『浄光明寺』は、創建が1251年となる、現在は真言宗泉涌寺派の寺院となりますが、創建時は、四宗(浄土、真言、華厳、律)兼学の寺院であったそうです。開基は「北条長時」で、開山は真阿(真聖国師)となります。山号は「泉谷山」となり、泉ヶ谷という谷戸に位置していることによります。
『浄光明寺』
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「客殿」
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訪問時、境内には見事なツツジが咲いていました。
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開基の「北条長時(1229~1264)」について説明すると、長時は、第3代執権である「北条泰時」の弟「北条重時」の次男となり、長時の家系は、本家の「北条得宗家」と区別して、「赤橋流北条家」と呼ばれております。
なお、「赤橋」とは、鶴岡八幡宮にある「太鼓橋」を云い、長時の屋敷がこの近くにあったことからきています。
「太鼓橋」・・・鶴岡八幡宮の三の鳥居の所にあります。今でこそ石造りですが、昔は、朱塗りの板橋だったそうで、そこから「赤橋」とも云われていました。なお、「吾妻鏡」によると、「和田合戦」の際、和田方の土屋義清はこの橋付近で戦死したとあります。
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「北条長時」は、第五代執権「北条時頼」が病気で出家した際、息子の「北条時宗」がまだ6歳と幼少であったため、成長するまで執権職を預けられます。それまで北条得宗家以外で執権となった者はなく、それだけ得宗家からの信頼も厚かったといえます。
また、京都でのの生活が長かったこともあり、和歌にも造詣が深く、多くの和歌を勅撰集に残しております。
『頼むるを 又いつはりと 思ひても なほ忘られぬ 夕暮の空』(続後撰和歌集)
北条長時は、わずか36歳で亡くなります。第6代将軍「宗尊親王」は、その死を悼み、和歌を残しています。
『冬の霜 秋の露とて みし人の はかなく消える 跡ぞかなしき』
本堂の裏には、阿弥陀堂や国の重要文化財である「本尊阿弥陀三尊像」が収納されている収蔵庫等がありますが、それらについては、「浄光明寺(後編)」にて紹介します。
「行き方」
①JR鎌倉駅西口改札を出たら直進し、「市役所前」の交差点を右折したら、ひたすら真っ直ぐ進みます。
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②「寿福寺」を越えると、「寿福寺踏切」がありますので、踏切を越え、左折します。
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③「扇谷上杉管領屋敷遺迹」の石碑を通り、突き当たりを右折し
ます。
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④数分も歩く内に、左手に「浄光明寺」に到着します。鎌倉駅から大体、徒歩15分位です。
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『浄光明寺』
住所:鎌倉市扇が谷2-12-1
電話:0467-22-1359
拝観時間:10:00~12:00
13:00~16:00
*1 ただし、上記の時間は「阿弥陀堂」より先のみ
*2 「阿弥陀堂」より先は、木・土・日・祝日の晴天日のみ
*3 8月は拝観お休みしています。
拝観料:200円(阿弥陀堂より先のみ)