雑感2011~軽井沢高校校長室から

校長の視点で書いた折々の感想や校内外へ寄稿した文章を掲載します。ご愛読ください。

 3月23日(金) 終業式・離任式 38

2012年03月23日 | エッセイ

 春弥生は、別れの季節です。

 今日は3学期終業式と離任式が行われました。
 ステージのある旧体育館が耐震工事中のため、新体育館で実施しました。
 今日は冷え込みが厳しく、外は雪も降っていましたが、生徒たちはそんな中、きちんとした服装で、長時間にわたって身体を動かすこともなく、真剣な眼差しで聞いてくれました。
 その雰囲気が上の終業式の写真からも伝わると思います。
 本当にいい集団になってくれました。

 本校勤務年数の長短はありますが、今年度末、私も含めて12人の教職員が転退職します。
 転退職の教職員は、職員朝会で職員向けに、そして離任式では生徒向けに、様々な「思い」とお別れの言葉を口にしました。

 卒業生がお世話になった先生にお礼の挨拶をしに来校したり、在校生が転退職の教職員と写真を撮る姿があったりして、つくづく学校という所はいいもんだなあと感じました。

 4月には、今の1・2年生はそれぞれ1つずつ進級し、新しい1年生が入ってきます。
 4月卯月は出会いの季節です。
 今日は軽井沢は雪でしたが、心弾む春がすぐそこまで来ています。

 昨年度の「校長日記『つれづれ軽井沢だより~乞う「ちょうどええ」』」、そして今年の「雑感2011~軽井沢高校校長室から」では大変お世話になりましたが、この記事をもってすべて終了いたします。

 ご愛読をありがとうございました。

 引き続き、軽井沢高校へのご理解とご支援・ご協力をお願い申し上げます。


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     平成23年度3学期終業式 校長講話


 みなさん、おはようございます。

 「だいぶ暖かくなりました」と言おうと思っていましたが、意に反して雨が雪に変わり、冷え込んできました。
 短めに話しますので、集中して聞いてください。

 昨年の3月11日、東日本大震災があり、その翌朝には長野県北部地震が起きました。
 東日本大震災では、地震そのものがかつてないほど大きかった上に、津波が押し寄せ、更には原子力発電所の事故があり、多くの人たちが亡くなったり行方不明になったり、遺族の人たちや被害にあった人たちは、いまだに苦しんでいます。

 そんな中、テレビで観たある映像と発言がとても印象に残っています。
 原発のある自治体にはお金が出ます。
 東北には、大きな産業もなく冬は出稼ぎに行かねばならない、そういう場所がいくつもあります。
 いろいろな議論を経て原発を受け入れるという結論を出した自治体は、原発誘致後に立派な建物を建てたり、町が豊かになったり、活気が出たりしたようですが、今度の事故で、自分たちの住みかから離れ、避難生活を余儀なくされている。
 誘致後に得たものばかりか、誘致前に持っていた自然や家までも失ってしまった。
 一体何のための誘致だったのだろうかというのです。
 地域住民は、いろいろな要素を考えて、原発を受け入れるという「選択」をしたわけです。
 その「選択」がどうだったのか、と今問われているわけです。

 君たちもそんな大きな選択ではなくても、日々選択をして暮らしています。
 生きることは選択をすることだと言ってもいいかもしれません。
 5時に目覚ましが鳴る、まず、すぐに起きるか起きないかを選択する。
 朝ごはんを食べるか食べないか、どの電車で行くか、そういう選択を積み重ねて日常生活が成り立っています。

 私が生まれた頃には、蛍光灯はなく、裸電球でした。
 炊飯器もなくかまどでご飯を炊いていました。
 風呂も薪を燃やしていました。
 有線電話と言って、町内の限定した人としか話ができませんでした。
 小学校の頃、家にテレビが来ましたが、四本足で白黒、ブラウン管といってものすごく厚みのあるものでした。
 私たちの選択はそんなに難しくありませんでした。
 生活が豊かになること、それが最優先でした。

 でも今は選択の幅が圧倒的に増えています。
 カタカナの職業をはじめ、職業の種類も当時よりはかなり増えました。
 海外旅行に行くのも当たり前になりました。
 みんな携帯電話を持って、どのサイトにアクセスしようか選択をします。
 当時はそんな選択をする必要はありませんでした。
 携帯電話を持っていなかったからです。
 君たちはコンビニに寄ろうか寄るまいか選択します。
 でも当時はその選択の必要はありませんでした。
 コンビニ自体がなかったからです。

 このように、昔の高校生に比べて、君たちは良くも悪くも選択の幅が増えた。
 その中で君たちは日々選択をしていきます。
 「選択していない。何も考えてないから」という人がいるかもしれません。
 しかし、「何もしない」のも選択肢の一つです。
 あるいは、「よくないことをする」というのも選択肢です。
 どうせならいい選択をしてほしい。
 いい選択をするには、学び続けることが必要です。
 学ぶことで情報が増え、判断力も増します。
 そして、選択をしたら、実行する勇気を持ってほしい。
 それが今まで君たちに言い続けてきたことです。

 腰の曲がった小さなおばあちゃんが電車に乗ってきた。
 それを見たらこの中の誰もが例外なく、席を譲らないといけない、と思うでしょう。
 でも、全員が実行するでしょうか。
 実行できないのは、恥ずかしいからでしょうか。
 いい所を見せたくないからでしょうか。
 善悪の判断、選択をしたら、実行する勇気を持ってほしいと思います。

 新年度、ここにいる君たちは、それぞれ一つずつ進級し、3年生と2年生になります。
 4月の頭から、自分が考える、こうありたいという自分、こうなりたいという自分に、少しでも近づけるように精一杯の努力をしてください。

 君たちには「期待しています」と言い続けてきました。
 それは、人間は変わることができるからです。
 よりよくなれるからです。
 新学期の君たちに期待しています。
 がんばってください。

 終わります。

 2月27日(月) 次の時代を担う君たちへ~学び続けることの大切さ <生徒会誌「噴煙」第44号から 37

2012年02月27日 | エッセイ
 
 3月1日発行の生徒会誌「噴煙」第44号が手元に届きました。(写真)

 ザーッと目を通したところですが、内容が充実していて、非常によくできています。

 校長は、特に年度初めと年度末には、いろいろなところに載せる原稿を依頼されたり、正式な挨拶をするための原稿を書いたりすることが多いので、日頃から「ネタ」を集めておくことが必要なのですが、それはさておき、今日は、「噴煙」が公になりましたので、そこに寄稿した文章を掲載します。

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   次の時代を担う君たちへ ~ 学び続けることの大切さ

                        校長 内堀繁利


 いま一冊の新書を手にしています。
 初版は一九七三年五月。
 四十年近く前に出版された本で、ことばの勉強を始めた大学時代以来三十数年間に渡って、折に触れ何度も読み返しているものです。
 タイトルは『ことばと文化』(岩波新書)、著者は軽井沢にお住まいの慶應義塾大学名誉教授、鈴木孝夫氏。
 新書本は読み返すたびに手垢がつき、痛みが進んでいきますが、その内容はまったく色褪せることのない、すばらしい著作です。

 『ことばと文化』は、文化としてのことばと、ことば以外の文化との関係性について、様々な角度から述べている本で、ことばに興味のある人にはぜひ読んでほしい一冊なのですが、その中に、次のようなくだりがあります。

 日本語には「氷」「水」「湯」と、三つの状態それぞれを表す単語が存在する。
 一方、英語では「氷」には”ice”という語があるものの、「水」と「湯」はどちらも”water”であり、「湯」を表すためにはわざわざ”hot”をつけて”hot water”と言わねばならない。
 さらにマレー語では「氷」「水」「湯」すべて”air”という語で表す。

 この事実に続けて鈴木孝夫先生は、
「ここにあげた、水ということばの三つの言語による内容の相違は、人間のことばというものが、対象の世界を或る特定の角度から勝手に切り取るというしくみを持っていることの例としてよく引かれる」
と言っています。
 私たちはとかく、世の中に存在する物はもともと一つ一つ区別がされていて、それらには一つずつ初めから名前がついていると考えがちです。
 しかし、実はそうではなくて、私たちが住む世界は混沌として連続しているのであり、その中からものを取り出して名前をつけているのは人間であり、逆に名前が付いていることによってあるものを他のものから区別することができている、ということなのです。 
 先生はさらに
 「人が一つの言語の中で終始生活していれば、ものとことばの関係は、いわば自明の前提として、懐疑の対象にはなりにくい。それをこのように他の言語と比較することで、身近な水や湯や氷のようなものでさえ、日本語という特定の言語に依存している、恣意的な区分にすぎないのだということがはじめて理解されるのである」
と述べています。
 上で取り上げたのは水の例でしたが、日本では七色ということになっている虹も、かつては地域や時代によって七色とは考えられていませんでしたし、世界を見れば現在でも言語(文化)によってその色の数は異なっています。
 それは、連続している色の線引きをどこでするかが「最初から決まっている」のではなく、「人間が決めている」からであり、その決め方は、言語(文化)によって異なっているからです。
 そして、そのことに、我々が言語を学ぶ重要な意味の一つがあるのだと思います。

 きっと「何で英語を勉強しなきゃいけないの?」と思っている人もいると思います。
 英語を勉強する理由の一つは、英語が使える(話せる、聞ける、書ける、読める)ようになることだと言えるでしょう。
 いまや英語はコミュニケーションやビジネスの重要なツール(道具)です。
 それでも「自分は一生英語は使わない」と言う人がいるかもしれません。
 しかし、これだけグローバルになった世の中で、たとえ一生日本で暮らすとしても「一生英語を使わない」などということはあり得ません。 身近なJポップ一つ取ってみても、歌手名(グループ名)、歌のタイトル、歌詞にも英語は当り前のように出てきます。
 スーパーの商品や街角の看板にも英語が書かれていますし、新聞やテレビ、インターネットにも英語を語源とするカタカナ語が出てきます。 近くにある普通の会社に当然のように外国人が働いていますし、客として外国人を迎えることもあるでしょう。
 現代日本では英語は日常生活の中に氾濫しているのです。
 それでもなお「辞書を引くからいい」「知っている人に聞くからいい」と言う人には、二つ目の理由を述べたいと思います。
 それは、上に書いたように、違ったものの見方・考え方を身につけるということです。
 鈴木先生はこのことについて、
 「ことばというものが、世界をいかに違った角度、方法で切り取るものかというような問題を・・・理解するようになることの方が、(英語が使い物になることよりも)遥かに意義があ」る、と言っているくらいです。
 先に述べた二つの理由のうちどちらが重要かは置くとして、一つ目の理由では、英語を使う頻度によってその重要度が異なるかもしれませんが、二つ目の理由は、そういったこととは関係なく、誰にも共通して大切なことだということは言えるかもしれません。

 ここまでは『ことばと文化』からの引用をもとに、英語を学ぶ意義について書いてきました。
 二つあげた理由のうち、一つ目は外国語学習に独特のものだとしても、二つ目は他の教科についても言えることでしょうし、もっと言えば、学校の勉強を超えたところにある「学ぶことの意義」も同じではないかと思います。

 私たちはなぜ学ばなければならないのか。
 時期の差、程度の差こそあれ、誰しも必ずどこかで持つ疑問です。
 特に、高校までの学校教育の中で、苦手な科目や嫌いな科目がある場合や、思うように成績が伸びないときなどには「どうしてこんな科目をやらなきゃいけないの」とか「卒業したらこれ絶対に使わないと思うよ」などと愚痴の一つも言いたくなる気持ちも分からないではありません。
 それでも、学校の教科・科目から始まってすべての物事には学ぶ意味があるのです。
 学ぶことの意義については、いろいろな人がいろいろなことを言っていますが、私は次のように考えます。

 私たちは学ぶ(勉強する)ことによって、その時点で自分が持っているのとは異なるものの見方・考え方・発想の仕方を学ぶことができる。 場合によっては、現在の自分の考え方について、やっぱりこれでよかったんだと自信を持つこともできるし、自分の考えをさらに拡げることもできる。

 基本的には、生まれてから死ぬまで、私たちが学び続けることの意味はこういうことだと考えますが、高校や大学・専門学校などにおける学びでは、卒業後に就職が控えているので、進みたい進路を目指して「なれる自分」の可能性を拡大するという意味もあるかもしれません。
 一方、社会人としての学びは、よりよい社会生活を送ったり、より完成度の高い仕事をしたりするためということが主たる目的になる場合が多いかもしれません。
 このあたりが学校における学びと社会に出てからの学びの違いかもしれませんが、どちらのケースでも、自分の考え方、ものの見方、発想の仕方を拡げるということに変わりはないと思います。

 次の時代を担うのは皆さんです。
 皆さんには、学び続けることによって、様々な角度から柔軟に物事を見、物事の本質を見抜く目を鍛えてほしいと思います。
 学び続けることによって、他者から信頼される人になってほしいと思います。
 学び続けることによって、いろいろな人たちのいろいろな考え方を知り、いろいろな人たちと協働してよりよい社会を創っていってほしいと思っています。
 それが私の願いです。

 2月23日(木) 図書館報「安志比紀(あしびき)」第51号 巻頭言 36

2012年02月23日 | エッセイ

 写真は、今日発行された今年度の図書館報「安志比紀(あしびき)」(第51号)です。
 3年生が登校日の今日、3学年一斉に配付されます。

 「安志比紀」については、昨年度の校長ブログの2月22日の記事にかなり詳しく書いているので、そちらをご覧ください。
 昨年の記事とかぶりますが、館報のタイトルの由来についてだけ、ここに載せたいと思います:

   館報のタイトルの「安志比紀」は、「あしびき」と読みます。
   この「あしびき」という言葉は、「山・峰」という言葉を導き出す和歌の「枕詞」です。
   有名なのは、百人一首にも入っている柿本人麻呂の 
    あしびきの 山鳥の尾の しだり尾の ながながし夜を 一人かもねむ
  という歌でしょうか。
   人麻呂の歌に使われていることからもわかるように、この言葉は万葉集の時代から使われていたものです。
   万葉集の時代、平仮名はまだ創られておらず、すべての言葉は漢字の音を借りて書き表す「万葉仮名」が使われていました。
   「安志比紀」は「あしびき」を万葉仮名で書き表したものなのです。

 今日は、その「安志比紀」第51号の巻頭言を掲載します。

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             巻頭言     

「+1 ~ Plus One ~ みんなで本を読みましょう」

                      校 長 内 堀 繁 利


 芥川賞受賞作家である宮本輝さんに『命の器』というエッセー集があります(講談社文庫)。

 その中の「十冊の文庫本」という作品には、宮本さん自身の読書体験が書かれています。
 井上靖の『あすなろ物語』を読んで小説の素晴らしさを知ったこと、母と街に出かけたとき路上で文庫本を10冊一束50円で売っていたこと、父が事業に敗れて家計が苦しかったがこの時だけは母にせがんでお金を出してもらえたこと、面倒くさがる売り手の男に頼み込んで束を崩して自分の好きな本を10冊選びほかの束はまた元通りにしたこと、中学時代にその十冊の文庫本を何度も何度も読み返したこと、などが書かれていて、その後の話が次のように続いています。

 「私はなんと見事に名作ばかり選び出したことであろう。
  なんと見事に、かたよった読書からまぬがれ得たことだろう。
  そしてなんと見事に、最も純粋で吸収力の強い年代に、それらとめぐり合ったことであろう。
  そのことを不思議と言わずして何と言うべきか。
  『貧しき人々』は、それから二十年後、私に『錦繍』を書かせた。
  他の九冊も私のこれまでの作品に、そしてこれからの作品に影響を与えていくに違いない。
  私は十冊の文庫本に登場する人々から、何百、いや何千もの人間の苦しみや歓びを知った。
  何百、何千もの風景から、世界というものを知った。
  何百、何千ものちょっとした会話から、心の動き方を教わった。
  たった十冊の小説によってである。
  亡くなった大宅壮一氏が、かつて『一億総白痴化』と言ったことがある。
  確かにその言葉はいま現実化しつつあるような気がする。
  若者の多くは、そのとき楽しければいいもの、つかのま笑い転げるものしか求めなくなり、人間の魂、人生の巨大さを伝える小説を読まなくなった。
  そうすることによって、自分を見つめられなくなった。
  他者の苦しみと同苦できなくなった。
  いい小説と対峙するには、それなりの精力が必要である。
  その精力と、それに伴う努力を惜しんで社会に出て行く。
  父となり母となっていく。
  恐ろしいことである。
  惜しむべきことである。
  私は何の取り得もない人間で、頭も悪く、腕力もなく、わがままで臆病で嫉妬深い。
  けれども、たったひとつ取り得と呼べるものをあげろと言われたら、私は多少は他者の苦しみと同苦出来ることだと、いささか声を落として答えるだろう。
  答えた瞬間、私の心には必ず、あの十冊の手垢に汚れた文庫本の束がよぎる筈である。」

 引用が長くなりましたが、私はこの文章に深く感銘を受けたのです。
 何度も「そのとおり」と心の中で声に出し、うなずきながら読んだのです。
 皆さんはまさに「最も純粋で吸収力の強い年代」です。
 「人」が「人」となるために、あるいは本校校歌の歌詞にあるように「大き信濃に人とな」るために、「いずれそのうち」ではなく、大切な今この時期に、時間を作ってぜひ本を読んでほしいのです。
 あまり本を読んだことがない人は、どんな本でもいいので、読みやすい本を選び、とにかく活字を読むところから始めましょう。
 本を読むのが好きな人には「いい本」を選び、じっくり読んでほしいと思っています。
 そして、できれば、いつもそばに置いて読み返したくなるような「一生ものの本」に出会ってほしいと願っています。
 皆さん、とにかく、本を読みましょう。
 そのことで皆さんの心に必ず何か一つ付け加わるはずです。

 2月22日(水) PTAのチカラ ~ PTA通信第105号から 35

2012年02月22日 | エッセイ

 昨日はPTAの正副会長・幹事合同会、新旧合同役員総会、支部PTA役員会、学年・クラスPTA役員会が行われました。
 あわせて、体育文化クラブ後援会の正副会長・常任理事会も行われました。
 例年以上の出席があり、お忙しい時期に大変ありがたいことだなあと思っています。
 PTA冒頭の挨拶では「役員会、総会、バザー、親睦ソフトバレー大会、支部PTAいずれも活性化していてありがたい」「いつも、+1~Plus One~みんなでいい学校を創りましょう、と言っているが、保護者の皆さんには引き続き学校づくりの当事者としてご協力をいただきたい」と申し上げました。

 また、この日にあわせて、PTA通信第105号が発行されました。
 1・2年の各クラスでは本日配付され、3年のクラスでは明日の登校日に配付されます。

 PTA通信については、昨年書いた校長ブログの7月27日と2月28日、今年の「雑感2011」の7月27日の記事に詳しく書きましたので、そちらをご覧いただきたいと思いますが、今日の記事では、105号に寄稿した文章を掲載したいと思います。

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          PTAのチカラ

                          校長 内堀繁利

 
 平成二十三年度もフィナーレが近づいてきました。

 三年生の保護者の皆さん、お子様のご卒業おめでとうございます。

 高校三年間にわたる皆さんのご苦労を思うとき、卒業に際して感じる喜びと感慨はまた格別ではないかと拝察いたします。

 一・二年生の保護者の皆さんは、卒業までもうしばらく時間があります。
 引き続きよろしくお願いいたします。

 さて、今年度一年間のPTA活動を振り返ってみますと、役員総会・PTA総会をはじめ、様々な場面で保護者の皆さんに大変お世話になりました。
 この場を借りて厚く御礼を申し上げます。

 噴煙祭PTAバザーでは、当初は回収率が悪く担当者をハラハラさせましたが、最終的には例年以上に品物を提供していただきました。
 クラス対抗親睦ソフトバレー大会でも、百人超という、昨年にも増して大勢の方に参加していただき、和気あいあいとした雰囲気の中、あとの懇親会も含めて大盛況のうちに終えることができました。
 「子どものため」ということはもちろん大切ですが、保護者の皆さん自身が楽しみ、親睦を深めることもまた重要ではないかと思っています。

 各支部PTAでは、ざっくばらんな意見交換が行われました。
 小諸東支部では、しなの鉄道平原駅に通じる坂道が暗く、かつ冬場は滑りやすく、生徒も送迎の車も危険であるという意見が出されました。
 駅の利用者は本校生徒だけではありませんし、学校の管轄でもありませんが、本校生が利用していることも事実です。
 PTA会長と校長連名の要望書を作成し、八月に小諸市役所に市長さんを訪ねました。
 支部会長さんには、昨年度の支部会長さんや地元区長さん等の協力を得ながら、該当箇所の地権者の了解を取り付けていただきました。
 その上で、十一月末までには、市が、生い茂った樹木の枝を払い、防犯灯をLED化し、滑り止めを置いてくれました。
 私も確認に行きましたが、以前とは見違えるほど見通しがよくなり、安全な場所になっていました。
 支部が市・区と連携して取り組んだ大きな成果だと思います。

 また、学校全体のことを議論する場として、生徒・保護者・教職員の「三者でつくる軽高会議」を年二回開催しています。
 昨年度来の話し合いと取組の結果、朝晩の通学バスの増便・「軽井沢高校東」バス停の新設・高校生料金の設定、通学路の防犯灯の増設、校内昼食販売の改善、生徒会役員による挨拶運動などが実現し、生徒を取り巻く環境が向上しています。
 保護者の皆さんどなたでも参加できますので、ぜひ時間を作って参加していただければと思います。

 本校PTA活動がますます盛り上がってきています。
 生徒が充実した学校生活を送るためには、家庭・地域・学校の連携と相互信頼感の醸成が欠かせません。
 昨年度来、学校にかかわるすべての皆さんに『+1-Plus One- みんなでいい学校を創りましょう』ということをお願いし続けてきましたが、一・二年生の保護者の皆さんも、卒業生の保護者の皆さんも、学校づくりの「当事者」として、今後も引き続きご支援・ご協力をいただければ幸いです。
 よろしくお願いいたします。

 2月 6日(月) 卒業と入学と 34

2012年02月06日 | エッセイ

 先週の水曜日に、国際文化科3年生の卒業エッセイ発表会がありました。(写真)

 国際文化科の生徒は、3年生になると、各自テーマを決め、それについて調査・研究をし、論文を英語で書き、全員分をまとめた冊子を手に卒業するのが、英語科以来の伝統行事になっています。
 今年も同じように取り組んで来ましたが、今年は、それに加えて「発表会」を設定しました。
 軽高では、きちんとした内容をきちんとした方法で他者に伝えるという「プレゼンテーション」の力を付けることに重点を置いていますが、まさにその「集大成」というわけです。

 発表会には、1・2年生の国際文化科の生徒(正確に言うと1年生は、「くくり募集」で入学し、次年度国際文化科に進むことを希望している生徒たち)も参加し、英語科の先生やクラス担任の先生、そして私も審査員として出席しました。
 写真の真ん中あたりの列と一番前の列の一部、紺の制服でないものを着ているのが先生たちです。

 すべて英文で卒業エッセイを書き上がるだけでも、それはそれで結構大変なことですが、今年はパワーポイントを使って英語でプレゼンテーションを行うという、さらに難易度の高いことに挑戦しました。

 どこまでできるだろうか(やるだろうか)という、若干の心配をよそに、実際の発表は、私の想像を遙かに超えた、すばらしい出来映えでした。
 まず、誰もがしっかりと準備をしてきている。
 パワーポイントの仕上がりもいいし、話す内容もいい。
 そして、堂々としている。
 照れもおどおどした様子もなく、英語を話すことにも抵抗を持っていない。
 その上、だだ英語を話すだけでなく、アイコンタクトを取るなど、きちんと伝えようという強い意志が感じられる。
 大したものです。

 3年間本校で学んだ結果、一人の例外もなく、これだけの成長を遂げられたのは、本人の努力と先生たちの献身的な指導があったからだと思います。
 発表の前には、授業中だけでなく、放課後などにも担当の先生の所に何度も通って練習をしている姿もあったと聞きました。
 卒業を前に、「いいものを観させてもらった」「一人一人の成長が感じられ、本当に嬉しい」と心底思いましたし、そのように発表会でもコメントしました。
  
 さて、話変わって、先週金曜日までの志願受付が終わり、今週の水曜日は新入生の前期選抜です。

 いま中学3年生は、前期選抜の準備を一生懸命にしている者、前期選抜は受けずに後期選抜一本に絞って勉強に励む者、さらには、私立を受ける者と、中学卒業後の進路希望実現に向けて頑張っているところだと思います。

 中学校に進路講話で呼ばれることがありますが、そのときにいつも言うのは、「軽井沢高校に来てくれれば一番いいが、軽井沢高校でなくても、自分が希望する学校への入学を目指して毎日精一杯努力して、希望に満ちた春を迎えてほしい」ということです。
 いま各中学校の3年生は、不安を抱えながら最後の追い込みをしているところだと思います。
 苦しいかもしれませんが、ぜひ頑張ってほしいと思います。

 軽高の今年の卒業式は3月2日。
 あとわずかになりました。
 3月に本校を卒業する生徒も、4月には新しいところに入学もしくは入社します。
 そして、また新しい生活が始まります。
 願わくば、それがたとえ大変であっても希望に満ちたものであらんことを。

 卒業と入学。
 それぞれの生徒にとっては一つの学校につき一度ずつのことですが、学校という所は、毎年それを繰り返していく場所なんだなあと、あらためてそんな思いに耽っています。