ジョナサン・サフラン・フォア「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」を読んだ。
解説にも書いてあったが「ライ麦畑でつかまえて」のホールデンくんを思い出した。
語る内容は異なるが語り口が似ている。
そして、この本は血のつながりがない人とのふれあいについても書かれているが、
血のつながりのある人について多くのことを想起させるらしい。
私は戦争も知らないし「9.11」の犠牲者の遺族でもない。
しかし私の祖父の世代は戦争に苦しめられていた。
祖父は戦死してしまったのだし、おばあちゃんは大切な人を失いながらも子どもを育てた。
しかし実はその子ども、つまり私の父はもっと大変だったようだ。
「9.11」「ドレスデン爆撃」「原爆投下」
それらは「3.11の大地震」とは異なり、悲しいことに誰かの意思が働いた結果だ。
「9.11」はテロリストたちの起こした悪逆非道な出来事で
「ドレスデン爆撃」「原爆投下」は自由と正義を守るためのやむを得ない措置だったのだろうか?
そして「9.11」で亡くなった人たちの名前や職業は語り継がれて本にもなるというのに
米軍兵士に殺されたイラクの市民たちは自分たちが死んだことさえ語ってもらえない。
「自由と正義」の国の軍隊が無辜の民を殺害するなんて「ありえない」のだ。
「原爆投下」にしたって、この本ではあまり多くは語られていない。
犠牲者の数は二桁違うのに・・・
命の重さは生まれた国によって異なるらしい。
それはあまりに不公平なことだが事実らしい。
「悪意」は過去に限定されたものではなく、今、この瞬間にも私たちの側、
あるいは私たちの中にあるのだろう。
おそらく著者は「不意に私たちに襲いかかる悪意」について書きたかっただけなのだろう。
そしてそういう時に私たちはどうすれば良いかについて書きたかったのだろう。
「どう悲しみを乗り越えたらいい?」と帯に書いてある。
きっと互いに慰め合うことぐらいしかできないのだろう。
時間が解決してくれる問題かもしれない。
故人との思い出を「忘れたくない」という強い気持ちを抱いていたとしても
その心を癒すのは「忘却」でしかないのだろう。
物語の主人公であるオスカーくんと私の間には
「宇宙が好き」「ビートルズが好き」という共通点がある。
もちろん彼の好きなものは他にもたくさんあるし私の好きなものは他にもたくさんある。
きっと相違点を数えたらきりがないのだろう。
多様な世界の中で人がそれぞれ異なっているのは仕方がないことだ。
しかし人と人を結びつけるものは探せば何処かにある筈だ。
米軍兵士はそんなことを考える余裕もないほどに追い込まれていたのだろうか?
精神に異常をきたした帰還兵はたくさんいるらしい。
いったい誰が被害者で誰が加害者なんだ?
軍需産業が廃れてしまったら敵にやられてしまうかもしれない。
そして彼らは軍需産業を潤すために戦争を続ける。
「正義」なんて何処にもない。
解説にも書いてあったが「ライ麦畑でつかまえて」のホールデンくんを思い出した。
語る内容は異なるが語り口が似ている。
そして、この本は血のつながりがない人とのふれあいについても書かれているが、
血のつながりのある人について多くのことを想起させるらしい。
私は戦争も知らないし「9.11」の犠牲者の遺族でもない。
しかし私の祖父の世代は戦争に苦しめられていた。
祖父は戦死してしまったのだし、おばあちゃんは大切な人を失いながらも子どもを育てた。
しかし実はその子ども、つまり私の父はもっと大変だったようだ。
「9.11」「ドレスデン爆撃」「原爆投下」
それらは「3.11の大地震」とは異なり、悲しいことに誰かの意思が働いた結果だ。
「9.11」はテロリストたちの起こした悪逆非道な出来事で
「ドレスデン爆撃」「原爆投下」は自由と正義を守るためのやむを得ない措置だったのだろうか?
そして「9.11」で亡くなった人たちの名前や職業は語り継がれて本にもなるというのに
米軍兵士に殺されたイラクの市民たちは自分たちが死んだことさえ語ってもらえない。
「自由と正義」の国の軍隊が無辜の民を殺害するなんて「ありえない」のだ。
「原爆投下」にしたって、この本ではあまり多くは語られていない。
犠牲者の数は二桁違うのに・・・
命の重さは生まれた国によって異なるらしい。
それはあまりに不公平なことだが事実らしい。
「悪意」は過去に限定されたものではなく、今、この瞬間にも私たちの側、
あるいは私たちの中にあるのだろう。
おそらく著者は「不意に私たちに襲いかかる悪意」について書きたかっただけなのだろう。
そしてそういう時に私たちはどうすれば良いかについて書きたかったのだろう。
「どう悲しみを乗り越えたらいい?」と帯に書いてある。
きっと互いに慰め合うことぐらいしかできないのだろう。
時間が解決してくれる問題かもしれない。
故人との思い出を「忘れたくない」という強い気持ちを抱いていたとしても
その心を癒すのは「忘却」でしかないのだろう。
物語の主人公であるオスカーくんと私の間には
「宇宙が好き」「ビートルズが好き」という共通点がある。
もちろん彼の好きなものは他にもたくさんあるし私の好きなものは他にもたくさんある。
きっと相違点を数えたらきりがないのだろう。
多様な世界の中で人がそれぞれ異なっているのは仕方がないことだ。
しかし人と人を結びつけるものは探せば何処かにある筈だ。
米軍兵士はそんなことを考える余裕もないほどに追い込まれていたのだろうか?
精神に異常をきたした帰還兵はたくさんいるらしい。
いったい誰が被害者で誰が加害者なんだ?
軍需産業が廃れてしまったら敵にやられてしまうかもしれない。
そして彼らは軍需産業を潤すために戦争を続ける。
「正義」なんて何処にもない。
さてさて。「ものすごく・・・」についてですが、私はかなりハマってしまいました。とても好きな本です。ライ麦を思い起こされたとのことですが、確かにそういう面もありますね。私はカート・ヴォネガットのスローターハウス5を思い出しました。同じドレスデン爆撃を扱っている、ということもありますが、ひとつには視覚的な仕掛け・・・集中して読んでいる時にはとてもインパクトあると思います。
そして内容的にも、私は、狂気とは何か?何が本当は「狂っている」のか、という事を考えさせるものと受け取りました。主人公のオスカーを始め、登場人物の殆どは、世間的には所謂「精神に異常をきたした人々」ですが、本当に狂っているのは彼らに起こったことそのもの:「9.11」「ドレスデン爆撃」「原爆投下」だと思うのです。彼らにとって(誰にとっても)、全く説明のつかない理不尽な出来事で、むしろそのような体験をしても「正常なふるまい」が出来る人がいたら、その方が本当は狂っている=自己欺瞞の状態なのではないか?と思います。
なので、私は、登場人物の中で、実は最も狂っているのはオスカーの精神科医だと思います。「パパが死んで良かったことは?」・・・この問いかけは狂っています。この狂気の世界で生き残るには、狂う(自己欺瞞をかける)しかないのだ、と言っているように思いました。
私達の回りにも、本来は異常なものが多く存在します。異常さに慣れて生きていないだろうか、また、その中で「正常なふるまい」をするために自分を見失っていないだろうか、ということを考えさせてくれる本でした。
いきなり訪れて長々と失礼しました。「ものすごく・・・」について書かれているので嬉しくて、つい。バックナンバーもこれからじっくり読みます。
異常なものの中に普遍的なものを描こうとした小説には「地下室の手記」とか「変身」とか「異邦人」とかいった作品があると思います。そうした作品は「異常なものを排除しなくてはならない」という「正常なふるまい」から、はみ出してしまったもので「正常な」人たちの機嫌を損ねたりしています。しかし、そのような「正常なふるまい」も実は「狂気」に近いものがあると思います。何が正気で何が狂気かは実際にはよくわからないです。
「悪霊」のキリーロフとかスタヴローギンは「狂っている」と思いますが、彼らのような人物を創造した作家の意図は、そうした狂気が、私たちの内に潜んでいるのではないかといったところにあるのかもしれませんね。
本や音楽に夢中になると自分を見失うことは多々あります。自分を見失ったり自分の価値観が根底から覆されたりすることは度々あります。安全で害のない作品なんてつまらないと思いますよ。そういうものを私たちは「コンテンツ」と呼んでいたりします。何がいったい「コンテンツ」なんだか・・・
コメントしていただいて、ありがとうございます。
「ものすごく・・・」はタミちゃんに勧められて読みました。
「風の中のマリア」とか「代表的日本人」もそうです。
でも私の好みは、もうちょっと、別のところにあります。
「スローターハウス5」って知らないので読んでみます。