以心伝心 from Bolivia

青年海外協力隊として2年間、ボリビアの小学校で活動。

小さな喜び

2011年05月25日 | 日記


あれからそれから・・・。

少しずつではありますが、嬉しかったことがあります。

まず5年の教室に行ってみると、委員会の子が中心になって大きなごみ箱を目立つよう

に教室においていました。

3年生のクラスへ行くと、「プロフェ!ゴミ箱に捨てるからね。」と食べたごみを、

わたしに見せそのままゴミ箱へ。続いて他の子も。

クラスの中から少しずつ何かが動き出しているような気がしました。

そして校長に相談すると、ちょうどラパスから環境の団体が来るからと、保護者達への

環境セミナーを小学校で開いてくれるということになりました。

「よきことはかたつむりの速さで動く」わたしのすきなことば。

そうだったそうだった、と思う今日この頃。

この1年間、周りの人に支えられているから、ここで活動できている。

初任のときを思い出します。


何も分からずきつかったとき、いつも子どもへの姿勢を背中で教えてくれた熱いO先

生。

落ち込んでいるときふざけて臭い靴下を投げてきた愛情たっぷりI先生。

いつも優しく家庭訪問の大切さを教えてくれた紳士なT先生。

あたりまえのことをあたりまえにやることを教えてくれた笑いの響き渡るO先生。

いま思えばものすごい個性派ぞろいだけど、初任であの学校に行ってよかったと心から

思います。

先日、1年生の親から「担任がうちの子は悪いっていうんだけど、先生どう思います

か」と相談を受けました。

わたしは算数しか見ていないけれど、その子がちょっと落ち着かない様子だったのを知

っていました。けれどその子だけではなく、1年生はほとんどがそうです。

だから学校でも見ていくし教えているから心配しないで大丈夫だよと言い、お母さんが

寝る前に絵本を読んであげたり、今日どんなことをしたのか話しを聞いてあげると子ど

もは落ち着くので、一緒に協力していきましょうと話しました。

1年生には授業中お菓子は食べない、聞きたいことがあるときは手を挙げるということ

を授業の前にいつも確認します。そうしないと、いつの間にか放牧状態になっていま

す。それから話を聞くときは「目で耳で心で」を絵に描いて貼ったり、目をつぶって心

の中で10を数えたりします。

ごみもそうですが、目に見えることだけで捉えるとがっかりしてしまいます。

現場で、人やものとの関わりの中で、自分の未熟さや頑固さがいつも見えます。

けれど、いつも自分の信念さえぶれなければそれでいい。

そう思うと目の前にある一つひとつのことを大切にできるような気がします。

最近は、ケチュア語の子がスペイン語を覚えて、わたしが挨拶をすると返してくれるよ

うになりました。

小さなよろこびが教育なんだということを忘れてはいけませんね。

今日は、学校でお祭りです。子どもたちがボリビアの伝統的なダンスを踊ります。

カメラを用意して小さなよろこびを撮ってきます。

愚痴を言いたいときもある

2011年05月19日 | 日記
「ごみはゴミ箱に」

日本人的感覚からしたら、あたりまえのこと?

リサイクルとかいう前の問題。

日本のように昼休み後、子どもたちが掃除をする時間はない。

だからいつも2回の10分休みのあとには、床にごみがたくさん落ちている。

そのあと、掃除する仕事の人が子どもたちのごみをはわいてくれる。

だいたいは、お菓子の袋や食べこぼし。

毎日出るマフィンのようなパンは、子どもたちに栄養をつけさせるために

スクレ市が出している。

以前は牛乳も出ていて、床に牛乳が飛び散っているときはとても臭かった。

自分の部屋にごみが散らばっていると「汚い」という感覚がまず始めにくるんだろう

けど、ここではそうではなかったりする。


このことをスクレにいる環境隊員に相談し、環境教育に協力してもらうことになった。

隊員の働く大学の環境学部の学生達が、全校児童の前で小学校の子どもたちに扮し劇をする。

そして日頃の生活について、ごみについて考えてもらうことにした。


わたしはこれを単発で終わらせたくなく、継続して小学校で取り組みたかった。

なので高学年を中心に上級生が呼びかけ、上級生が下級生の見本になっていく「環境委員会」

をつくったらどうかと校長に提案した。

校長も「いいわね」と言ってくれたが、事務の先生が子どものジャージ代を持ち逃げして、

事務の仕事までしなければならなくなりとても忙しそうで、それどころではなさそうだった。

最上級生5年の先生に提案するとこれまた「いいわね」と言ってくれたが、忙しいらしく

話し合う時間などはとってもらえなかった。

それでもものすごい人数の立候補のなか、各クラス2名、計6名の子どもたちを担任が選んだ。

わたしは先生たちに「学校をよくするために前に立てる子、がんばれる子を選んでね」とだけ

伝えていた。

けれど先生たちは、頭の良さで選んだようだった。

わたしは担任ではないので先生たちに選んでもらったが、こうきたか・・と思った。

それでも精一杯やるんならと思って、自分も意気込んでいた。

どんなことがいま問題かやそのためにどんなことを委員会としてやっていくかを紙に

書いてきてもらった。

集まるのは、10分休みのみ。

こういうときに、昼休みみたいな長い休み時間があればなぁと思った。

子どもたちは配った紙に、クラスをまわって呼びかけるなどの言葉を書いてきてきれた。

そしてパソコンで意見をまとめ、環境委員の子がどんなことを考えているのかを委員会で共有した。

子どもたちには「学生達が劇をしにくる日に紹介するから前に出て、短くていいからどんなことを

委員会でしていきたいか言ってね」と伝えた。

自分では伝えたつもりだった。



そして当日。

ごみをポイ捨てし、食べ物を投げつける子どもたち。

ふざけていたのに喧嘩になり、落ちていた袋ですべって怪我をする子。

生ごみに蝿がわき、悪臭が漂う。

そうじをする仕事の人が、ゴミ箱に捨ててほしいなと嘆く。


リアルな日常を、大学生ががんばってやってくれた。客観的に自分たちを見るのは興味深かった

ようで、みんな食い入るように見ていた。

それから学生はペットボトルなどリサイクルで作れる物の紹介もしていた。

とここまではよかった。

しかしそのあと。「環境委員会の子、前に出てきて」と言うと、誰も出てこない。

あれ?と思って5年の前まで行き、もう一度呼びかける。

すると、3人がものすごく嫌そうに出てきた。そして残りの3人は出てこなかった。

すると5年の先生が、

「あなた突然言ったって無理よ。前で言う言葉を書いてちゃんと先生に見てもらわないと」

と私に言った。

出てきた3人は一言こんな学校にしたいというおもいを言ったが、ものすごく恥ずかしそうだった。

子どもたちは前に出ることに慣れておらず、担任の先生たちは子どもたちに恥をかかせた私に怒っていた。

すべてが終わった後に、

「わたしは事前に言葉を言うように言ったわよ。5年生だから難しいことではないわ」と言うと、

何も言わずにわたしの顔をしばらくじっと見て、こう言った。

「子どもたちは用意してなかったじゃない。何でも少しずつやりなさい、あなたはやりすぎよ」と言われた。

ガーーーン。

いつもいつも用意して完璧じゃないと子どもは前にでれんのかい!!たった一言言うだけなのに・・・。

今回のこの機会をきっかけに、先生から言われるではなく子どもたちが自分から取り組める活動

につなげたかった。

子どもたちが取り組むためには、時間の確保ともうすこしガチガチ感から解放させてあげなければ

ならない。

けれど先生たちの見た目重視、ごみへの関心のなさにはがっかりする。

先日も見た目だけでスポーツの女王を選ぶというのがあったが、運動など何も考慮せずに見た目の

かわいさだけで選ぶのは何の女王を選んでいるのか分からなくなる。



次の日。どのようにしていくか5年の先生たちに相談するも、だれも乗り気じゃなった。

他のイベントを抱えているらしく、環境委員会よりもそのイベントについて話し始めた。

あーーーあ・・・。



ノミに刺された足がかゆい。

わたし完全に空回りだな。

子どもたちからもらったノミ。

夜中に目が覚めるくらいのかゆさ。

ノミの心臓なんてことわざがあるけれど、なかなか死なない恐るべしノミ。

そして、やっぱり今日も床に落ちている大きなゴミたちが目に飛び込んでくる。

「ごみはゴミ箱に」なんて意識しないようなところに住んでいる子もいるだろう。

子どもたちの生活と教育をおもう。

毎日抱きついてきて、愛くるしい笑顔で話す子どもたち。




もうすぐ1年。1年同じ学校にいると、見えなかったことが見えてくる。

やっぱり素敵なところ、よくしたいなと思うところ。



すぐに変わるなんて思ってない。

そんなに簡単じゃないこともわかってる。

言葉だって上手に話せていない自分が悪い。

アプローチの仕方を変えてみようかな。

こだわらないことも大事かな。

もう5月も終わる。

ボリビアはさむ~い冬の到来。

死を想え

2011年05月15日 | 日記
これは、3月7日の日記である。

その4日後東日本大震災が起こりブログ更新を控えていたが、記録として残す。



ピシャー!

窓が、突然紫色に染まる。


サンタクルスからバジェグランデまで乗り合いバスで約6時間。

カルナバル(お祭り)期間ということもあり、バスでの移動は予想以上に大変だった。

水風船や水鉄砲を、容赦なくバスにかけてくる子どもや若者達。

時には、色水鉄砲ということもあった。


サンタクルスは夏のような気候だから、窓を開けていないと暑くてたらまらない。

鈍っていた反射神経を存分に発揮し、くる!と思ったらつかさず窓を閉める。

そんなリラックスできない旅路を経験したのは、初めてだった。

それでも訪れたかった場所、バジェグランデ。

さらにもっと訪れたかった場所、さらに3時間のイゲラ村。

バジェグランデのカルナバルは、本当に可愛らしかった。

音楽を演奏する小さなグループがいくつもあり、細い路地を歩きながら楽しそうに音楽

を奏でていた。

お年よりも若者も子どももみんながひとつになって、これぞ地域のお祭りという雰囲気

だった。

大きな都市のお祭りもいいけれど、こんなアットホームなお祭りのほうが私は好き。

人の表情や一体感が、より間近で見ることができるから。

1日目はバジェグランデのお祭りを肌で感じ、2日目は早起きをしてイゲラ村へ。

これまたタクシーでの3時間の旅路は、ガタガタの山道。横を見たら崖っぷちのような

ところから、霧が深くて先がよく見えない場所まで。

振り返れば、ちょっとハラハラしながら乗っていたのに、いつの間にか爆睡してしまう

神経の図太さ。

イゲラ村までの道のりでタクシーが止まり、チュロ渓谷の場所を運転手が教えてくれ

た。

眠気眼で降りてみると、辺り一体に広がる山々。そしてこの渓谷で、ひとりの志士とそ

の仲間が捕らえられた。

イゲラ村で迎え入れてくれたチェ・ゲバラ。その像は、一瞬こちらを手招きをしている

ように見えた。

博物館になっている小さな建物は、かつて小学校だった。

後ろにそっと置かれた机が、これまでの歴史を静かに物語っている。

チェはこの小学校でボリビア兵に射殺されてから、遺体は30年もの間ひっそりとバジ

ェグランデの飛行場脇に埋められていた。

その後元ボリビア国軍司令官の証言によって遺体が掘り起こされ、キューバで盛大に

迎え入れられた。

                 
彼のふるさとは世界の中に、民衆の中に。

ゲバラに会ったこともなければ、どんな人でどんな思いを持っていたのかは本の中でし

かしらない。

けれど私は帰りのタクシーでボリビアの広大な山々を見つめながら、熱い思いに浸って

しまった。

民衆のために生きたこと、生と死が常に自分の中にあるからこそ、誰よりも生きること

に必死だったことに胸が熱くなった。



あのことばが頭をよぎる。

メメントモリ、死を想え。

「死にたい」のと「死を想う」のはちがう。

「死を想う」からこそ「生」が鮮やかに見えてくる。


人は本当にちっぽけだけど、必死に生きるからこそ美しい。

人の力は本当にちっぽけだけど、そのちっぽけな力を必要としている人たちがいる。

金に流されるな。デマに騙されるな。

先進国だろうが発展途上国だろうが、人間の弱みはどこにだって共通する。


そして人が考えを持ち判断するには、学びが必要だ。

いまのわたしには意見はあっても、判断し主張する力、あるいは起こった現実について

受け入れられるほどやわらかな心、深さはない。

けれどちっぽけであり弱き自分を認め、一生学び続けたい。

そんなことを考えながら、また「生きる」ことに希望を持つ。

              

原点の村

2011年05月02日 | 日記
              

あたたかい布団があること。

あたたかいスープがのめること。

それだけでありがたいと思った。

「しあわせ」は自分の心が決めるというけれど、「貧しさ」も自分の心が決める

のかもしれない。

連休を利用して、わたしはアパートで働くフランシスと6年生になる娘と共に

プレストという村を訪れた。

スクレからミクロで約3時間の村である。

よく泊まりに来る隊員の女の子がプレストに住んでいるんだよというと、

フランシスが「じゃあ一緒に行きましょう」と誘ってくれたのだ。

彼女は、田舎が好きらしい。わたしと4つしか年が違わないが、働き者で

一人娘を立派に育てているので尊敬している。

途中に通る織物の村タラブコからプレストまでの道のりが、突然ガタガタ道に変わり、

座っているだけで体中が擦れてかゆくなった。

話してても砂利の音で聞こえないので、次第に乗客は無口になる。

田舎の田舎に入っていくときのバスの光景である。

日帰りの予定だったが、一日1本しかない帰りの小さなバスが満席で乗れず、

急きょ1泊することになった。

何も持ってきていないわたしたちは最初ちょっと落ち込んだが、

「しょうがないよね」「じゃあこれから冒険だね」と言い合いながら、

プレストにある川へ向かうことにした。

思っていたよりも水がなく、ちょろちょろと流れている川だった。

寒さの中、洗濯をする人もいた。

5月に入ったからか気温が一気に下がり、フリースにウインドブレーカーを

はおるぐらいの気温だった。

川を渡り、正面にある丘に登ってみることにした。

丘と思いきや、坂が急でゴロゴロ石がいっぱいで足場も悪い。

よっこら歩いていくと、藁葺き屋根のような家がぽつんぽつんと現れ始めた。

そこに2人の男の子が見えたので、遠くから「お~い」と手を振る。

するとすぐさま隠れてしまった。家の横を通り過ぎようとしたとき、

塀をちょっと覗いてみると、2人の男の子が照れくさそうに隠れて笑っていた。

「Hola!」と挨拶をすると、にっこり笑って出てきた。6年生と2年生の兄弟だった。

6年生の男の子は、もう何日も洗濯していないような汚れた服をきて、

Tシャツを長ズボンにきちんと入れてベルトでぎゅっと締めていた。

サンダルはもうぼろぼろだった。

この寒いのに半そでである。目はきりっとしていて、まさに野生児。

わたしたちがよろよろ足元に気をつけながら登る中、彼らは50メートル走を

全力で駆け抜けるかのように、頂上へ向けて一直線に走り出した。

すっすごい・・・。この子達、かっこよすぎる。

わたしも真似してみる。

案の定、コケる。。。

兄弟達はいつの間にか木に登り、足だけでぶら下がりながら私を見て

大笑いしていた。

わたしも一緒に笑う。

丘の上から眺める風景は、山々の美しさをさらに感じることができた。


冬のような寒さの夜、プレスとのひろみ隊員と寄宿舎を訪問した。

ボリビアには田舎の田舎の田舎があるのだ。

プレスト村が田舎の田舎だとしたら、寄宿舎にいる子どもたちは

田舎の田舎の田舎に住んでいる。そのため、学校がない。

子どもたちは平日親元を離れ、プレスト村の寄宿舎で生活している。

わたしが訪問した日は3連休ということもあって、自宅へ帰っている子が

ほとんどだった。寝室を覗いてみると、冷たい病院のような空間だった。

そこに一人だけ6歳ぐらいの女の子が寝ていて、なんだかさみしくなった。

彼女はなんで家に帰らなかったのかな、そう思うとさみしくなった。

ひろみ隊員はこう言った。

「彼女たちにしてみれば、ものすごく幸せな生活。

だって、自宅は壊れそうな土壁の一つの部屋に大家族で生活しているんだから。

一人にひとつベッドがある、それだけで幸せなんだよ」と。

わたしが訪れたとき、中学生の男の子が、食堂で数学の勉強をしていた。

きっとさみしさもあるだろうけど、この子達は学ぶために親元を離れ、

寒い部屋で勉強をしている。

学ぶために一生けん命な姿を見た。



ひろみ隊員は子どもたちの宿題を見たり、彼らをまちのスポーツ大会に

参加させるため、ミサンガやピアスのつくり方を教え、まちで販売して

交通費を集めている。彼らに夢や希望を。

そんなひたむきな彼女も、去年の秋は村を出たくてしょうがなかったそうだ。

なんでわたしはここにいるんだろう、とことん落ち込んだ時期もあったという。

丸坊主にした彼女はすべてを洗い流したかのように、笑顔の似合う

和製ナタリーポートマンになった。ちょっとほめすぎ?



今回、ほんとうに小さな活動を見た。

ほんとうに支援が必要な活動を見た。

原点をもう一度教えてもらい、心が動いた。

村の先生たちは週末スクレの実家に戻るそうなので、ぜひ算数の勉強会に

参加してほしいと伝えた。

この村を訪れて、やっぱりわたしの目標は村へ巡回することだと再認識した。

そのために、いまはスクレで起点となる勉強会を発信、充実させる。

目の前にいる子どもの反応を大事にする。


ノミにも負けず げ○にも負けず。

これいまの試練。


見上げる空のように、広く素直なこころで。