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はぐれ狼が奔る
価格:¥ 1,400(税込)
発売日:2007-12-01
・・・・・・・・『 はぐれ狼が奔る 【俺が辞めたらいいんだろう】 』 (P9~P11)より・・・・・・
牧山春彦は突然会社を辞めた。
辞表を書いたわけじゃない。書きたくても辺りには手頃な用紙
も筆も無かった。目の前のテーブルにあるのは、ウイスキーの
ボトルと水差し、いい加減な「おつまみ」の皿と幾つかのグラス。
夜の蝶とは呼べない蛾に似た女たちと三人の中年男。
「ボクが辞めればいいんでしょう」。そう叫んだ春彦自身が、
自分がいま何を言っているのかの意識が無かった。春彦の正面
に座っていた野川の顔が歪んで見えた。同席していた宮崎と
藤原からニヤケ面が消え、ポカ~ンとした間抜け顔に変貌した。
嬌声を上げていた女たちが、時刻が止まったように黙りこくった。
沈黙を破ったのは野川だった。予想もしなかった春彦の宣言に
一瞬驚きのあまり我を失ったが、日本の大手商社の一角をしめる
世紀物産の常務取締役の肩書を持つ自分が、今どう対処すべき
なのか、その立場を思い出したようだった。
「なんてことを言い出すんだ。今の俺が会社と社員との板挟み
でどれだけ苦しんでいるか、それを一番理解してくれるのが牧山、
お前だと思えばこそ帰国を急がせた。繊維部門を統括する俺の
片腕にとウイーンで活躍中のお前を、あえて指名したんだ。その
俺の思いが分らんのか」
「わかりませんねぇ~、それなら何故ここに、この二人が居るん
ですか。こいつらこそが会社を苦境に追い込んだ害虫でしょうが。
この場が本当にボクの慰労のための席だとしたら、害虫二匹を
なぜ呼んだんです」
女たちの眼前で害虫呼ばわりをされた宮崎が青ざめ、藤原の方は
逆に顔を真っ赤に染めていきりたった。
「なんだとぅ~、害虫とはなんて言い草だ」
「そのものズバリだろうが、お前がハンブルグで行った悪行の数々、
ようも今日までクビにならずに済んだことだな。常務、こいつを
駆除せよと言われるのならお受けしましょう。なんでこんな害虫
どもが、今回の肩たたきから免れて、ただ五〇才を越えてライン
から外れているという理由だけの理由で、七人もの先輩をボクが
首切り浅右衛門の役を果たさねばならんのです。いつから世紀物産
はそんな薄情な会社に成り下がったんですか。あの竹下の馬鹿が
社長になってからとは知っています。野川さん、貴方までが竹下の
言うなりになるとはねぇ~。世紀物産ももう終りですなぁ~。そんな
に首切りせなあかんほど会社が傾いたんなら、ボクも余計なもんで
しょうから、真っ先に辞めようじゃないですかと、そう言ってる
だけじゃないですか。どこか可笑しいとこありますか」
ここは北新地の本通りじゃないにせよ、堂島上通りにあるクラブ
「以志原」である。満席にはほど遠いにせよ、四組ほどのグループ
客も入り、声のよく通る春彦の怒りにまかせたぶちまけを、他所の
トラブルは蜜の味と言わんばかりに、興味深かげに耳をすましている。
・・・・・・・・『 はぐれ狼が奔る 【俺が辞めたらいいんだろう】 』 (P9~P11)より・・・・・・
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