブ(受諾・容認、認知的適応、態度的適応)へ。
**エスノセントリックとは、
一民族中心主義、自国中心主義、自グループ中心主義のことで、自分以外の他の文化に対して、知識も興味もない状態で、まず他文化への理解拒否あるいは否定。次の段階では、他の文化の存在を知るが、それはその国だけに有効だと考える。他の文化を取り入れるときは、自国文化より優れていると認めたとき、取り入れる(その国の人のようになる)、これは「守り、防御」の段階。3番目の状態は、「守りの段階」で感じていた脅威が、自国の文化がなんだか普遍性(優位性)がありそうだという感覚になり、脅威を最小限にするために、文化の差を受け入れる。
エスノレラティブとは、
自国文化を、数多くの他の有効な世界観の正に一つであると感じることで、他の文化を容認する。次に、共感の段階。つまり、他の文化を理解し、それに相応しい方法で行動できるような段階。この経験を深めることが、2元文化あるいは多元文化理解の土台になる。異なった文化世界観の中に入ったり、出たりする、融合の段階となる。
また、心がまえとしては、HEROがよく言われている。
H: Honesty (正直・率直な会話につとめる。腹芸は通じない)
E: Empathy(共感をもって接する。同情ではなく、EQの問題)
R: Respect(相手を尊重する。見た目や態度だけで判断するのではなく、相手の文化・価値を尊重した上で、判断する)
O: Open Mind(偏見をもたない、広い心で接する).
これを実現するには、現実には、かなり大変だが。
さて、蛇足になるが、ちょっと気になることを。
英語のCross Cultureを日本語に翻訳すると、「異文化」と言うらしい。日本文化が、自文化あるいは同文化で、異文化とは、日本文化以外の他の文化ということらしい。私の理解では、クロスカルチャーとは、異文化と異文化の出会いの場、つまり、文化が交差する場所、「交じりあう文化」と考えた方が、未来志向だと考えますが、いかがでしょうか。
その場合、見た目(相手の態度など)で判断するよりも、より合理的(理知的)に判断する方が、的確な結果が得られるのではと、思われます。
<やり方:笑顔のウソかマコトか>
http://www.bbc.co.uk/science/humanbody/mind/surveys/smiles/
このサイトを開いたら、
最初に、
・Overall outlook on life (人生への全般的な態度。楽観的か悲観的か)当てはまる位置をクリック。
・Confidence rating of your skill at descriminating between fake and real smiles (ウソか本当の笑顔かを見極める目についての自信度。低いか高いか)当てはまる位置をクリック。
⇒next をクリックして、スタート。
⇒1ページ目。写真の左下のボタンをダブルクリックして、その笑顔が、Genuine(本当)か Fake(ウソ)か、どちらかのボタンをクリック。
⇒next をクリックする。以下、同じ。
上記のクイズは、
カリフォルニア大学の心理学者ポール・エックマン教授の研究を基に作成されたもの。
【参照】
■一転!?甘~い横審「今回の件はこれで終わり」…朝青龍帰国(2007年12月1日06時02分スポーツ報知)
http://hochi.yomiuri.co.jp/sports/sumo/news/20071201-OHT1T00067.htm
■朝青龍逆ギレ「反省」謝罪会見直後、報道陣に舌打ちにらみつけ(2007年12月1日06時02分 スポーツ報知)
http://hochi.yomiuri.co.jp/sports/sumo/news/20071201-OHT1T00069.htm
■【朝青龍会見ライブ(1)】心からおわび申し上げる
【朝青龍会見ライブ(2)】サッカー頼まれ断れなかった
【朝青龍会見ライブ(3)】進退問題が出ないよう頑張る
【朝青龍会見ライブ(4)完】品格磨いていきたい
(11/30 MSN産経ニュース)
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/sports/sumo/106960/
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/sports/sumo/106962/
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/sports/sumo/106967/
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/sports/sumo/106984/
■朝青龍黒星、座布団蹴散らす/夏場所
(日刊スポーツ2007年5月23日)
http://www.nikkansports.com/sports/sumo/p-sp-tp3-20070523-202798.html
■朝青龍ひざ蹴り!6連勝1差接近も波紋…春場所8日目
(スポーツ報知 2007年3月19日)
http://hochi.yomiuri.co.jp/sports/sumo/news/20070319-OHT1T00104.htm
■朝青龍の「けたぐり」批判「横綱らしい取組を」…横綱審議委員会スポーツ報知(スポーツ報知 2006年11月28日)
http://hochi.yomiuri.co.jp/sports/sumo/news/20061128-OHT1T00077.htm
●Milton J. Bennett (1998), Basic concepts of intercultural
communication, Published Yarmouth, Me. : Intercultural Press
●Kluckhohn, F. R. and Strodtbeck, F. L. (1973), Variations in value orientations, with the assistance of John M. Roberts, Westport, Conn., Greenwood Press
●Trompenaars, F. (1998), Riding the waves of culture: understanding cultural diversity in business, McGrow Hill
●Trompenaars, F. and Prud’homme, P. (2004), Managing Change across Corporate Cultures, Capstone Publishing
☆左側の写真は、(c) 1998 Oliviero Toscani for Benetton and the United Nations Celebrate the 50th Anniversary of the Decalration of Human Rights - 1998