ケメコ通信ブログ版Ⅲ

みなみ西陣のおっさんのひとりごと

ケメコ礼文へ還るⅣ⑤

2005-09-16 07:21:50 | D‐ジェネ スペシャル
現在のケメコはうすの室内温度は24℃。
ちょっと前までは34℃。暑くて暑くて、クーラーをつけないと眠れなかった
それが昨晩は窓を締め切り、布団の横で丸まっていたタオルケットを首までかけた。

10℃下るだけでこれだけ変わる。
14℃になったら、4℃になったら、マイナス4℃になったら。
たった40℃の温度差の中で地球上の生物は生きています。

これが宇宙的規模でみたらどうなんでしょう。
月や火星の表面で太陽があたる灼熱の地帯や影になる極寒の場所
とても地球上の生物というものは生存ができそうにありません。

ほんとうにぼくたちは地球の周りをほんの薄く取り巻いている
空気帯とそれが守ってくれている40℃の温度の中で水とともに
生かされているのだと思います。

さて「ケメコ礼文へ還るⅣ」です。
3回の予定が4回になってしまいました。
今日は礼文島3日目、旅立ちの日です。

9月12日、今日のフェリーで京都へ帰ります。
来たときと同じ、フェリーで香深港から稚内港へ
それから稚内空港から関西空港へ一気に直行です。

船は朝一便の8:45発
当時は香深港に停泊している船があって7時台に朝一便あったと思うのですが
現在は4隻ある3000トンのフェリーは全部稚内で停泊して6:20に出航して
8:15に着いて折り返し稚内行きになります。

9月半ばをすぎると桃岩荘のヘルパーはつらくなってきます。
9月一杯で閉所するので出て行かなければなりません。
いつ帰る?いつ島抜けをする?

仲間を見送るのもいやだけど、見送られるのもいやだ!
ヘルパー同士でいろいろ話します。
でもいつもそんな場面には当時ペアレントの息子だったシュウちゃんは加わりません。

だって彼だけは帰るところがないのです。
見送られることはありません。見送ることだけです。
彼はずーっと出て行くことなくこの礼文で暮らしていかなければなりません。

そして30年前のぼくたちはみんな一人ひとり島をでて
街に行き、働きはじめ、そして結婚し、子供が生まれ、子供を育て
赤ちゃんだった子供が30歳になる時間が過ぎたのです。

船が着いて、入れ替わって船に乗り組みます。
桃岩のすっかり顔なじみなった連中が乗り組み口で見送ってくれます。
荷物も置かないでそのまま甲板へ直行。

見下ろす桟橋で桃岩名物の見送りが始まります。
ヘルパーもホステラーも一緒になって
30人ほどのパワフルダンシングシンガーズです。

船内でも桃岩から帰る連中が一緒になって歌います。
そうです。なにも変わっていません。歌やスタイルは変わっても
仲間を送る気持ちは変わっていません。

景色が滲んできそうで思わず見上げると礼文の丘の緑がきれいです。
出航です。今年のチーフヘルパーのギター弾きの彼と眼が合います。
お互い、うなづくだけの会話ですが、何かが確実に伝わります。

船の別れは残酷です。ずーっと見えています。
仲間が、揺れる旗が、、灯台が、建物が、そして島影が・・・・。
横をみると桃岩のホステラーの女の子が号泣しています。

「はじめて来て、すぐに帰るつもりだったのに、
 いつのまにか、ずるずると3日も居てしまって・・・・」
「絶対、また来ます・・・・」

礼文島・桃岩荘はすべて非日常の世界です。
声が枯れるまで大声で歌って踊って、1日に34キロも歩いて、
ぼろぼろ泣いて、青い海と蒼い空と赤い夕日と満天の星があります。

ありがとう!礼文島。ありがとう!桃岩荘。ありがとう!仲間たち
ケメコはうすに帰ったぼくの手のひらにチーフヘルパーの彼と
出航のときに交換した猫岩のイラストの入ったギターのピックがあります。

今日のケメコ通信ブログ版の写真は「シリーズ:ケメコ礼文へ還るⅣ①~⑤」です。

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1 コメント

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見送り (白熊)
2005-10-28 17:35:14
先月、私の住む利尻島から礼文に渡りました。帰りのフェリーで元気な見送りの風景を見聞きして、非常に新鮮なすがすがしい気分になりました。本当にかすれた声で、大声で歌う光景を印象深く見て来ました。桃岩壮いいですね。