
かつて、ブリジット・バルドーが「生きながらにして伝説だった」と評し、我が高峰秀子が逢ってすっかり「気に入っちゃった」と書いたのが、フランスの美貌の俳優ジェラール・フィリップ(1922‐1959)である。
惜しむらくは36歳で亡くなってしまったので、スクリーンに登場する彼の姿は永遠に若いままである。
それが羨ましくもあり、痛ましくもある。
そのジェラール・フィリップを、フランス最高の俳優に育てあげたのがフランス映画の巨匠ルネ・クレール(1898‐1981)であった。
ジャック・フェデー、ジャン・ルノワール、ジュリアン・デュヴィヴィエ、マルセル・カルネといった監督とともにフランス古典映画のビッグ5のひとりといわれるが、中でも最も重鎮だった人ではなかろうか。
ドイツのフリッツ・ラング、ソ連のエイゼンシュタイン、アメリカのチャップリンに比すべき存在だとする人もいる。
いずれにしても、トーキーの基本的な技法を確立した映画監督であった。
第二次大戦中、母国を離れ、ハリウッドで仕事をしているのはフリッツ・ラングと同様だが、クレールは戦後帰国してからも、ジェラール・フィリップを起用し、映画史に残る傑作を何本か撮っている。
中でも『夜ごとの美女』(Les Belles De Nuit‐1952)は、シュールな感覚のロマンティック・コメディで、私のお気に入りの一本である。
近所の自動車修理工場の娘シュザンヌ(マガリ・ヴァンデュイユ)が思いをよせる、しがない音楽教師のクロード(ジェラール・フィリップ)は、うるさすぎる現実の世界にすっかりくさっていた。
今日も、ピアノを弾くクロードの耳に修理工場からエンジンやクラクションの騒音が聞こえてきて、ピアノに集中できず、眠れぬ夜が続いている。
学校に行けば生徒にバカにされ、念願の作曲コンクールに出品する作品の出来具合もはかばかしくない。
クロードは、さる良家の女の子にピアノを教えているが、女の子が奏でる単調な音階を聴きつつ、壁の絵を見ていると夢の世界に入ってしまう。
時は1900年、自作曲を夜会で披露したクロードは、若い貴婦人エドメ(マルティーヌ・キャロル)に好意を寄せられ、紹介されたオペラ座の支配人から彼のオペラの上演を約束される。
夢からさめると、少女の母親は夢の貴婦人エドメなのだった。
「昔はよかった」とつぶやく老人(パロー)の言葉をきっかけに、再び夢の世界でエドメに逢い、オペラの上演を迫るが、ここでまた昔を懐かしむ老人が現れて、夢は1830年のアルジェリア討伐に変わっていく
クロードは勇敢なラッパ手で、アルジェリアのレイラ姫(ジーナ・ロロブリジーダ)と邂逅し抱きあう。
現実のレイラは、クロードがいつも通うカフェのレジ係だった。
そこへまたしても昔を懐かしむ老将軍が現れ、夢はルイ16世時代の貴族の邸宅となり、クロードは現実のシュザンヌとその名も同じ令嬢シュザンヌと愛をささやきあう。
しかし、夢から覚めればクロードは、書留を届けにきた郵便配達人と喧嘩したり、滞納した家賃のかたにピアノを取り上げられそうになったり、挙句の果てに幼馴染の警官に毒づいて留置所に入れられてしまう。
留置場のベッドで、クロードは夢の続きを見る。
ルイ16世時代では、シュザンヌと駆け落ちの約束をし、アルジェリアではレイラ姫から月の出に逢引を誘われ、1900年ではエドメからディナーの後で忍んでくるように囁かれる…
夢が佳境に差し掛かったとき、釈放にきてくれた友人たちに起こされ、クロードは一刻も早く夢の世界に戻ろうとするのだが、友人たちは彼が自殺するのではないかと怪しみ、彼の身の周りを警戒するようになる。
クロードがようやく夢の世界に戻ったときには、すべて美女たちと約束した時刻は過ぎていた。
エドメのところでは彼女の夫に見つかり決闘を挑まれ、アルジェリアではレイラ姫の兄弟たちに襲撃され、シュザンヌは革命の急進派に拉致されてしまった後だった。
シュザンヌを追って牢獄に赴いたクロードは逮捕され、ギロチンで処刑されることになってしまう。
そこで夢はさらに時代を遡って、ルイ13世時代、ボナシュ夫人(マリリン・ビュフェル)と逢瀬を楽しむ。
ボナシュ夫人は、現実の世界では眼鏡の郵便局員なのだが、今度は三銃士に襲われて命からがら逃げ出し、やっと夢から覚める。
今度は夢の続きを見るのが怖くなり、眠るまいと頑張るのだが、ついウトウトしてしまい、決闘だ、ギロチンだという騒ぎから逃れるために逃げに逃げ、原始時代からノアの方舟の大洪水時代、ローマ帝国時代などを走り抜け、ようやく現実に舞い戻る。
そこへクロードの作品がオペラ座で上演されるというニュースが飛び込み、クロードとシュザンヌはめでたく結ばれる…
何とも盛り沢山でハチャメチャなストーリーだが、この夢と現実を行ったり来たりする旅がわずか90分足らずの間に縦横無尽に展開されるのである。
ルネ・クレールの演出力おそるべし。
まず、場面展開の技法のサンプル集といった具合で、舞台の場面展開のバリエーションのようだ。
一部ロケーションもあるが、スタジオ撮影はほとんどシンプルな書き割りセットを使っていること、公開当時はオペラを侮辱しているといわれたらしいオペレッタ風の歌が効果的に使われていること、などクレールのセンスが面白い。
アルジェリア侵攻の描写は、フランスの国旗にバックの書き割りの風景が変わっていき、最後にその国旗がボロボロになっていくというモンタージュ処理をしているのが見事だし、クロードの友人トリオの警官、薬屋、修理工の絡みや、クロードが穿いているズボンの破れ穴、オートバイやクラクションなど珍妙な騒音を奏でるオーケストラ演奏など、そこかしこに散りばめられたギャグの楽しさを挙げればきりがない。
「今はひどい時代だ。昔は良かった」とつぶやく老人を演じるパローは、夢の世界のどの時代にも登場して同じようなセリフを吐く。
なぜか恐竜の生きる時代に存在している原始人の彼が、やはり「昔は良かった」と言うのがとても可笑しい。
アンモナイトや三葉虫の時代でも「昔は良かった」と言うのかよ、と突っ込みたくもなる(笑)。
クライマックスはまさに破天荒な展開である。
現実に戻るために、原始時代からなぜかジープに乗ってひたすら走るのだが、クロードがギロチンにかけられそうになったフランス革命の時代には、「この時代に止まってはダメ」というギャグもある。
ジェラール・フィリップは断然若々しく光輝いている。
どんなボロ服を着ていても飄々とした持ち味で颯爽としている。
次々登場する美女たちも素晴らしい。
マルティーヌ・キャロルとジーナ・ロロブリジーダの美しさは特筆に値するが、特に、ロロブリジーダのレイダ姫のおへそを出したコスチュームは現在の眼で見ても実にドキドキさせられる。
彼女の代名詞のバストもさることながら、お腹から腰にかけての美しさ、色っぽさといったらたとえようもない(笑)。

(マルティーヌ・キャロル)

(ジーナ・ロロブリジーダ)
ただ一つ苦言を言えば、場面展開が早く、登場人物のキャラクターが次々と変わるので、よほど注意していないと女優たちの見分けがつかなくなってしまうことであろうか。
シュザンヌ役の新人マガリ・ヴァンドゥイユは、眼の大きなかわいらしい女優さんだが、本作以外に出演作がなさそうなのが、とても残念である。
それにしても、ジェラール・フィリップの端正な美男子ぶりと、ルネ・クレールのシュールな感覚とのコラボレーションが見事に成功した傑作で、本作を愛する映画ファンが多いのもうなずける次第である。
なお、余談になるが、原題の“Les Belles De Nuit”というのは、夕方になって開花する「オシロイバナ」、暗くなってから美しい声で鳴く「ナイチンゲール」の異名だそうである。
惜しむらくは36歳で亡くなってしまったので、スクリーンに登場する彼の姿は永遠に若いままである。
それが羨ましくもあり、痛ましくもある。
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そのジェラール・フィリップを、フランス最高の俳優に育てあげたのがフランス映画の巨匠ルネ・クレール(1898‐1981)であった。
ジャック・フェデー、ジャン・ルノワール、ジュリアン・デュヴィヴィエ、マルセル・カルネといった監督とともにフランス古典映画のビッグ5のひとりといわれるが、中でも最も重鎮だった人ではなかろうか。
ドイツのフリッツ・ラング、ソ連のエイゼンシュタイン、アメリカのチャップリンに比すべき存在だとする人もいる。
いずれにしても、トーキーの基本的な技法を確立した映画監督であった。
第二次大戦中、母国を離れ、ハリウッドで仕事をしているのはフリッツ・ラングと同様だが、クレールは戦後帰国してからも、ジェラール・フィリップを起用し、映画史に残る傑作を何本か撮っている。
中でも『夜ごとの美女』(Les Belles De Nuit‐1952)は、シュールな感覚のロマンティック・コメディで、私のお気に入りの一本である。
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近所の自動車修理工場の娘シュザンヌ(マガリ・ヴァンデュイユ)が思いをよせる、しがない音楽教師のクロード(ジェラール・フィリップ)は、うるさすぎる現実の世界にすっかりくさっていた。
今日も、ピアノを弾くクロードの耳に修理工場からエンジンやクラクションの騒音が聞こえてきて、ピアノに集中できず、眠れぬ夜が続いている。
学校に行けば生徒にバカにされ、念願の作曲コンクールに出品する作品の出来具合もはかばかしくない。
クロードは、さる良家の女の子にピアノを教えているが、女の子が奏でる単調な音階を聴きつつ、壁の絵を見ていると夢の世界に入ってしまう。
時は1900年、自作曲を夜会で披露したクロードは、若い貴婦人エドメ(マルティーヌ・キャロル)に好意を寄せられ、紹介されたオペラ座の支配人から彼のオペラの上演を約束される。
夢からさめると、少女の母親は夢の貴婦人エドメなのだった。

「昔はよかった」とつぶやく老人(パロー)の言葉をきっかけに、再び夢の世界でエドメに逢い、オペラの上演を迫るが、ここでまた昔を懐かしむ老人が現れて、夢は1830年のアルジェリア討伐に変わっていく
クロードは勇敢なラッパ手で、アルジェリアのレイラ姫(ジーナ・ロロブリジーダ)と邂逅し抱きあう。
現実のレイラは、クロードがいつも通うカフェのレジ係だった。
そこへまたしても昔を懐かしむ老将軍が現れ、夢はルイ16世時代の貴族の邸宅となり、クロードは現実のシュザンヌとその名も同じ令嬢シュザンヌと愛をささやきあう。
しかし、夢から覚めればクロードは、書留を届けにきた郵便配達人と喧嘩したり、滞納した家賃のかたにピアノを取り上げられそうになったり、挙句の果てに幼馴染の警官に毒づいて留置所に入れられてしまう。
留置場のベッドで、クロードは夢の続きを見る。
ルイ16世時代では、シュザンヌと駆け落ちの約束をし、アルジェリアではレイラ姫から月の出に逢引を誘われ、1900年ではエドメからディナーの後で忍んでくるように囁かれる…
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夢が佳境に差し掛かったとき、釈放にきてくれた友人たちに起こされ、クロードは一刻も早く夢の世界に戻ろうとするのだが、友人たちは彼が自殺するのではないかと怪しみ、彼の身の周りを警戒するようになる。
クロードがようやく夢の世界に戻ったときには、すべて美女たちと約束した時刻は過ぎていた。
エドメのところでは彼女の夫に見つかり決闘を挑まれ、アルジェリアではレイラ姫の兄弟たちに襲撃され、シュザンヌは革命の急進派に拉致されてしまった後だった。
シュザンヌを追って牢獄に赴いたクロードは逮捕され、ギロチンで処刑されることになってしまう。
そこで夢はさらに時代を遡って、ルイ13世時代、ボナシュ夫人(マリリン・ビュフェル)と逢瀬を楽しむ。
ボナシュ夫人は、現実の世界では眼鏡の郵便局員なのだが、今度は三銃士に襲われて命からがら逃げ出し、やっと夢から覚める。
今度は夢の続きを見るのが怖くなり、眠るまいと頑張るのだが、ついウトウトしてしまい、決闘だ、ギロチンだという騒ぎから逃れるために逃げに逃げ、原始時代からノアの方舟の大洪水時代、ローマ帝国時代などを走り抜け、ようやく現実に舞い戻る。
そこへクロードの作品がオペラ座で上演されるというニュースが飛び込み、クロードとシュザンヌはめでたく結ばれる…
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何とも盛り沢山でハチャメチャなストーリーだが、この夢と現実を行ったり来たりする旅がわずか90分足らずの間に縦横無尽に展開されるのである。
ルネ・クレールの演出力おそるべし。
まず、場面展開の技法のサンプル集といった具合で、舞台の場面展開のバリエーションのようだ。
一部ロケーションもあるが、スタジオ撮影はほとんどシンプルな書き割りセットを使っていること、公開当時はオペラを侮辱しているといわれたらしいオペレッタ風の歌が効果的に使われていること、などクレールのセンスが面白い。
アルジェリア侵攻の描写は、フランスの国旗にバックの書き割りの風景が変わっていき、最後にその国旗がボロボロになっていくというモンタージュ処理をしているのが見事だし、クロードの友人トリオの警官、薬屋、修理工の絡みや、クロードが穿いているズボンの破れ穴、オートバイやクラクションなど珍妙な騒音を奏でるオーケストラ演奏など、そこかしこに散りばめられたギャグの楽しさを挙げればきりがない。
「今はひどい時代だ。昔は良かった」とつぶやく老人を演じるパローは、夢の世界のどの時代にも登場して同じようなセリフを吐く。
なぜか恐竜の生きる時代に存在している原始人の彼が、やはり「昔は良かった」と言うのがとても可笑しい。
アンモナイトや三葉虫の時代でも「昔は良かった」と言うのかよ、と突っ込みたくもなる(笑)。
クライマックスはまさに破天荒な展開である。
現実に戻るために、原始時代からなぜかジープに乗ってひたすら走るのだが、クロードがギロチンにかけられそうになったフランス革命の時代には、「この時代に止まってはダメ」というギャグもある。
ジェラール・フィリップは断然若々しく光輝いている。
どんなボロ服を着ていても飄々とした持ち味で颯爽としている。
次々登場する美女たちも素晴らしい。
マルティーヌ・キャロルとジーナ・ロロブリジーダの美しさは特筆に値するが、特に、ロロブリジーダのレイダ姫のおへそを出したコスチュームは現在の眼で見ても実にドキドキさせられる。
彼女の代名詞のバストもさることながら、お腹から腰にかけての美しさ、色っぽさといったらたとえようもない(笑)。

(マルティーヌ・キャロル)

(ジーナ・ロロブリジーダ)
ただ一つ苦言を言えば、場面展開が早く、登場人物のキャラクターが次々と変わるので、よほど注意していないと女優たちの見分けがつかなくなってしまうことであろうか。
シュザンヌ役の新人マガリ・ヴァンドゥイユは、眼の大きなかわいらしい女優さんだが、本作以外に出演作がなさそうなのが、とても残念である。
それにしても、ジェラール・フィリップの端正な美男子ぶりと、ルネ・クレールのシュールな感覚とのコラボレーションが見事に成功した傑作で、本作を愛する映画ファンが多いのもうなずける次第である。
なお、余談になるが、原題の“Les Belles De Nuit”というのは、夕方になって開花する「オシロイバナ」、暗くなってから美しい声で鳴く「ナイチンゲール」の異名だそうである。
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本日の一句
「夢見る娘(こ)カボチャの馬車に乗りたがる」(蚤助)