錦鯉とカメラ

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

今日のカメラは minolta 'A-2'です

2018-03-14 11:30:53 | 趣味

2018年3月14日




 

minolta 'A-2'ヤフオク!
1929年発売のベスト判カメラ「ニフカレッテ」に始まる。
その後二眼レフカメラを得意としていたが1947年発売の「ミノルタ35」を皮切りに次第に35ミリカメラに開発の比重を移していくこととなる。
1962年NASAの厳しい試験をクリアした35mmレンズシャッターカメラ「ハイマチック」がグレン中佐乗り込むフレンドシップ7号の宇宙飛行用カメラとして採用されフレンドシップ7号にちなんで製品名称に7を多用するようになる。
ミノルタのカメラが普及した背景には技術力もさることながらミノルタのCM戦略も大きかった。
1980年宮崎美子を起用した「X-7」のCMが大ヒット、X-7は瞬く間に当時のベストセラーモデルとなった。
1985年発売、世界初のシステム一眼レフカメラ「α-7000」に始まるオートフォーカス一眼レフカメラのαシリーズはマニュアルフォーカスとの互換性をなくし絞りもボディー側から電子制御する等電子化された新マウントミノルタAマウントを採用し第1回ヨーロピアン・カメラ・オブ・ザ・イヤーを受賞するなど日本のみならず世界中でのヒットとなったが1987年アメリカ合衆国ハネウェル社が同社の保有するオートフォーカス技術の特許侵害で訴訟を起こしミノルタは約1億ドルもの和解金を支払うこととなった。
この特許侵害訴訟ではサブマリン特許という概念が日本企業に認知された。
このハネウェルとの特許訴訟に敗れたことに加え、キヤノン・ニコンが地道に改良を重ねやがてカメラの売上でミノルタを上回るようになる。
デジタルカメラの開発では競合他社に大きく遅れをとり、2003年コニカと合併しコニカミノルタホールディングスとなってからもCCDイメージセンサを動かすことで手ぶれを補正する「アンチシェイク」など独自の技術で他社に挑んだものの努力は実らず次第に業績が悪化。
2006年1月19日、コニカミノルタホールディングスは翌2006年3月末に写真フィルムからレンズ・カメラに至る全ての写真関連分野から撤退することを発表した。
「α」ブランドを含むデジタル一眼レフカメラについては先に提携を発表していたソニーに譲渡し同時期をもって長年続いたミノルタのカメラ事業は幕を閉じた。
『minolta 'A-2' (画像)』




錦鯉(youtube)
5t池に85㎝を頭に15匹泳いでます。


Stylophot Penカメラ(youtube)



小千谷市錦鯉の里オーナー鯉