木村長人(きむらながと)。皆さんとつくる地域の政治。

1964年(昭和39年)千葉生まれ。元江戸川区議(4期)。無所属。

「安全宣言」と「危険宣言」はともに慎むべき

2011-07-28 03:15:24 | 地方自治
 7月8日の話題になります。実は私は直接参加できなかったので、詳しい情報を入手したのはつい最近です。あらためて入手した記事(注1)を読み、興味深い議論だと思いましたので、自身のブログ記事として取り上げることにしました。放射線をめぐる話題です。

 先月(6月)だったと思いますが、千葉県柏市など各地で相対的に高い線量値が測定され、放射線プルームの現象によるホットスポットの問題が指摘されました。柏市には、新領域科学を研究する東大柏キャンパスがあります。そして、ここでも0.25~0.35マイクロシーベルトという相対的に高めの線量が観測されました。

 ところで、東大はこの放射能情報に関してホームページ(東京大学環境放射線情報)にて次のように記述していました。「少々高めの線量率であることは事実ですが、人体に影響を与えるレベルではなく、健康にはなんら問題はないと考えています。」と。

 実はこの記述は6月14日までの記述で、今はこの表現は確認できません。新聞でも目にした方がいらっしゃると思いますが、大学のこの記述をめぐり、教員内から批判があがったのです。物理研究所の押川正毅教授ら45人の教員グループが、①「健康になんら問題はない」という断定的記述の回避、②柏キャンパスと高い放射線量の因果関係が原発事故にあることの明記、③線量測定の再開、などを盛り込んだ改善要求の文書を、6月13日、総長に提出しました。特に問題視されたのは①の「健康にはなんら問題はない」という記述です。

 結局、翌14日に東大は記述を次のように改めました。「従来の疫学的研究では、100ミリシーベルト(1回または年あたり)以下の被ばく線量の場合、がん等の人体への確率的影響のリスクは明確ではありません。(以下、省略)」

 その後、ホームページの記述を批判した教員グループへの賛同者は73人(注2)に増えたということです。記述変更に対する説明も不十分だとして、まだ問題がくすぶっているようです。

 一連のホームページ問題がことの伏線になっていたのかもしれません。実は、7月8日に東大(本郷キャンパス)にて、放射線リスクの伝え方や対策をテーマとした、東大の教員同士による討論会が開催されました。登壇したのは5人の教員で、当日は名指しの批判も交わされ、予定調和を配した白熱した4時間半におよぶ議論だったようです。

 5人の教員とは、中川恵一教授(放射線医療)、島薗進教授(宗教学)、一ノ瀬正樹教授(哲学)、伊東乾准教授(情報学、作曲家)、影浦峡教授(言語学、メディア論)です。ここで私が惹かれた議論は、<中川氏>vs<島薗氏+影浦氏>という構図の、忌憚のないやりとりです。『東京大学新聞』の記事を参考に、この部分に焦点を当てて、簡単にご紹介したいと思います。

 議論を通して最も話題となったのは、専門家が一定の放射線量をもってして「大丈夫だ」と評価することの社会への影響という点だったようです。それゆえでしょう、当日の質疑の多くは放射線医療専門の中川氏に向けられたそうです。そしてまた、島薗氏と影浦氏による批判もまた中川氏にダイレクトに向けられたものでした。

 中川氏は、そもそも医者としての立脚点から、ある信念を持っているということを述べています。それは、医者は患者を安心させることが必要であり、「大丈夫と言わなければいい医者ではない」というものです。これが同氏の医者としての、また専門家としての信念なのだとすると、なるほど、2011年7月1日付の「広報えどがわ」1面にて、現状の区内放射線量をして「安心して生活できるレベルです」と明言していることも理解できます(「理解できます」とは「納得している」とか「納得していない」という評価は抜きにした、論理性に対する理解という意味においてです)。

 ところで、中川氏の立場を、先入観を持って最初から悪者のように評価するのではなく、みなさんが客観評価できるよう次の点も付言しておきます。同氏は「原発はやはり漸進的に置き換える必要はあるように思う」「政府・電力会社からは一銭ももらっていない」ということも、提題の中で明言しておりました。また、先の東大ホームページのくだんの記述には中川氏はいっさい関与していないということが議論の中で明らかにされました。

 さて、こうした中川氏の見解に対し、島薗氏と影浦氏から鋭い批判が向けられました。

 島薗氏はこう述べています。中川氏や山下俊一長崎大学教授らは「100ミリシーベルト以下は安全であるかのような言い方をしている」と。この発言の大前提として、島薗氏が国際放射線防護委員会(ICRP)勧告の「閾値(しきいち)なし直線仮説」(注3)を意識しているのは間違いないでしょう。と言うのも、島薗氏は宗教学の専門家ではありますが、実は医者の家系に生まれ、自身も東大の理IIIに進学し、後に文転したという経歴の持ち主です。精神科医であった父親は米軍の命令を受け、原爆後の広島で脳を拾い集めさせられたそうです。

 島薗氏の批判は中川氏を通り越し、さらに現代の医学にまで発展しています。「調査自体は必要だが、みんなが苦しんでいるときに、なんら患者のためにならないことをするのは、医学なのか」「東大などの医学者の態度には、患者の治療には見向きをせずに調査票だけで分析しようという姿勢があった」(注1に同じ)と。なるほど、深く考えさせられる発言です。

 影浦氏は、中川氏の「大丈夫」発言をとらえ、次のように批判します。「中川准教授の意図は問題ではない」(注1に同じ)、そうではなく、その発言による社会への影響が問題なのだ、と。

 先の島薗氏も同趣旨の観点から、東大ホームページの「健康に影響はない」記述が、筆者の意図とは無関係に利用されてしまうことを指摘しました。この記述が周辺自治体のホームページに引用され、また除染が不要であるといったことにまで利用されたというのです。

 以上が、放射線リスクをテーマとした東大教員同士による討論会の、特に<中川氏>vs<島薗氏+影浦氏>の議論の要諦です。

 最後に、私自身の意見です。私は、ICRPの「閾値(しきいち)なし直線仮説」が科学的にも、論理的にも、きわめてまっとうな考えであると思います。100ミリシーベルト以下の低線量が現代の科学では評価のしようがないというのですから、その状況下でのガンの発生リスクは線量に応じて直線的に増減すると推定するのが自然であることは、誰の目にも明らかです。まず、これが大前提です。

 そうすると、低線量の被ばく状況にあるとき、もはや「安全である」とか「安全でない」という評価をすること自体が、そもそも間違っているということにならないでしょうか。科学的に評価できないことを踏み込んで評価するというのは、ある種のパターナリズム(注4)だと思います。(くしくも、中川氏もパターナリズムであることを認識しての対応だと述べていました。)

 行政や経営の執行者側が、関係者一般を安心させたいという気持ちに駆られる心理は分からないではありません。しかし、「仮説」の世界にパターナリズムによる評価を下すということは、その非科学的な評価と記述に一人歩きを許す余地があるということだと言えます。

 困難な課題ではありますが、「安全宣言」も「危険宣言」もともにすべきではなく、ICRP勧告の「閾値(しきいち)なし直線仮説」を平易な言葉で繰り返し説明するということ、さらに不安に駆られる人が一定程度いる以上、観測データの収集とその迅速な公開、さらに除染方法など対策の情報提供を行うことなどが、執行者側としてできるぎりぎりの対応であると思われます。



(注1)『東京大学新聞』2011年7月19日、1面、3面

(注2)『東京大学新聞』2011年7月26日、2面

(注3)低線量リスクの不確かさを前提にした立場。低線量(<100ミリシーベルト/年>以下)の被ばくでもガンになるリスクの増加はゼロとは言えず、リスクは被ばく線量に応じて直線的に増減するとみなす、という仮説。

(注4)強者(父)が弱者(子)の権利を守るためとして、弱者の意思決定や権利に干渉すること。国家が個人の意思に干渉したり、医者が患者の意思に干渉するなどの類型がある。



江戸川区議会議員 木村ながと
公式HP http://www5f.biglobe.ne.jp/~knagato-gikai/
ブログ http://blog.goo.ne.jp/knagato1/
ツイッター http://twitter.com/#!/NagatoKimura