地域紙芝居をつくろう

新潟市の図書館に「中山隧道物語」の紙芝居があると聞いて、以前、見せてもらったことがあります。皮肉なことに地震で有名になった、山古志の手堀りの中山隧道に関わった人たちの物語です。中越の実演家も製作に協力したと聞いていました。この話に付け加えて、今回、地域のことで紙芝居を作る予定の方とお会いしたときに、一つ大事なことを念押しし忘れていましたので、ここで説明したいと思います。

紙芝居の裏に文章を書くのですが、文は、その画面の裏に書くのでなく、一枚前の裏に書きます。印刷紙芝居はそういう風になっています。これを間違える方が意外と多い。つまり、1枚目の絵の裏は2枚目の絵のセリフです。

「中山隧道物語」をめくって、「これはマズイ」と思いました。絵の裏にはその絵の説明が書いてあるのです。絵本と兼用とのことだけど、結局どちらに使うのも無理。
 「実演するなら全部文を書き直さなくちゃ。別の紙に文章を全部書くか。それにしても、舞台に入れても普通の人はこれでは何がなんだか分からないし、演じてみようもないだろう」と思いました。立派なケースにいれられて、図書館員もどこにしまったか分からない状態で奥深くしまわれるのもしょうがないのです。実演家はチェックしなかったのでしょうか。これはとうてい使えるものではないのです。もっとも禁持出なので、したくてもできません。保存のための紙芝居ですね。朗読CDつきなので、演じるのでなく、図書館の中のみで聞かせていただく一方の紙芝居なのです。

いったいいくらかけて作ったのでしょうか。だれの責任でこうなったのでしょうか。作ったことで製作者グループは満足したのですね。絵もほとんど遠目のきかない、紙の中央に小さく描かれた、風流な絵でした。現地の人々の熱い思いも、紙芝居の特性が理解されていないがために、使いようのない結婚式の引き出物のようなものになりました。
 3年前全国紙芝居まつりが長岡であったとき、私は行かなかったのですが、銀行トラブルの前は申し込んでありました。その問題が起こったときの対応を見て、心の中にいろいろ思うことがありました。大型紙芝居ももう見飽きちゃったしね。後で学習会の資料を見て愕然としました。ここで書くわけにいかないし、私も偉そうなこといえたものではないのですが、大勢の人の協力を集めてやって、自分たちの抱える問題点とか、特性とか、もう少し真摯に学ぶべきではないかと思います。都合の悪い情報は聞きたくないという気持ちは分かりますが、全国で数百の紙芝居の団体があるというのに、なぜ新潟県ではチラホラしか聞こえてこないのか、レク団体や朗読団体の添え物としか扱われないのか考えていかなくちゃいけないですよね。みんなで一緒に考えていきましょう。

 これから作る方、紙芝居祭りをされる方は、同じ間違いをしないでほしい。手作りということに有頂天にならないよう。相手にわかることや、実際に演じることを大切にして欲しいのです。印刷紙芝居をよく知っていればこういう間違いは起こらないのです。
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