徒然なるままに、異議申し立て

文学・政治・思想・哲学など、心に引っかかる事柄について思ったまま、感じたままを綴る

ふざけるな!(5)――「殺すな!」をもう一度。

2017-09-24 08:54:21 | 日記
 要するに、何が何でも「アメリカは一番でなければだめ」「アメリカこそ唯一の超大国」といった、およそ現実とはかけ離れた世界認識の持ち主である「好戦家」であり「死の商人=ビジネスマン」であるトランプ・アメリカ大統領に「ポチ」よろしく追随し続ければ存在感を増す、と錯覚=幻想している安倍首相に一番欠けているのは、もし戦争が起こったとしたら、「敵・味方」の区別なく大量の犠牲者(死傷者)が出ることに対する「想像力」である。
 それに加えて、あえて言うならば、自分に子供や孫がいないからなのか、「日本の将来像」に対するビジョン=想像力も欠如していると言わねばならない。
 安倍首相の目には「現在(今)」しか見えていないのだろう。だからこそ、窮地に陥ることが目に見えている「森友・加計学園問題」追及が予想される臨時国会で、所信表明演説もなく、もちろん質疑応答もないままに「冒頭解散」を断行するのだろう。何の「大儀」がないままに。
 大言壮語する輩に「碌な奴がいない」というのは、洋の東西を問わず、一つの心理になっているのだろうが、質疑のない記者会見では「真摯に、かつ丁寧に説明責任を果たしていく」と言っていながら、その後何の「説明」もないままに衆議院を解散する。この人の心根(本音)がどこにあるのか全く分からないが、一つだけわかっているのは、安倍首相は「臆病な人」、つまり「卑怯な人間」だということである。「品性下劣」と言ってもいい。
 騙されてはならない、と今更ながらに思う。
 そんな「下等」な人間にいまさら言っても無駄かもしれないが、アメリカのあるシンクタンクが「試算」を発表していたが、もし朝鮮半島で先端が開かれれば、北朝鮮人の犠牲者は「数えることができないほど」だが、アメリカ人将兵の犠牲者は2~3万人、韓国軍の兵士や国民併せて数十万人から数百万人になるだろうということを前提にすれば、何故安倍首相は米朝戦争が起これば、「日本も大きな犠牲を強いられる」と考えないのだろうか。日本には安保条約(日米地位協定)に基づいて、数多くの基地があり、もし米朝戦争が始まれば、その米軍基地から戦闘機や爆撃機が出撃し、また核兵器を搭載した原潜や原子力空母が出向していくし、集団的自衛権を認めてしまった以上、それらの米軍と共に自衛隊の戦闘機や艦船も参加することになる。
 当然、北朝鮮のミサイルは、日本に向けて発射されるだろう。もしそこに核兵器が搭載されていたら、日本ので再びヒロシマ・ナガサキの「地獄」が再現されることになる。そんな誰もわかるようなことを、「権力維持」に凝り固まった安倍首相には分からないのだろうか。それとも「おバカ」な安倍首相は、「わかっちゃいるけどやめられない」のだろうか。

 そこで、1960年代末から1970年代初めの「政治の季節」=学生反乱の時代・全共闘時代を学生として送った者の一人として言いたいのは、「殺すな!」という言葉の意味をもう一度考えてほしい、ということに他ならない。外地(戦場)や日本軍からの帰還者である父親と「銃後」を守ってきた母親から生まれた僕らの世代は、誰しも「戦争の臭い」を身にまとってきており、そうであるが故に「殺すな!」(その裏側には「殺されたくない!」という切実な思いがあった)ということは、この世代の人間にとって「当たり前」のことだったのである。
 だからこそ、もう一度言いたいのである、「殺すな」(殺されたくない!)と。 

最新の画像もっと見る

コメントを投稿