雑感2011~軽井沢高校校長室から

校長の視点で書いた折々の感想や校内外へ寄稿した文章を掲載します。ご愛読ください。

 4月28日(木) 平成22年度「軽高会議」のまとめ・巻頭言 03

2011年04月28日 | エッセイ
         
              「三者でつくる軽高会議」の存在意義
 
                                長野県軽井沢高等学校長 内堀繁利


 「三者でつくる軽高会議」(略称「軽高会議」)は、「生徒・保護者・教職員の三者が定期的に話し合いを持つことにより、よりよい学校づくりに役立てる」ことを目的として、平成11年11月20日(土)に記念すべき第1回の会議が開催され、以来、今年で12年間、ずっと開催され続けている会議です。
 昨年4月の着任以来、教職員・生徒・保護者・地域住民など、学校にかかわるすべての皆さんに、ことある毎に「+1~Plus One~ みんなでいい学校を創りましょう」と呼びかけてきましたが、軽高会議も同じ方向の同一線上にあるものだと考えています。

 他の高校ではあまり例のない、三者による協議会が本校で行われるようになったのは、当時の生徒・保護者・教職員の三者がその意義を強く認識し、実現に向けてまさに一丸となって取り組んだからでした。
 まず生徒ですが、当時の代議員会議長が、日頃利用しているカップラーメンの自販機が健康問題を理由に撤去された際に生徒の意見が訊かれなかったことを契機として、学校をよりよくしていくためには生徒の声や力を学校づくりにもっと反映させるべきだと考えるようになったのが始まりです。彼は他の本部役員や生徒会顧問の先生などと相談しながら着実に歩を進め、5月の生徒総会で代議員会の年間活動計画に「三者協議会の開催」を位置づけ、さらに7月にはこの件だけで生徒総会を開催して全校生徒の承認を得るに至ります。
 PTA役員の皆さんの姿勢も実現に向けた大きな力になりました。
 毎年10月の恒例クラス対抗ソフトボール大会には最低でもクラスで半数以上の会員が参加して大盛り上がりをし、文化祭一般公開日には毎年正門脇で野菜市を開いて外部から不審者の侵入を保護者自ら防ぎつつ売り上げは全部生徒会に寄付する。生徒会が行う校地外清掃へも参加するなど、当時も軽高のPTA活動はとても盛んでしたが、役員の皆さんが前年度から「先生、生徒と保護者で話し合う場がつくれないか」と考え始めていて、丁度生徒と時を同じくして、この年のPTA総会で年間事業計画に「三者協議会の実施」が盛り込まれることになったのです。
 教職員は、生徒やPTAとの調整を行うだけでなく、両者の動きと平行して、生徒会係や渉外係から職員会議などに何度も提案があり、その都度、軽井沢高校として軽高会議をどう位置付けるか、またそのあり方はどうあるべきか、真剣に検討を重ねました。
 これらそれぞれの取組を受けて、7月に三者による第1回の準備会、9月に第2回の準備会が行われ、上述の11月の軽高会議の開催へとつながっていくのです。

 こうして、三者による軽高会議がスタートすることになるわけですが、第1回の会議からほぼ1年たった頃、信濃毎日新聞が軽高会議のことを大きく取り上げました。
 詳細はこの冊子の中の新聞記事(http://www.nagano-c.ed.jp/karui-hs/001127shinmai-karukoukaigi.pdf)をご覧いただきたいのですが、記事では、「制服と同じ生地のベストだけでなくニットのベストを着られるようにしてほしい」と軽高会議の中で生徒から要望があり、アンケートの実施や職員会議の検討を経て、この年の10月から着られるようになったことを取り上げています。
 新聞には書かれていませんが、「今でも制服をきちんと着られない生徒がいるのに、ニットを許可したらさらに状況は悪くなるのではないか」という保護者や教職員の懸念に対して、生徒は何度も話し合いを持ち、自分たちで「制服着用徹底期間」を設けて、先生たちの手を借りずに「やればできる」ことを証明したりもしています。
 これがまさに「自主」「自立」「自律」「自治」ということだと思いますが、これらのことについて当時の生徒会長は「小学校や中学校では校則を変えられるというのは想像できなかったこと。三者で話し合える軽高会議という場があったからできた」と語っています。
 現在の軽高生は、当たり前のようにニットのカーディガンを着ていますが、こういう先人たちの努力があって実現したものであること、その当時の「心意気」を忘れると時計の針はまた元に戻ってしまう可能性があることを認識していないといけないと思っています。

 軽高会議の存在意義は、三者がフラットな関係で自由かつ率直に意見交換ができる場を提供すること、お互いの考えや思いを理解しつつ連携・共同して「よりよい学校づくり」を進める推進役たり得ることにあると思います。と同時に、軽高会議の話し合いや取組を通じて、あらためて三者が学校づくりの「当事者」であることを自覚することで、学校の風通しがよくなり、学校に流れる「空気」が穏やかで前向きになり、その中で日々の生活を送る生徒も教職員もそして保護者も「成長」を遂げることができることも大きな意義として挙げられるのではないかと思います。
 
 これも「『三者でつくる軽高会議』申し合わせ事項」(軽高会議の実施要項のようなもの)に書かれていることですが、軽高会議は学校運営上の決定権は持っていません。
 しかし、「生徒会・PTA・職員会議はそれぞれの機関から議題を提案することができること」「議題が提出された場合はその議題について検討すること」「軽高会議は各機関に話し合いを求めることができること」「各機関が軽高会議から求められた場合は話し合いを持ち回答すること」も書かれています。
 さらに「軽高会議で話し合われたことは、その都度、生徒会代議員会、PTA理事会、職員会議に報告すること」「それぞれの機関は必要に応じて、議題として取り上げること」もあわせて書かれています。
 私は、協議会としての軽高会議が、その存在意義を誰からも高く評価され、今後も存続していくためには、上述の部分がとても大事なことだと考えています。
 実は、「申し合わせ事項」を定めるときにも、この部分が一番時間をかけて話し合ったところなのです。
 年に2回をめどに開催される軽高会議が、もしもその場限りの意見交換に終始するとしたら、恐らく早晩「やっても意味がない」ということになるのではないかと思います。よりよい学校づくりのために必要だと思われることを議題として提出すること、話し合われた内容を三者が三者とも必ず持ち帰ってそれぞれの機関に報告し共有すること、出された意見のうちどの部分をそれぞれの機関に持ち帰るのかを会議の中で決め、持ち帰ったことはきちんと話し合い、その結論(や場合によれば一歩進んだ取組の成果)を必ず次回に持ち寄ること、こういう積み上げの作業を繰り返すことが、実は軽高会議の存続の生命線だと、軽高会議の創設に深くかかわった者の一人として強く思っているのです。

 同窓会副会長の土屋一男さんは、軽高会議の立ち上げの年に本校PTA会長をされていました。先日行われた今年度第3回の学校評議員会で同窓会長の代理として出席をされ、当時を振り返りながら、「PTAとしても、先生や生徒と意見交換する場がほしいと思って提案したことだが、当事と比べると議論の中身というか質がうんと上がったよね」と感心しておられたのがとても嬉しく、また印象に残りました。
 それは、よりよい学校をつくるため、校内のことはもとより校外のことにまでその議論の幅を広げ、三者が一体となって課題の解決に当たっていることを指していると思われますが、この話を聞いたとき、軽高にとって欠かすことのできない軽高会議の未来が明るく照らされているような気がしました。
                          
                 (平成23年(2011年)3月23日、麗らかな陽が校長室に差し込む日に)

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