一通のが誤解を生み、「一生懸命」が仇になってしまう事になってしまう。
こちらの思いと受け取る側の思いが電波に変えられてしまった様な気がする。
結局、「一生懸命」をしなくていい事になってしまった。
以前、「建前と本音」と云う書きこみをしたことを思い出した。
このブログを立ち上げた頃の記事にこんなことが記されていた。
(2009年1月の記事より)
建前を前面に出すひと。
建前と本音を上手く使い分けるひと。
本音を貫くひと。
ひとそれぞれですね
俺は建前ばかり言う奴はどうも苦手で信用できない。
特に若いくせに建前ばかり言う奴は対応が難しい
本音を貫く奴は何かと損をする。
でも、損をする不器用な奴が好きだ
太鼓の稽古でも不器用で怒られてばかりいる奴が、負けずに最後まで続ける奴が大好きだ。
そんな奴らが将来伸びるから(今までの経験から)。
と記されていた。
建前の世界に身を置くことが苦手な自分が建前社会で「一生懸命」に頑張っていたんだ。
これからは本音の社会で気ままに、楽しみのなかで新たな「一生懸命」をやって行きたい。
「勝って踊るな! 負けて腐るな!」ですね