先日見た夢は、
バスの中。
学校へ向かっているらしい。
バスの中で大学時代の友人とばったり会う。
私たちは中国語を習いに行くところ。
彼女は上級でもう2~3年習っているが
「まだ卒業できないの」というようなことを言う。
わたしは今日が初めてだ。
到着してバスから降り、ある場所への階段を降りていく。
その傾斜、ほぼ90度。
そんな階段を友人はタッタッタといとも簡単に降りていく。
彼女の軽快な足取りに驚きながら、わたしは怖くて、
ゆっくり降りていく。
下へ着くと上級生らしい人から黒いマントを掛けられ
目を閉じ、しゃべらず進むよう言われる。
人の列の間をわたしたち初級者は言われたとおり
目を閉じ、しゃべらず、
言われた道を進んでいく。
しかしわたしは不安になる。
「目を開けたら、そこには誰もいないのではないだろうか?」
わたしは目を開けてしまう。
すると周りには誰もいない。
と言うことを目を閉じたまま想像しているのか、
目を開けてしまったのか、
それはわからなかった。
おしまい
この夢で印象的だったのは
傾斜90度の階段。
もぉ~ぜったり無理でしょ!?ってくらい直角に近い。
薄ピンク~オレンジ色の、
板じゃなくて布のようなものが階段には敷いてあって
細かい模様も描いてある。
それと、
目を開けてしまって誰もいない(かも)という場面。
これを書きながら思ったのは
わたしは自分の(自我の)意志で進むのではなく
上級生(聖霊)の言葉に誘導されて進んでいくことに
不安があるんだろうな、ということ。
ワークブック、テキストを読んでいて
力強く「そばにいる」とか「見捨てはしない」など書いてあるのを読むと
心強く感じるのと同時に「ほんとか?」とちょっと疑っているのも確か。
疑いを持っているのは自我の部分、とわかっていても
「疑うなんてっ。(>_<;=;>_<)。いけないことよっ!」とちょっぴり罪悪感を持ってしまう。
でもね、聖霊たちは寛大だ、というのを証明する場面もありました。
初級者がうっかり目を開けたり、しゃべったりしても
(´∀`)ノノハハハ ( なごやか)
ごめ~ん、目開けないでって言い忘れてたぁ?
うっかりしちゃった。
みたいに、誰も怒りません。
だから、
「あ~、またやっちゃった・・・」ということがあっても聖霊はきっと
(´∀`)ノノハハハ ( なごやか) うっかりしちゃった?
って感じでいてくれてますよ (^m^)
今日の一言クロアチア語
dobrotvoran
寛大な