ある方からメールが来ました。筑前町・三輪中のいじめ自殺事件で、いろんな声が耳に入ってきますが、筑前町のある児童委員が 「波風立てるな。子どものことを何も分かっちゃいない。」 と発言したそうです。
「分かっていないのはどっちだ。」 とその方は思ったそうです。実は私も筑前町児童委員については大いなる疑問を持っていました。自分だけが分かっているという顔をされると、非常に抵抗感を覚えるものです。
ましてや、 「何風立てるな!」 の言葉はあきれ返るばかりです。事件にきちんと正面から向き合わなくて何が解決できるのでしょうか。問題に目をそむけ、風化するのを待つ姿勢は、問題山積の教育委員会や学校現場とまったく同じです。
今回の事件は明らかに教育委員会と学校に問題があったと思っています。指導力も管理能力もない彼らに少年は見殺しにされた と思っています。それに対して擁護するような発言は許せません。
きっと自分の子どもの内申書を気にしているのでしょう。だから学校を責めないのでしょう。そうとしか思えません。このような感覚の児童委員なんて不必要です。即刻辞めていただきたいものです。事なかれ主義の典型を見せ付けられた思いがします。
昨日はある方たちと会合しました。何かできることをやろうじゃないかという方々との会合です。ネットで知り合った方々です。今回の事件を通して知り合ったものです。熱い情熱を感じました。
私は 「急ぐことはありません。じっくりと取り組んでいきましょう。」 と言いました。この問題は非常に根が深い問題です。また国家的な課題でもあります。通り一遍の言葉では表現できない、いわば 「日本の深い闇」 だと思います。途方もない時間がかかるかも分かりません。
自殺の連鎖が止まらない状況は極めて深刻です。波風立てない意識を払拭しなければこの問題は解決しません。大人たちのこの意識を変えない限り、事件の真相も見えてはきません。この児童委員は分かっていて目を背けようとしているのでしょうか?
■「朝日」の9面の藤原新也さんという写真家(作家)が「時流自論」でドッキリする女子高生の電車内風景の自らの写真とともに「いじめという集団の自傷行為」とのタイトルでその鋭い視線を見せていた。「受験管理教育という“強制収容所”の密室で喘ぎ、心が病み、歪み、イジメ合うことでガスを抜くという自傷行為が繰り返されている」と。すごくストレートな言い方だけどナットクですよね。「東大解体」や「進学塾規制」も具体的な提案で面白かったね。
■要は、依然として古くて新しい課題の「義務教育から進学受験競争をなくす」ってことをあきらめてはいけないですよね。この件ではかって紹介した古山明男さんを訪ねてみて下さい。やらせタウンミーティング問題など国会で奮闘中の保坂展人も、ホサカ流・教育制度政策論も見せてほしいよね。
■藤原さんの改革提案もすごく革命的でいいんだけど、教育分権派のシミちゃん的には少し物足りないなと思って、ふと8面を見たら「指導要領に拘束力なし」(私の視点)と新藤宗幸千葉大教授が投稿していた。先日プレスセンターのシンポで司会してたから、余計親近感だ。そうそう大体、藤原さんが進学塾は日本と韓国だけだよと言っていたけど、「学習指導要領」ナンテものも世界に稀な「絶対・無謬・包括観念の官治集権(教育)の時代錯誤」(松下圭一)で本来、地方教育行政が従わなければならない理屈は地方分権一括法(2000年)で消えているはずのものですよね。(そこのからくりは古山さんが詳しい)
■気分が乗ったところで、もう少し。思い出したハナシで恐縮ですが、ドクター月尾(月尾嘉男・東大大学院教授)もテレビで言っていたけど学力世界一のフィンランド(や北欧)では学習指導要領もないし、教科書検定もないっていうことをもっと考えてみたいですよね。その背景がこれも世界で一番進んでいる地方分権のクニ北欧のフリーコミューン(改革)の歴史だったってこともね。それにしても「このまま行ってしまうか教育基本法」だけど、専門家の教育学者達の自信なさそうな評論より新藤さんなど地方分権派のメッセージ(余り多くはないが)の方が明快なのは皆さんどうしてだとお思いでしょうか?
このような発言は確かに残念でしたけれど
言葉の裏に隠された思いも読み取ってみたいと思います。
人を切っていけば済むことでもないですし、
子どものことを思う気持ちは同じなのです。
捉え方や視点がそれぞれ違うだけなのでは?
手をつなぐことが重要なのでは?