恐怖症

様々な恐怖症についての書き連ね

通勤時間のあれこれ part2

2019年11月16日 | 日記

他の駅を使ってバイトへ行こう!


前回の記事の続きもの
最寄りではないが他の駅も利用できたのでそちらを利用したこともあった……が、結局あまり使うことはなかった


自宅から駅まで漕ぐこと   30分
電車に揺られること     10分
第2路線への乗り換え    5分
再び電車に揺られること   5分
駅からバイト先まで歩くこと 5分
計             55分


前回のルートより速い! やったね……でも使わない
メリットはたくさんあった、しかし大きなデメリットが1つあってそれが気に食わなかった
電車もそこまで混んでおらず、乗り換えも楽、電車に乗ってる時間も相当短く、ものすごく快適だった。電車は
1行目の「漕ぐこと30分」、これが非常に嫌で仕方なかった

理由は行きにも帰りにもある。行く際は、これからバイトしますという時の30分自転車は「いや長いでしょ……」としか思えなかったから。帰る際は、一般的には「駅に着いたら自宅まであともう少し」という心理状態になるが、このルートだと「駅に着いても自宅まで自転車であと30分かかる」という折り返し地点に過ぎず心理的に嫌だったから

30分とは言っても30分漕いでるわけではなく、前回の記事に書いたように駐輪場に要する時間も込みだが長いと思った。自転車で約30分漕ぐことそれ自体だけなら全然構わないが、やはり受動的に漕いでるにすぎなかったのだろう
往復1時間=1/24日間自転車に跨ってるということ。これはちょっと……と思った




自転車ってお荷物?


自転車を漕ぎたくなかった理由がもう一つある。自転車は荷物にもなる
「家の周囲にバス停もありません、最寄り駅の隣り駅は5km離れてます、ルートは実質一つしかありません!」とかなら最寄り駅まで車や自転車で向かうのはなにも問題ないが、いくつかルートがある場合これらは荷物=枷にもなり得る
改めて言うことではないが、自転車で駅に向かったなら帰りだって同じルートにしなければならない。疲れたから今日はバスで帰ろうとか、あっちの路線から帰ろうとかしようとすれば必然的に自転車は置き去りになる

また、その荷物は駐輪場に置かなければならない。以前は駅近の駐輪場を使っていたのだが満車で駐められなかったことがあり、それからは少し離れた確実に駐められる所を使うようになった(そのせいで余計に徒歩の時間もかかっているのだが)

そのため行きは最寄り駅のルートを使い、自由になる帰りは一駅手前で降りたり最寄りからきちんと帰ったり……



遠く感じた、だけなのだ


実のことを言うと、大学の通学ルートと上記の55分ルートは途中までは同じである。そのため「自転車で30分」は4年間やっていた。別に自転車に慣れていないわけではなかった

ただ、やはりこういう小手先の変化より一番ダメだったのは「バイトが楽しくなかった」ことだと思う
一般的には通勤経路なんて毎回同じになって、それを普通にやっているのが当たり前。大学のとき毎回同じルートだったけど飽きなかったのは「大学生活が楽しくなかった、ということはなかった」から。超充実だぜ! とまではいかないけど、少なくとも「つまらないつまらないつまらない…………(ブツブツブツブツ」ではなかった
結局のところバイト先まで「遠く感じた」のである。楽しければ難なく行っていたはずなのだから

通勤時間のあれこれ

2019年09月10日 | 日記

通勤時間60分→90分


前の記事で「通勤時間1時間のところへバイトの結果、90分かかる」と書いた
何があってこんな計算ミスをしたのか、というお話


自宅から駅まで歩くこと   20分
電車に揺られること     15分
第2路線への乗り換え    5分
また電車に揺られること   5分
第3路線への乗り換え    10分
三度電車に揺られること   5分
駅からバイト先まで歩くこと 5分
計             65分


計算上、1時間というのは強ち間違ってはいない。そう、計算上単なる「書類上の通勤時間」としては正しい
計算上、これはあくまで最短所要時間であって、いついかなる時もこの通りに行けるわけではない。駅までだって信号に引っかかりまくっていたらこれ以上かかるのは言わずもがなである。最寄り駅の電車はいつも予定通りの電車に乗っていた。しかし乗り換え駅はターミナル駅ということもあって時間がかかり、予定の電車に乗れるているのか分からなかった(どの行先・種別だろうと目的駅には停まるため、特に追い抜きもなくいちいち電光掲示板なんて見る必要もなかったため)
で、バイト先までが65分であってもすぐ就けるわけではない。事務だったので制服に着替えることはないかわりに、PCを起動させ業務内容を確認してソフトを立ち上げトイレ行ったり飲み物買ったり等準備・一息の時間 +10分。最短所要時間で行けない時の余裕時間 +10~15分。これで約90分

そのため、「書類上の通勤時間」は約60分で合っているのだが、自分は「自宅からバイトを始業するまで」を60分にしようと勘違いしていたのだ。そのため「バイトで90分……?」という疑問も生じ、嫌気がさしてきたのだった


もう一つ誤算だったのが、電車・乗り換え。鉄道はある程度好きだったのでこのくらいは普通に乗れると思ったのだ
ただ、「これに乗ろう」でなく「これに乗らなければならない」であった:能動ではなく受動であった点。これを間違えた
乗り換えも同じく受動的に乗り換えをさせられていて嫌だった



バイト行くのに3社線って使いすぎ?


回数券というものがある。定期では元が取れないので回数券を使っていたのだが22回分(11枚×2)使ったきり利用しなくなった。安くなるというメリットがある以上にデメリットを感じたからだ

1.単純に買うのが面倒くさい
3線ではなく、3線利用していた。JR中央線JR山手線JR京浜東北線 とか JR埼京線メトロ丸ノ内線メトロ銀座線 とかではない。これらは1社線か2社線分の扱いだ。東急東横線JR山手線都営浅草線みたいに鉄道会社がバラバラだった

そのため11枚つづりを3社線分も買わなければいけなかった。33枚……。特定の路線だけ減りが早いなんてことはなく、減るタイミングは一様なのだから買うタイミングも同じにせざるを得ない。もちろん、日付をずらして買うことも可能だがそれも面倒だろう、結局それら11枚×3社線 → 3社線×11回分にまとめ直すのが後日になって面倒なだけだった


2.乗る区間を決められる
決められる(可能)ではなく、決められる(受け身)、つまり切符と同じである。途中下車したいことも多々あるので切符や回数券だと都合が悪かった。もちろんそれらも途中下車そのものはできるが前途無効で損をする場合もある。定期券も両端は決められるが途中下車はいくらしても損することはない。回数券でお得になっても一回でも変な使い方をすれば却って損をする


以上、
複数社線にまたがる・途中下車できない、この2点から結果的にICカード利用のほうが得になってると思い、利用することがなくなった


徒歩20分って微妙な距離


原付や車は所有してないので使えないのだが、徒歩20分の距離は歩いてもおかしくない距離だけど自転車を使ってもいい距離でもある。ただ、自分の場合は歩きが基本だった
理由は簡単でなんだかんだで費用対効果に見合わないと思ったから。徒歩20分の距離を自転車で行ったらだいたい半分の10分くらいだろう。距離だけで言えば。徒歩なら駅までそのまま直行できるが、自転車なら当たり前だが駐輪場が必要である。そしてスーパーや商業施設に一時的に駐めるわけではないため料金も必要である。駐輪場での時間も加味すると15分かかる。「往復徒歩40分が自転車なら30分です」は大して時間短縮できてない上にこの10分短縮に料金を払う価値があるのかと感じた(もちろん大荷物があってとかなら自転車のほうがいいだろうがそれもなかったので)

もっと縮められそうだけど……そこまで突っ走りたくないし、道も走りやすくもないので


徒歩20分は遠いと感じる人もいるだろう。「昔は5分の所に住んでたけど今は20分の所に引っ越した」なら間違いなく遠いだろう。自分は最初から20分が当たり前だったからそれが基準なのである。……遠いか近いかで言えば「遠い」けど、べらぼうに遠いとまでは感じない。ただ、じょじょに行く気がなくなり辞める方向に心が傾いていた時はものすごく遠く感じた


いや、そもそも……


「自宅からバイト始業まで60分」だとしても時間かかりすぎでは……という結論
そこでバイトしたいという確固たる理由があるわけではなかったので、そんなモチベーションのやつは60分だとしても遠いだろう……………

長続きなんぞしない

2019年08月01日 | 日記

続かない


出落ち
バイトを始めたのだが見出し通りである。なんでだろうなぁとか思ったが、なんとなく見当がついたので後述する

対人恐怖症の人が営業なんて向いているわけないのは分かっていたし、金銭の授受があるものも前のバイトで向いてないと分かっていたので……事務に絞った

そのため、
交通費全支給で
電話対応のない事務で
通勤時間は1時間くらいで
時給1000円で
福利厚生も充実してて
正社員登用もあり
があったので
あまり深く考えずに応募し、採用された


ただ、上の条件はどんどん失敗になっていった。交通費全支給と電話対応なしというのは嘘偽りなく一切の問題もなかったが、他がよくなかった
まず、通勤時間。確かに1時間くらいなのは正しかった、しかし計算方法を間違えた
例えば「9時始まりです。バイト先まで1時間かかります。では家を何時に出ればいいですか?」「8時です」ではないだろう。「友達と遊ぶ約束をしています/気が乗らない授業に行きます」なら多少遅刻しても謝るとか奢るとか凌ぐ手はあるが、仕事で遅刻は謝罪ありきでもよろしくないだろう。となると遅刻しないためにもう少し時間を見積もらないといけない、結局90分前に家を出る、なんかさぁ……って思ってしまった
つぎに、時給。「1000円」、それなりだと思っていたが割に合わないと感じるようになった。1000円が高いか安いかは地域性や職種にもよるだろう。東京で働いたため、東京の最低賃金から見たらそこまで高い部類ではない、むしろ安い。そう考えるようになったのは「東京」と考えたからだ。東京なら23区だろうと檜原村だろうと西多摩郡だろうと「東京」の最低賃金が適用される。そう思ったら23区で1000円では釣り合わないと思った
福利厚生。……はきちんとあったが、それはどっちでもよかった
正社員登用もあてにしていたが、すでにバイトの人数が多いと入ってから分かり、「登用するとしたらこの何十人の人たちより上に行かないといけないのか」と一瞬で理解した



不満


そして他にも不満が出てきてしまった。業務内容が難解と感じたのだ。いや、正社員ならまだ我慢できたのだが一介のバイトがやる範囲なのか?と疑問を感じ始めた。「マニュアル」というものはあったがイレギュラーが多すぎて結局「社員の人に聞く→すぐに答える、もしくは、下手したら社員でも分からないので社内会議にかけて数日後に答える→後日マニュアルに追記」みたいに社員でも分からないことをバイトに回してるのか…………と苛立ちに似たようなものまで覚えてしまった


毎日単純作業、もしくはイレギュラーが多すぎる作業をして、徐々に「何してるんだろ、これ? 事務職のはずだけど工場のライン作業じゃないか?」と死んだ魚のような目をしてパソコンに向かっているのに気づいたとき心は辞める方向に傾いていた



そして辞める


実は当初は正社員登用も一応目指していたので週5フルタイムで働いていたのだが、1ヶ月ほどでガタがきて辞めると宣告したのだ。しかしシフトを週3に減らす形で続けることにした。が、再びしかし半年後、病み始めたうえに、今までの自分のシフトを見たら週3できちんと入ってるのなんかあまりなかったこと、それに気づいた瞬間「もういいや。辞めよう」といとも容易く辞める決心をした


仕事はツラいものである
「仕事はツラいものだよ」とよくいわれる。しかしこの言葉は「あの仕事はツラいけど、昼休みに同僚とワイワイやってるのは楽しい」「先輩に怒られるのはツラいけど、お客様にありがとうって言われたとき嬉しい」という意味のツラいであると思う
辞めようと間接的に思った理由は「楽しい・嬉しい」と一度も感じなかったからだ。「ツラい」というより「楽しくない」が大きかった。いくらお金を貰ってもこんなことは無駄としか思えなかった、だからすっぱり辞めた
すっぱり辞める決意ができた理由は……人間関係。これしかない。これが「悪かった」のではなく「なかった」から。「休憩短くないです?」「あの仕事全然分からないんですけど(笑)難しくないですか?」みたいな会話がなく、○○さんと離れちゃうかー惜しいなぁなんてことを1ミリを思わなかったのがマズかったのだと思う
あえておかしな言葉で言うなら「日雇いを同じ職場・同じ人員で何か月もやっているよう」



なんか異常に疲れる


辞める一ヶ月ほど前からあることが頭に思い浮かんんだ。ADHDとHSPがあるんじゃ?と
前者は落ち着きのない(多動性)とかミスが多い(注意欠如)とかのことで、後者は超感覚過敏みたいなやつである

ADHD:
事務という仕事柄、パソコンに向かって座っていることが多かったが、じっとしてるのが非常に辛かった。これは別に仕事に限らず学校のときもそうで、日常的にもそうである
縄で縛られているわけでないので物理的に逃げることは可能だが、普通は授業中に席を立ったり、仕事中にうろうろしたりしないだろう。そういうことをすることはないが、自由にトイレに行けないとか、軟禁されてるのかと感じることもあった

HSP:
また、満員電車も大嫌いだった……好きな人なんていないと思うが
とは言っても、通勤ラッシュ真っ只中でなかったので、超満員とかではなく混雑感はありというレベルの電車に乗っていたにも関わらず、それでも嫌。「圧迫」とかなかったが、洋服が「接触」するレベルでも嫌、だから周囲を常に気にしてた結果、行くまでに疲れる
それらが相まってダメだと思った



ホワイトなのはホワイト…………なのか


ホワイト企業であろうことは思ったのだが、そういうことではなくそもそも向いてないんだろうと感じた
社員の人も社内研修を受けているのか発達障害系には相当理解があるように見られ、こちらが無理だと言った業務や「この前頼んだアレ終わりそうです?」のような遠回しな言い方は極力しないよう理解している感じだった

入る時、「VDT休憩」というものがあると知った。「55分:仕事と5分:休憩のセットで業務をしてもらう」と言われ、その時は1時間ごとに休憩があるなんてスゴい所だなぁと思ったのだ。「口ばかりで実は全然休めない」なんてことは一切なく、きちんと休みがあった。中途半端にそう思ったせいでそれ以上VDTについて調べなかった……辞めてからふとVDTについて調べて気付いた

「VDT作業の休憩時間」:1時間連続の作業をせず、10~15分の休憩を挟むこと

あれ? 規定より短くない?
いや、確かに短いのは感じていた。全員が全員バラバラに5分休憩を取るならまだしも、全員一斉に休憩を取るため必然的に喫煙所やトイレが混むのである。喫煙してから、トイレに入ってから5分ならある程度余裕があるが、自席から5分と考えると実際相当短い

法的義務という感じではないので短いからブラックということにはならないが、いかんせんこれも不満には思っていた



営業はおろか内勤でもこれだと何が向いているか
というより何も向いていないのかもしれない

異常性正常状態

2017年08月25日 | 日記
前回は「自殺」という題名をつけたが、順序がおかしいと思うかもしれない……でも時系列的にそうなのだから仕方ない




リスカについて書く
リスカとはう○い棒で有名な……じゃなくて手首を切る行為のことである。改めて説明するまでもないか


初めてのリスカ


失敗。誰がどうみても失敗。この二文字に尽きる
こうなることはやる前から予想はできてた

一般的なハサミは、片刃だけでも思い切り押し付ければ辛うじて切れる。しかし手元にあった刃物はペンケースに入るハサミで、しかも片刃だけでは絶対切れず両刃をかみ合わせて初めて切れるタイプのものだった
そのため押し付けた痕、いやこの場合は「跡」のほうが適切か、はついたが切るのは全くもって不可能だった。ある意味、予行練習でもあったのかもしれない


本当に初めてのリスカ


仕方がないのでカッターを買ってきた。そして本当に切った。今度こそ切れた
しかし、やってみて感じたことは「何か違う」だった。「リスカ」のイメージがまったく湧かないという人はいないだろう。ドラマ・アニメ・漫画等で見たことくらいはあるはずだからだ。恐らく手首を切ってだらだらと、ぽたぽたと血を流すというイメージではないだろうか。そうだと思っていた、いや、もちろんこのイメージも合っているが、これは相当深く切った場合であって並の人間にはできない
自分も相当おかしくなっていると思っていたが実際できないのだ。切ることはできる、血も出る…滲み出るといった方がより正確だろう。ただイメージと異なる部分が大きかった
あのイメージ通りになるのは局所麻酔でもかけるか精神的に非常に危ないかのどちらかだろう


n回目のリスカ


痛いか痛くないかでいえば痛い。慣れない。最初は「痕はどのくらい残るのだろう」と思っていたが、浅かった(常習者から見ればめちゃくちゃ浅い)のですぐ消えた
よかったとも思ったがそれよりも案外消えるんだなという驚きと悲しみのほうが大きかったかもしれない。そのため痕が消えるにつれ、もっと切らないといけないという衝動にも襲われた

漫画などでヤンデレキャラが指や手首を切って自分の血をチョコに混ぜるみたいなのがあるが、不注意で切ったならともかく意図的に自傷して混入させるのは相当病んでないとできないなと感嘆するものがあるわけで……


リスカは異常なことだけど正常なこと


リスカは異常行為だとは思う。しかしリスカをしたいと思わなくなったら、それは回復しているより異常になってるかのどっちかなのである
「うつ病患者が自殺したいと言ってたのが言わなくなった」という話と同じである。自殺したいというのは軽中度のうつ病で、言わなくなるのは回復期にあるか、より重度になってそれすら考えられなくなってるかのどちらかなのだ
そのためリスカそのものは異常であるが、それすら考えなくなる/億劫になると危険でもある。実際それに陥ったこともある。リスカしたいけどもはや面倒……と




生きたくない≠死にたい


自殺まではできないのだ。だからリスカに走る。自傷衝動というやつだ
「生きたくない≠死にたい」だと思ってる。「リンゴは好きではない」と「リンゴが嫌い」は類義かもしれないが同じ意味ではないだろう。生きたくはない死にたいわけでもないのである、なにかこう……その狭間にある抽象的な、言語化が難しいモノである

車に飛び出すなんて迷惑甚だしい。自分は、いくら免許制であっても飛び出し事故は飛び出した側を悪くしろと思っているのだから
後ろから轢いてくれないかなと思いながら歩いているのだが、まあそんな人はいない。飲酒運転とかよく報道されるイメージだが、たまたま凄惨なものが目につくだけでそうそう出くわさない(身内にそれで亡くなられた方がいたら癇に障る文章かもしれないが)


一度、もう別に轢かれてもいいかなと思って車が来ているのに道路を渡ったことがある。片側一車線で、交通量はやや多め、近くの歩行者信号は完全な赤で(飛び出しではなく通常の歩行スピードだが)横断歩道無視かつ斜め横断をしたが、クラクションすら鳴らされなかった。急ブレーキを踏ませるのも危ないと思ったから目の前には出なかったが(そんなこと考えられるなら道路に出るなって話だが)、それでも普通に運転してたらぶつかる距離である。クラクションも鳴らされなくて逆に驚いた
たしかに飛び出しとか不注意とかでクラクションを使わざるを得ないということはあるかもしれない。しかし明らかに車が来てるのも分かってる、急ぐわけでもなくちんたら横断してるやつがいて、そいつに鳴らせるかと言われたら逆に鳴らせないかもしれないと気づいた



生きたくはないし、逝きたくはない。音だけ聞いたら意味不明
輪廻転生とかはあるのだろうか

自殺

2017年05月12日 | 日記
※※※※※不快な表現が書かれている恐れがあるためご注意ください※※※※※

自殺


自殺について考えたことはあるだろうか

自分はある。まず小学生の頃だ。宿題が嫌で逃げたいという感情から「包丁で刺せば楽になれるのだろうか」と考えた。ただこれは少なくともみんなそうだと思う。「自殺」という言葉が過激なだけで、「逃避」という言葉に置き換えれば当てはまる人が多いと思う
ある種この時は可愛げのある突飛な考えに至ったものだ

大学入学以降再び考え始めるようになった
こういうのに使われるのは電車かと思う
昔は電車は連れられて乗っているだけで山手線と自分の最寄りの路線名くらいしか知らなかったが大学生時代には相当詳しくなっていた



自殺するのにどこの路線がいいかと考え……本線レベルのところはやめようと思った、被害が甚大になるからである。直通運転をしている地下鉄も同じだ
直通運転をしてない都内の地下鉄は銀座線丸ノ内線大江戸線だ。しかし後ろ2つはホームドアが完備されている。「なら銀座線か」とも考えたが、よく考えろ…地下鉄だ。地下鉄は一般的には各停しか運行されてない、急行が設定されてる地下鉄は他路線と直通運転している。そもそも地下鉄は最高速度が70kmくらいまで出せないのだからホーム進入時に飛び込んでも ―多めに見積もって70km、しかし進入時にはスピードは落ちているはずなのでそれよりはるかに遅いスピード― ……どうだろうか
だから各停しか運行されていない路線も論外だ

・関東近郊の路線
・本線レベルでない路線
・ホームドアのない路線
・直通運転のしていない路線
・急行など通過列車のある路線

この条件にあてはまる路線を考えた……あるだろうか?
そもそも「本線レベルでない」と「急行がある」が相反してるのだ。本線レベルでないなら各停しかないし、急行があるならそれは本線レベルだ

どうにかして見つけ出した。京王井の頭線東急大井町線
もちろん支線レベルの路線ではないが、本線から見れば支線(バイパス路線)にあたるだろう。どちらも全長12km程度で比較的ダイヤ乱れからの回復もしやすい、ただし後者は場合によっては東急田園都市線に影響が及ぶ恐れもある。そうなると前者のほうがまだマシか。…「マシ」とはなんなのだろう



そう考えてるうちに、ふと思った
ホームに立ってそれの準備・心構えしているとき、誰かから背中を押されたら自分はどうするか
電車を避けようとするんじゃないか?

どっちにしたってそんな考えが頭をよぎっている時点でダメなのだ






さて「鉄道で自殺する/しようとする人」をどう思うだろうか?
迷惑? 立腹? 同情? 勇敢? 疑問? 無関心?

昔は(と言っても昔はあまり電車に乗らなかったのでそういう場面に遭ったことはないが)疑問でいっぱいだった。「せっかくの命を……なんで飛び込むんだろう?」って。直接人身事故に遭ったことがない(ダイヤ乱れくらいはあるが、車内に閉じ込められるとかは遭遇したことない)ので怒りを感じることはなかった。あと強いて言えば「迷惑」というより「迷惑そう」はあったかもしれない

今は、同情と勇敢だろう。理由は3つ
1.鉄道に詳しくなったこと
鉄道に詳しくなったため路線図が頭の中に入っている。そのため事故があってもどこで迂回すればいい、ここは歩いてショートカットできるなどはおおよそ見当がつくようになっている

2.自分も陥っているから
これが一番大きい。当事者になればおかしな考えに至ることがしばしばある
なかなか踏み出せない者からすれば勇気あるなあ、自信家だなあという具合に思っている。大学を中退した知り合いがいたが、勇気ある撤退だとその時は感じ、ある種尊敬をもした。それと同じことである。ただし自殺は勇気ある撤退かと言えば…撤退ではないかもしれない

3.親戚にそれをした人がいるから
だから「怒り」という感情は尚更もてない
人身事故で止まり、「ダイヤ乱れた、ふざんけな遅刻する、迷惑かけず○ね!」とかの感情をもつとしたら、それは遠回しに親戚にも怒りを向けてることになる。それがなくても立腹することなんかないが、思い悩み思い悩み思い悩み思い悩み思い悩んでそれをしたのだから怒れないし、腹を立てるべきでもないと思う。もちろんそれのせいで何か自分の人生が狂うこともあるかもしれない、立腹するなとは言えないが、人生が狂うほどでないなら各自対処したほうがいい






何はともあれ、迷惑がかかるのは確かである。やるのも精神がおかしくなっている状態の人がほとんどなのだ。計画的に「明日飛び込もう」と思う人もいるし、ホームに行って突発的にやる人もいる、それは理解してほしい