こころの宝物

「きれい・ねっと」の本づくりのこと
「なおちゃん流ホ・オポノポノ」のこと
あなたのこころにも宝物が増えますように…

「私が」ではなく「みんなで」の世の中へ

2014-03-18 13:56:56 | こころの宝物
こんにちは♪
ちょっと更新が滞ってしまって失礼しました。

失礼ついでに、今日はフェイスブックの投稿を
こちらにもアップさせていただきたいと思います。

実は今日、3月18日は私の誕生日なのです^^


ついに40歳、憧れの大人の女性の年齢だ!と思ったんだけど……。

朝起きたら、やっぱりちびっこなおちゃんだった。

まあ、このまんまがいいんだよね。

ねっ! ねっ?
(誰に向かって言ってるんだ?)

朝、たつきは「おめでとー」と言いながら
元気に中学校に出かけて行き
事務所に来たらスタッフのMちゃんから
楽しいプレゼントもらって
永遠の乙女友だち、横浜の根本佳代子ちゃんから
今年もエレガントなプレゼントが届いて。

ああ、なんて幸せな40代のスタートなんだろうか。

やっぱりこのままがいいね、うん。

さて。

私FB始める前はずっとミクシィで日記を書いていたんですね。
FBで書くようになってからしばらくは、両方にアップしていたんですが
だんだん二つを同時に確認する余裕がなくなって
それで、ずっと開いてなかったら
たくさんメッセージがたまっていたりするようになって。

それで、春分を前にやることのひとつとして
ミクシィを退会することに決めたんです。

で、昨夜日記のダウンロードとかをしていたら
ちょうど2011年、東日本大震災の年の今日の日記があがってきました。
読み進めるうちに、今の自分から自分への
そして、もしかすると皆様へのメッセージにもなるような気がしたので
ここにアップしておきたいと思います。

こうして広がるご縁に心から感謝しつつ
新しい1年も楽しく軽やかに、ご一緒させていただけましたら幸いです。
どうぞよろしくお願いいたしま~す^^

******************************************************

今日は私のお誕生日です。

学生の頃はちょうど終業式や、学年末の試験、入試などの時期と重なって
あんまり好きではなかったんだけれど。

彼岸の入り、その一年の切り替わりが始まる日
そして観音様の日でもあるんだよとマイミクさんに教えていただいて
今では大好きな日になりました。

東北関東大震災からちょうど一週間
重い空気の中でも、ほんとうにたくさんの皆さまから
お祝いのメッセージをいただきました。

今はとてもバタバタとしていて
お一人ずつにお返事がままならず、ほんとうにごめんなさい。
でもとても嬉しいです。
心からありがとうございます。

ところで、彼岸というのは春分と秋分の日のことで、
祖先を供養する行事として定着していますが
この日は太陽が真東から昇り、真西に沈むので、
西方に沈む太陽を礼拝し、
遙か彼方の極楽浄土に思いをはせたのがその始まりといわれます。

生を終えた後の世界を太陽の動きに追うこの世界観は
実は「日願(ひがん)」という
古来どの国の原始宗教にもつきものである太陽神、
つまり日本では天照大神への信仰からきたもので
後に仏教と結びつき「彼岸」という仏教語が生まれたという説もあるとか。

で、その彼岸の中日が春分です。
春分の日というのは、天体の世界で見ると
太陽が星座の最後である魚座から、最初の牡羊座へと移動する
人間の基準ではなくて、
星たちにとっての「はじまり」の日にあたるそうです。

もちろん、偶然なのかもしれないけれども
11日からの一週間
そして誕生日、私のはじまりの日を迎えて、
天体の大きな動きに合わせるかのように
私が今、何をしたらいいのか……
何をしたいのか、どうやって生きていくのか
考えなくっちゃというのではなくて、考えざるをえないような出来事が
大小さまざまにありました。

大切ないのちの無事を知って、涙を流して喜び
大切ないのちを天国へと見送ることになって、涙を流して悲しみ
私の知らないところで
私の言葉からはじまったつながりが
人を、いのちを動かしたことを知りました。

2011年がはじまって、旧暦のお正月がきて
でもまだ何かもやもやとしていたんだけれど
それらに想いを巡らせていて
今日、ほんのさっき、すっと道が見えたように思えました。

星たち、もちろん地球も含め、すべてのいのちは
迷いなくまっすぐに、いのちの理にしたがって
いのちをかけ、精一杯生きているんだと思います。

私たちだってさまざまな想いの中で、心がくもり、
その根本を見失ってしまうときがあっても
心の奥底や身体は、いつも精一杯生きている

私の経験なんて小さなものだし、すべてが分かるわけでは決してないけれど
大切なものを失ったとき、丸裸になってしまったとき

「私が」になるか「みんなで」になるか、
その二択しかないように思います。

みんなほんとうは知っているんだと思う。
一人では生きていけないことも
みんなだから、幸せなんだということも。

だけど、辛い情況の中、理不尽にさらされる中で
すぐに「みんなで」とか「あなたが」と言える人
それで幸せだと本気で感じられる人は少ないと思う。
いつも言い続けられる人なんて、きっとほとんどいないと思うのです。

少なくとも小さな私は、阪神大震災のときも
きしおくんがいなくなってしまったときも
ひとりでは「あなたが」とは、とても言えなかった。
何年も苦しかった、どこともなく、たくさんを責めた。

そんな私にでさえ
見返りを求めない、たくさんの言葉が、想いが、愛情が
たくさんのいのちから与えられ
長い時間をかけて多くを教え、導き、ここまで生かしてくれました。

弱い私は、今だって、
たくさんの情報に流されて
つい誰かを責めたり批判してしまいそうになります。

だけど、大丈夫、生きていけると心から思えるのは
私たちは、大切なみんなとつながり、補い合いながら
生きていることということを知っているから。

甘えるのではなくて、求めるばかりではなくて
お互いに持っているものを出し合いながら
それを認め合い、包み込み合いながら、
生きていくことの心地よさ、楽しさを感じているから。

今、このとき
東北大震災のあるなしにかかわらず
それぞれがそれぞれの立場から、最大限をなさっていることと思います。

大きな、ほんとうに大きな出来事だから
いのちの理を思い出す人も、
私のように何年も苦しい想いをしたり、人を責めてしまう人
もしかしたら、ずっと最期まで苦しむことになる人
さまざまなかたちで人生を激変させる人が
そのぶん大変な数になることだろうと思います。

そしてそれは、やがて日本をも激変させることになるとも思います。

そんな中にあっても
私は、私にできることを
私がいただいてきたように、言葉を、想いを大切に
必要だと感じてくださる皆さまに伝え、こころをつないでいくこと。
そのつながりが広がるお手伝いをすること。

私は私の今ここの精一杯をやりきったら
こう伝えたいとか、こう伝えなければとかではなく
受け取る方に受け取り方も、つながり方も
それが仮に批判であったとしても
その方にとって最善となることを信じ、すべてをゆだねきること。

いつも柔軟で、心軽やかであること。

何かに左右されるのではなくて
今までずっとお話してきたそのままを
きれい・ねっとの活動のすべてを通じて
私らしく伝え続けていくことこそが大切なんだと、
今、あらためて感じています。

私は私の今を、しっかりと生きていきます。

大切なマイミクの皆さまにおかれましても
ご一緒にいのちを、絆を深めてくださいましたら幸いです。

心からの愛と感謝をこめて。

山内 尚子 拝
******************************************************