日本国憲法の映画「太陽と月と」の制作プロデューサーは語る

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映画「太陽と月と」 外伝 ② 無名のものへの愛着(2)

2012-01-15 21:03:06 | 日記
近代日本の最初に農民層が大きく関わった政治運動が自由民権運動です。H.ノーマンや鈴木安蔵(終戦直後の憲法研究会のメンバー)は明治初期の自由民権運動に日本デモクラシーの源流を見出しています。

映画「太陽と月と」はこの源流に着目し日本国憲法の制定までを、歴史の中で埋もれ隠された水脈を溯るように描いています。戦後の憲法が占領国に押し付けられたものではないということを証明するためです。

明治初期、各地に起こった自由民権運動は国会の設立を要求するとともにそれぞれの地域で、富裕な豪農層などに支えられた学習サークルを持ち、政治の在りかたなどを論じ合っていました。そのような勉強会の中から多くの私擬憲法草案がつくられていきます。現在残っているもので最も民主的とされる憲法草案は土佐の植木枝盛が編んだ『東洋大日本国国憲按』です。植木枝盛は高知の武士の出ですが、彼の思想は人間の権利として自由平等を徹底的に推し進めていて、当時としては最もラディカルなものでした。

映画「太陽と月と」第1部(明治編)は植木枝盛の『東洋大日本国国憲按』と千葉卓三郎の編んだ『五日市憲法草案』について詳しく描いています。『五日市憲法草案』は1968年に東京経済大学の色川大吉教授を中心とするグループによって武蔵五日市(現あきる野市)の農家の土蔵の中から発見されたものです。この2つの案に日本国憲法の源流が見て取れると言われているからでした。

映画「太陽と月と」 外伝 ② 無名のものへの愛着

2012-01-09 16:06:10 | 日記
戦後憲法制定にあたって尽力したGHQ側の一人として、カナダの外交官バーバート・ノーマンがいます。映画「太陽と月と」でもノーマンについては少なからず取り扱っています。

H.ノーマンは歴史家で特に日本の江戸時代の分析に優れた仕事を残しています。日本の学界では殆ど顧みられる事のなかった安藤昌益に光を当てたのも彼です。終戦直後の日本占領時、GHQのスタッフたちが占領政策を遂行するにあたりバイブルの一つとしたものがノーマンの著書『日本における近代国家の成立』でした。
映画「太陽と月と」をつくるにあたり、疑問におもっていたことはなぜ世界でも最も民主主義的だといわれている憲法が、戦後日本社会に受け入れられ且つ根付いていったかということでした。そのことを解く鍵が、自由民権運動という明治初期に於ける政治活動を日本各地津々浦々で支えた農民層の存在と働きでありました。

「無名のものへの愛着」とは丸山眞男が親交のあったH.ノーマンについて言った言葉です。ノーマンは早くから日本の社会変革における農民層の働きについて着目していました。
つづく


日本国憲法誕生のルーツを探る 映画「太陽と月と」 

2012-01-04 19:23:14 | 日記
今年は映画の上映を推進したいと祈念していますので、今日は今までに開催された「太陽と月と」上映会での感想文の一部をご紹介することにします。
上映などに興味のある方はどうぞご連絡ください。
℡:090-7902-1955 峯岸和生

《映画を見ての感想文の一部》
* こんなに史実を集めて憲法の大切さを説いて下さって感謝の気持ちでいっぱいです。このような映画を情熱を込めて制作した素晴らしい先輩方がいることを誇りに思います。(女性30代)

* 「憲法」を誇らしく思いました。とても感動しました。日本国の先達の自由民権の精神が脈々と流れ「憲法」で開花したことを知りまた「マッカサー憲法」と言われている底流に「憲法研究会」の精神が汲まれていることを誇りに思います。胸を張って世界に紹介してほしい。「世界の遺産」の感を強く持ちました。福原監督ありがとう。(男性70代)

* 憲法改悪が国会のスケジュールに乗せられようとする時期に憲法がGHQの押し付けで出来上がったものではなく、明治期初期からの日本人自身による血のにじむ人間解放の思想から生まれてきたものであることを発信する映画が出来たことを喜びとしたい。ぜひ各地、各方面での上映活動の成功を祈っています。(男性50代)

* 格調高い作品である。現行憲法に注ぎ込まれている濃密な英知の背景を知ることができる貴重な作品である。映画に登場した植木案などを資料として鑑賞者が入手できればもっと良いかもしれない。(男性30代)

* 憲法は難しいものだとほとんどの人々がイメージしていた これ迄。しかし、こうしてわかり易く解説してくれるとそうではない事がよく分かる。この様な機会をこれまで地道につくり続けて下さっていることでその変化は必ずあると思います。この映画は大変大変素晴らしいものです!2度3度見、4・5度目ぐらいからやっと作った方々の1シーン1シーン、ナレーションの一言一言をきちんと取り込むことが出来るのではないかと思います。(女性50代)

映画「太陽と月と」外伝 ① 原発は誰がつくらせたか

2012-01-03 22:38:58 | 日記
「憲法と原発」という括りでしばらく思いついたことを語ります。

2011年は「アラブの春」と呼ばれる民衆による決起が独裁体制を倒しました。
これらの地域の国々では政治的トップが変わっても独裁から独裁へと権力がバトンタッチされるだけでしたが「アラブの春」は子も状況を一新させたのです。これは民衆=国民が国の主権者になるべく立ち上がった革命でした。そして流れは中南米やアジアの国々を巻込みすでに大きな影響を与え始めています。

あらためて申すまでもなく日本は国民主権による民主主義国家です。日本国憲法は真っ先に主権が国民に存することを宣言しています。
 
私の生まれた年1955年(昭和30年)は原子力基本法が成立した年です。日本は原子力平和利用の名のもと原子力発電への途へと乗り出していきます。前年(1954年)に起きたビキニ水爆実験による漁船第五福竜丸ほかの放射能被災事件は主婦層を中心とした核実験反対運動のきっかけとなり原水爆禁止運動の全国的広がりと発展した年でもあります。
広島・長崎、ビキニ、福島と日本人は4度の核による被ばくを体験しました(核兵器による被ばくと原発事故とは次元が違うといわれる方は多いと思われます)。1963年に東海村に最初の原子力発電所が完成して以来、事故の報告があったにもかかわらず54基もの原発がつくられてきました。

では、誰が原発をつくらせたのか?
原発推進勢力により情報は管理され捏造、誘導が繰り返され反対意見は圧殺されてきました。日本は1955年から2011年の間独裁体制の国家ではなかった筈です。ですから政府は原子力発電を続けるのか止めるのか主権者に対して民意を問う義務があります。勝手に原子力政策を推進させることはこの国が民主主義国家である限り許されないことだと思います。

1968年にチェコ民衆が自由を求めて立ち上がった「プラハの春」は旧ソ連を中心としたワルシャワ条約機構軍によって蹂躙されました。しかし政治的自由を求める民衆の情熱を根絶やしにすることができなかったことはその後の歴史が証明しています。

脱原発という民意が原発利権という戦車に蹂躙されることのないよう多くの皆さんと語り合っていきたいと思います。

映画「太陽と月と」ちらし

2012-01-02 22:07:13 | 日記