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光明寺

 光明寺は、浄土宗大本山のお寺で、創建が1243年になります。開基は北条経時(鎌倉幕府第4代執権)、開山は然阿良忠上人となります。 元々は、1240年に北条経時が佐助ヶ谷に建立した「蓮華寺」を移して「光明寺」となった説と、(大仏流)北条朝直が建立した「悟真寺」が、「蓮華寺」~「光明寺」となった説があります。
 ちなみに「新編鎌倉誌」によると、北条経時が霊夢を見て、「光明寺」と改称したとあります。一体どんな夢だったのでしょうかね?光り輝く夢だったのでしょうかね。
 光明寺は、材木座にあり駅からも離れているせいか、とても静かで落ち着いたお寺になります。「三尊五祖の石庭」の前の腰掛けに座って、佇んでみたら如何でしょうか^^


  「総門」

     

 

「山門」・・・20名以上のグループだと「山門」の見学もできるそうです。 いつか集合かけて行きたいものですな~^^



「山門の額」・・・1436年、後花園天皇より授かったご宸筆の額とのこと。 なお、山号でもある「天照山」は光明寺の背後の山の名称から来ています。
  


 「大殿」・・・本尊は阿弥陀三尊となります。「新編鎌倉誌」によると、阿弥陀如来像は「運慶」作とありますが、特にそのような説明書きはありませんでしたね。  



 「三尊五祖の石庭」  



動物霊堂もあるせいか猫も多いです。



 「記主庭園」・・・小堀遠州の作と云われています。  



「裏山(天照山)より望む」富士山もみえます・・よく見ると・・きっと^^:



  天照山には「北条経時公」の墓所があります。元々は笹目山麓(鎌倉税務署近く)に葬られたそうです。

 「北条経時公の墓」  



   北条経時(1224~1246)は、第3代執権「北条泰時」の嫡男「北条時氏」の長男にあたり、幼名は「藻上御前」と呼ばれ、第5代執権になる「北条時頼」の兄になります。泰時が死亡した時には、父・時氏は既に死亡していため、若干19歳という若さで第4代執権となります。在任中は、反得宗の動きを見せた第4代将軍「九条頼経」を廃し、第5代将軍「九条頼嗣」を擁立し、自身の妹である「檜皮姫(ひわだひめ)」を将軍御台所とし、政局の安定を図りますが、病気のため、わずか23歳で亡くなります。 
 妻は宇都宮泰綱の娘になりますが、「吾妻鏡」によると1245年9月にわずか15歳で亡くなったそうです。
 「新和歌集」には、妻の病状を心配する経時の和歌があります。  

  『 忍び音の涙争ふ初時雨いづれか先づは袖濡らすらん 』

 心優しい人柄が偲ばれますね  


  『光明寺』 
 住所:鎌倉市材木座6-17-19
 電話:0467-22-0603
 拝観料:無料


  交通手段
 (1)バス JR鎌倉駅東口下車、7番乗り場で「小坪経由逗子行き」で光明時バス停下車 バスの所要時間は15分程度です。
 (2)徒歩・・・30分位 JR鎌倉駅東口改札を出たら真っ直ぐに進み、「鎌倉駅入口」の交差点を越え右折します。スルガ銀行の所を左折し、「本覚寺」を右折します。あとはひたすら道に沿って進みます。   

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