木村長人(きむらながと)。皆さんとつくる地域の政治。

1964年(昭和39年)千葉生まれ。元江戸川区議(4期)。無所属。

リスクは全体で考える (福士政広氏の講演 その3)

2011-09-20 02:53:09 | 地方自治
●現在の状況下で区内の子どもの生活で気を付けるべきことは、土や砂を体内に入れないようにすること。それから、リスクを総体的にとらえること。つまり、放射能による確率的影響のリスクばかりに気を取られず、急激な環境変化、精神的なストレス、受動喫煙などのリスクも存在するので、全体のリスクを考えてあげる必要があるということ。

⇒第一の土や砂の吸引に気を付けるようにというのは無条件で納得できることでしょう。問題は第二点目のとらえ方。言い方によっては、一歩間違えば、「放射線の確率的影響を気にしすぎる親はちょっと神経質だ」的な非難にも聞こえてしまいます。そういう反応を示す方も少なくないでしょう。

 福士氏はここまでも多くの実証データとともに淡々と諸説を紹介されていたので、低線量被ばくの確定的影響があるというデータもあれば、そういう関連性が認められないというデータもあることを、すでに広く理解している立場の学者として冷静に口にしただけなのだと思います。

 しかし、学者を除けば、そうした実証データを広く知らないわれわれ一般人は(議員も含め)、子どもの身に起こるかもしれない確率的影響を、かりに必要以上に心配したとしてもやむを得ないと思います。私たちは、低線量被ばくのリスクに関するこれまでの研究データなるものを広く知らないのです。低線量であろうと放射線は怖い、子どもに影響大だと考えても、それは自然なことです。

 福士氏は「正しく怖がること」という表現を一度使用していました。確かにそうなのでしょう。しかしそれは、放射線を専門とする学者だから判断できることであり、専門家だから言える言葉にほかなりません。冷静に考えれば、確かに確率的影響ばかりではなく、子どもに「放射能は怖い。あれもダメ。これもダメ。」と諭し続けることで知らず知らずのうちに彼らに精神的ストレスを与えていることはありえることです。まさに他のリスクを提供してしまっているということです。

 しかし、放射線の恐ろしさを、科学的にというよりも、気分的に何となく感じている素人一般の立場からすれば、「確率的影響ばかり気にしないでください。冷静に。リスク全体を考えてください。」と言われて、すぐにそのように理解できる人は少数だろうと思います。頑張って生きていくことに疲れて、鬱病(うつびょう)になっている人に向かって、「それじゃダメです。頑張ってください。」と言って、逆効果に作用するのと少し似ているような気がします。

 全体のリスクを考えるべきという福士氏の指摘は正しいと思います。放射線も「正しく怖がる」べきなのでしょう。そうできるに越したことはありません。しかし、それが一般に広く理解されるかと言えば、疑問です。子どもをめぐるリスク全体をどのように伝えれば、専門知識を持たぬ他者にも冷静に理解してもらえるのかというのは難しい問題です。私にも即答が準備されているわけではありません。ただ、福士氏の話全体のポイントの一つがここにあると気づいたとき、専門家が言うところの「正しき知識」(注2)を伝えることの難しさも同時に感じました。

●広島、長崎の原爆の事例では、100ミリシーベルト以上の被爆の場合、排卵後8~15週の間に子宮内被爆した子どもには重度の精神発達の遅れの例が認められた。マウスによる実験の事例では、妊娠後期に大量の放射線を浴びると生まれたマウスの子が悪性リンパ腫などにかかる危険性が高まることが確認されている。

●同じ放射線を浴びた場合でも、胎児の成長時期によりその影響の現れ方は異なる。妊娠初期に50ミリシーベルト浴びると胚は死んでしまい、8~15週では100ミリシーベルトで重度の知的障害が現れ、胎児の器官形成期に150ミリシーベルト浴びると奇形が現れる。

⇒上記はいずれも確定的影響の話だと理解しています。

●放射線取扱者に対する線量限度については、実効線量限度は100ミリシーベルト/5年(ただし、50ミリシーベルト/年)であり、等価線量限度は目の水晶体では150ミリシーベルト/年、皮膚では500ミリシーベルト/年である。

⇒素人にはあまり実感のわかない数字です。ちなみに、等価線量というのは、1990年ICRP勧告に基づいて、放射線の吸収線量(グレイ)に放射線荷重係数をかけて求めるもので、被ばくした人体組織や臓器への被ばく線量のことを意味します。単位はシーベルト。1977年ICRP勧告では、放射線荷重係数ではなく、ある一点の吸収線量を測るための線質係数という係数が利用されており、吸収線量にその線質係数をかけ、線量当量というものが算出されていました(単位は同じくシーベルト)。

 実効線量というのは、被ばくした組織や臓器の相対的に異なる感受性を考慮し、等価線量に組織荷重係数という数字をかけたものだそうです。被ばくした場合の、人体への実際の影響量を示す数値です。ともに『放射線防護の基礎』48~50頁に算出式などが解説されているのですが、基本をおさえていないと、計算すらうまくできそうにありません。

●がん因子のがん死亡率への寄与率は以下のようになっている。すなわち、喫煙30パーセント、食習慣と肥満30パーセント、座ってばかりいる職業の要因5パーセント、がんの家族歴(遺伝)5パーセント、・・・、飲酒3パーセント、環境汚染2パーセント、放射線・紫外線2パーセント、・・・。

⇒この寄与率のスライドを示した福士氏の意図が、がんになるリスクは多数あるのだということをわれわれに示すことにあったのは、間違いありません。生活全体のリスクで考えるべしという、福士氏の講演の論点を考えれば、それは分かります。ですが、低線量下にある現況で気をもむ一般の人々に対し、いまここで提示すべき資料かと言えば、大いに疑問です。第一、この寄与率のデータは福島事故以前の平時の統計に基づくものです。今この場で、この資料は何の説得力もない、と思いました。

●地球生命の歴史における二大毒素は自然放射線よりもむしろ紫外線と酸素である。

⇒これは2つあとのスライドを説明するための布石で置かれたスライドだったのですが、最初、ここでこの史実を提示する意図がよくわかりませんでした。福島事故後の低線量下の現状をあまり心配しないように、という意図からの提示なのかなと推測したのですが、もしそうだとしたら、むしろ逆効果だと思いました。先の「がん因子のがん死亡率への寄与率」のスライド同様、自然に営まれてきた地球史の平時の状況を解説しても、人為的事故のよる緊急時における人心の不安解消には結びつきません。

●放射線に対して人体は防護機構がある。DNAの傷をみてみると、一日に細胞一つにおいて2万の塩基損傷があるが、1ミリシーベルトの被ばくにおける細胞一つの塩基損傷は0.3個にすぎない。

●DNAは、生命の進化の過程で、紫外線と酸素という毒素に対する防護機構を構築してきた。この防護機構は放射能に対しても有効である。

⇒先にも記したとおり、自然放射線だけに囲まれた状況にあるならば、これはこれで理解できる指摘です。ただ、福島の事故後、日本人が日頃触れてきた自然放射線の量よりも多い放射能に囲まれているのが今の状況です。たとえその量が微量だと呼ぶとしても、です。そんな状況下、この防護機構の指摘がそのまま適用できるのか、それこそ、それに対する実証データはありません。日本人は初めての低線量被ばくを今経験しているのですから。

●100ミリシーベルト以下の低線量下では有意ながんの増加は見られない。

⇒そういう結論は十分ありうると思います。しかし、ICRPの閾値なし直線仮説のことも考えあわせれば、確率的影響を完全に排除できるものでもありません。他の自然科学とは異なり、実験が困難な分野であるがゆえに、放射線被ばくをめぐる疫学調査の実証データは決して豊富だとは言えないでしょう。予防原則に基づいた対応が敷かれてしかるべきです。

 ちなみに「有意」というのはここでは統計学や確率の用語です。単なる偶然ではなく、関連性や意味があると考えられること、という意味です。

●被爆二世と対照(被ばくしていない)二世の人たちの遺伝病の調査では、両者の間の違いはほとんど認められない。遺伝的影響はほとんどないというのが分かってきている。

⇒確率的影響のうち、低線量被ばくと遺伝的影響にはあまり関連性がなさそうだという指摘です。身体的影響を否定するものではもちろんありません。それから、実は福士氏のスライドでは「被曝二世」という「曝」の字が使用されていました。原爆による被爆事例の説明だと理解していたので、おやと思ったのですが・・・。単なる誤字なのか、あるいは専門的にはこういう用語もあるのでしょうか。不明です。


(注2)もちろん、そもそも「正しき知識」なるものがどのような知識なのかが大きな疑問であることは分かっています。例えば、放射線と白血病の相関関係の解釈がなぜ複数あるのか。一体どれが「正しい知識」なのか。この問題には、ここではあまり深入りはしません。話が進まなくなってしまいます。


(今日はここまでですが、まだ話は続きます。明日は閾値なし直線仮説をめぐる諸説の話の部分をアップする予定です。)