ゲームホリック

ゲーム大好きぃ!!でゲーム脳なのであること無いこと書き散らします。

ゲームを捨てよ、街へ出よ

2005年10月14日 | ゲーム
 「書を捨て、街へ出よう」と言ったのは寺山修二氏であるが、「ゲームを捨て、街に出よう」と言ったのは芝村裕吏氏である。(正確には、コントローラーを置き、現実の世界に戻ることがハッピーエンドであるとの趣旨の発言であったが。)


 『新世紀エヴァンゲリオン2』は大ヒットしたアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』のプレイステーション2用ゲームだ。『エヴァ』はその人気とは裏腹にゲーム化作品には決して恵まれてはいなかった。それゆえ『ガンパレ』を開発したアルファシステム、芝村氏によるゲーム化ということで期待が高まった。また設定上の謎の多かった『エヴァ』の謎が明らかになる、原作とは異なる展開、エンディングなどといった触れ込み、『エヴァ』の監督、庵野秀明氏によって”2”を冠されたこと。これらによってファンの期待は一層高まった。
 今までのゲームとは異なりキャラクターが個々にAI(個性)を持ち、自立して行動している。また庵野AIと呼ばれる庵野監督の思考をAI化したフィールドマスターがゲームを支配しており、NPC(ノンプレイヤーキャラクター)の行動を制御したり、イベント、戦闘をプレイヤーに向けて投下する。つまりこのゲームは従来のゲームのように用意されたイベントをこなしてゆくものとは異なる、シナリオ全廃のゲームシステムなのだ。

 これにまでにないシナリオ全廃のゲームシステムは非常に興味深く、また挑戦的で意義のあるものである。だがそのシステムは現段階においてはあまりに実験的過ぎる。キャラクターのAIを見ても、個の人格を表現するには現行のAIでは役不足であることは否めない。確かに根気よく観察していれば、NPCには一定の行動原理が働いており、AIとして一定の役割は果たしている。しかしその行動は往々にして原作のキャラクターのイメージとはかけ離れた行動を示す。綾波をストーキングする日向や青葉などのネルフ職員の行動などは”ネタ”としての受容は可能であろうが、原作に強い思い入れのあるファンであるならば、失望を禁じえない。
 システム部分にも不満がある。今作の生理現象の概念はプレイヤーにNPCの行動を理解する一端として実装されたそうだが、頻繁に起こる尿意、空腹、眠気の処理はプレイヤーに対し過度の負担を強いる。また移動においてもNPCの行動をプレイヤーに理解させようとする思考が生きており、ドアの開け閉めにもプレイヤーの操作を要求する。これらの細かな負担、ストレスの積み重ねはプレイヤーのゲームへの没入を阻害する。
 そして最大の不満は制限されたエンディングである。ゲームの本質をゲームプレイ自体に求めるアルファシステムや芝村氏による開発であるからある意味当然であるが、『エヴァ2』はキャラクターゲームである。『エヴァ2』に用意されたエンディングは原作からはみ出さない、原作の展開から起こりうると芝村氏が判断したエンディングのみだ。それはある種正しい判断であるが、『エヴァ2』に大きな期待を抱いた、多くの批判がなされたテレビ版、映画版とは異なるエンディングを期待していたユーザーの期待に答えるものではなかった。また期待された謎解きも簡素な記述のみであるばかりか、トリビア的な謎の解明に留まっており、ファンの欲求を満たすものではなかった。そして異なった展開というものも新兵器の投入や渚カヲルが味方になるといった程度のものに留まっている。(これが一番の売りといえるかもしれない)



 多くのファンの期待を受けてリリースされた『エヴァ2』。純粋にゲームとしてみると従来のゲームにはないシステムにあふれた意欲作であるといえるが、キャラクターゲームとしてみればファンの期待とはかけ離れた作品とであったといわざるを得ない。原作とはかけ離れたAIの行動、生理現象の処理の煩雑さ、行動範囲の少なさなどのあまりに真面目に作りすぎたのではないか。
 前述の芝村氏の発言は『エヴァ2』にこのような不満を述べたプレイヤーに対してアルファシステム公式掲示板で述べたものである。このような開発者とユーザーの間の乖離はそれぞれの『エヴァ2』に対する認識のズレがある。プレイヤーの大半は『エヴァ2』にキャラクターゲームを求めている一方で、開発側は『エヴァ2』をキャラクターゲームではなく純粋にゲームとして開発したのである。もう少し同人的なゆるさのようなものがあれば、もっとプレイヤーにとっても幸福な結果となったであろう。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿