生活する花たち 冬ー俳句歳時記ー

編著者 高橋正子(俳誌花冠主宰)

●目次●

2012-05-03 07:14:13 | 日記



[目次]

11月の花

12月の花

1月の花

春の花

夏の花

秋の花

別ファイル/生活する花たちー俳句歳時記ー

※項目をクリックして、ご覧ください。


■植物■

2012-01-27 04:43:15 | 日記
○蝋梅(ロウバイ)
★蝋梅に光を返す由比ヶ浜/阿部ひろし

ロウバイ(蝋梅、蠟梅、臘梅、唐梅、Chimonanthus praecox)は名前に梅がついているためバラ科サクラ属と誤解されやすいが、ロウバイ科ロウバイ属の落葉低木。1月から2月にかけて黄色い花を付ける落葉広葉低木である。花の香りは強い。ソシンロウバイ(素心蝋梅)、マンゲツロウバイ(満月蝋梅)、トウロウバイ(唐蝋梅)などの栽培品種があるが、よく栽培されているのはソシンロウバイで花全体が黄色である。

○侘助
★侘助や障子の内の話し声/高浜虚子

侘助は椿と違って、花が開ききらない咲き方をし、花も小さい。お茶花として人気が高いのは、花の姿に品格があるからであろうと思う。松山の郊外の砥部の家には、肥後、乙女などさまざまな種類の椿をたくさん植えていた。花が満開となるときは、地に積み重なるほど花が落ちた。初冬、庭に「初あらし」という白い椿が咲いた。そうして、すぐ横にある柊の銀色の花が高い香りを放つころになると、ぼつぼつと侘助が咲いた。わが家にあったのは、赤い侘助。備前焼に入れるとよく映る。「助」というのは、小僧っ子らしい。そういうほうから見ると、品格だけではなく、滑稽さも感じないでもない。侘助は、何年たっても大きくならなかった。わが家では、椿もあまり大きくならなかったが、唯一2メートルくらいのは、玄関の戸を開けると見える白い椿。この椿は葉が幾分よじれる癖があった。わが家の裏は遊歩道があって、フェンスの向こうは谷になって、谷底を砥部川が流れていた。その川崖の上のほうに藪椿がよく咲いたので、ちょうど手を伸ばせば花に届いたので、時どき、一枝折って籠に活けたりした。普段、侘助を椿と区別して眺めることはない。

○水仙
★水仙の香を吸いながら活けており/高橋正子

町内のあちこちで水仙が咲き始めた。正月が近い。
水仙について脳裏にある光景がある。昭和30年代前後、家庭では、着物や布団などを洗って仕立て直していた。洗った布は、糊づけして皺を伸ばすために、板張りや針子張り(しんしばり)にしていた。木綿は小麦粉で作った糊を使うが、銘仙など絹ものは、水仙の糊を使っていた。水仙の葉を切ると、滴る水のような透明な液で良い香りがする。この液にひたして、針子張りにした布が、庭いっぱいにゆれていた。それもなぜか、水仙の花が咲いている時期に限られていたように思う。糊に使うだけの水仙が庭に咲いていたとも言えるが。冬ばれのうららかな日と共に思い出す。

○茶の花
★茶の花垣朝の光頬通る/森澄雄

茶の花は、この季節好きな花のひとつ。生家には、道から一段高くなったところに菜園があり、柿の木がありました。その西側にお茶の垣根があって、ちょうど柿が熟れるころ、お茶の花が咲き始めました。お茶の木には、まだお茶の実が残っていて、その独特な形は面白いものです。祖母の話では、戦前までは、家でお茶を作って飲んでいたようです。お茶を作らなくなっても垣根だけは残っていました。白い絹のようなお茶の花とその実には、子どものときから、いい感じで受け止めていましたから、生来好きな花なのでしょう。鉄瓶の蓋の持ち手にお茶の実を模したものがついていたのを覚えていて、いいデザインだと、小学生のときから感心したりしていましたので、多少は骨董眼があったのかもしれないと思うのです。お茶の花の白は、絹のような白で品がありますから、寒くなり始めたころにふさわしい白だと思っています。

○万両
★万両の丈伸びて実を輝かす/高橋信之

横浜日吉本町に住んでいるが、百両を見かけたのは、ご近所では一軒だけで、万両は千両と並んで町内の庭先でよく見かける。数年前、町田市の里山に出かけたが、その山に自生の万両を見た。そして、東海道53次の戸塚を過ぎて、藤沢の遊行寺の近くの遊行坂の山にやはり、自生と思われる万両を見た。生家にもあったが、これを父は実のついた万年青とともに大事にしていた。あまり育たず、増えずの感じだったが、横浜では、いたるところで見かける。四国の砥部の家にも万両があったが、いつの間にか、塀沿いに万両が増えて育っていた。実がこぼれたのであろう。

○千両
★花束の中より散らばる実千両/平田弘

千両は生家にはなくて、砥部の家の玄関脇に赤と黄色を植えていた。植木屋さんの勧めで植えたと思う。万両は日当たりがいらないが、千両はいると聞いている。間違いかもしれない。正月花に赤い千両を一枝切って入れたいと思うが、一枝切ると間が抜けたような姿になるので、正月花には花屋で買っていた。先日東海道53次の戸塚から藤沢まで歩いたときには、お寺などに千両をあきるほど見た。こちらのお寺は千両がお好きなようだ。

○南天
★南天の実も水音もかがやかに/高橋正子

冬が来ると、縁側にふれそうに南天の実が色づいた。その南天は私の記憶では、一間(1.8メートル)ぐらいの高さで、大きくもならなかった。築山のほかの木が剪定されても南天はそのままで、正月用にその実も葉も残されていた。年末のごみを焼くけむりにも巻かれていた。これは、広島の生家の話であるが、南天はどの家にもある。「難を転ずる」の意味で植えられるらしい。松山の家の庭隅にも、植木屋さんが勝手に持ってきて植えてくれて、正月料理や赤飯にその葉を飾りに使ったりした。一枝切って、正月花にも使った。今住んでいる横浜の日吉本町を散歩すると、農家の藪のようなところにも木の姿は乱れているが、たわわに実を付けている。もう年末だな、もうすぐ正月が来るな、と思う。そう、正月が過ぎて、雪が降る日があると、赤い実が雪を冠り、かわいいのだ。雪うさぎの目にもなったりする。墨彩画に書かれたものも実だけが赤くて面白い。書きだせばきりがないほど、南天は身近にある。

○冬菫
★冬菫咲く万貫の巌を割り/藤井亘

「すみれは早春に花をつけるが、日当たりのより野山では野生のすみれは冬の半ばでも咲いているのを見かける。」と角川歳時記にある。金蔵寺の寺の裏山に登ったが、だれも人が来ぬらしく積もった落葉に埋もれてすみれが咲いていた。たったひとつということが多い。菫はかれんな花に似ず生命力が旺盛。子供のころ、畑にすみれが咲き喜んでいたら、すみれは瞬く間に増えて作物の邪魔になると、あっけなく抜き捨てられた。上掲の「万貫の巌割り」のすみれも、強靭な生命力を詠っている。
このごろは、パンジーも冬の花壇や鉢に植えられ、花の少ない季節に彩りを添えている。寒そうではあるが、生活の風景を変えている。

★冬すみれ日はしろがねに高くあり 正子

○冬薔薇
★冬薔薇の一輪風に揉まれをり/高浜虚子

薔薇は花卉界の寵児でその種類が非常に多い。一般的には薔薇といえば初夏の花。初夏に薔薇展も多く開かれ、薔薇園も開放されて明るい季節にふさわしい花である。オールドローズもどこかの花園で咲いているのだろうと想像すると優美な気持ちになる。
冬の薔薇は、上掲の虚子の句のように、冷たい風に揉まれて、何かに耐えているが、自分を崩さない美しい女性の表情にも似ている。先日散歩の途中に、北側の窓の格子に黄色い冬薔薇を見たが、このような女性を思った。黄色い花弁の端が、寒さでほんのりオレンジがかって、完全に咲いて風に揺れていた。

★冬薔薇ほんのりオレンジ色の咲く/高橋正子

○冬桜/寒桜
★皮が幹ひき締めひき締め寒桜/香西照雄

冬桜は、元日桜、寒緋桜などの別名がある。桜にはめずらしく緋色をしているが、一般には、冬にさく桜を冬桜と呼んでいる。
冬桜として印象が深いのが、鎌倉報国寺にあるもので、緋色ではなく、桜色をしたもの。外国人が、枝にほちほちと咲いた小さな桜をいとおしそうに、目を近づけて見ていた。そのあと、私も近づいて眺めたが、消え入りそうに、でも確かに咲いている。あまり多く花をつけないのが見どころであろう。背景に青い空があると、いかにも、儚く美しい。

★冬桜風受けやすき丘に咲く 信之

○蕗のとう
涸滝のにじみそめたる蕗の薹/清崎敏郎

昨日、平成24年1月19日、寒中に蕗のとうを見つけた。農家の畑の隅には蕗の葉が小さくなってちらほら残っている。その葉の根もとに目を凝らして見ると予想にもしなかった蕗のとうが見つかった。丸みにはやや欠けるがふっくらとしている。早春の蕗のとうの黄みどり色と違って、緑が霜に当たったような色であった。
早春、蕗のとうが出るとやはり嬉しい。春が来たと思う。黄みどり色がうれしい。あのまるっこい形を摘んで手に収めるのもうれしい。蕗のとうにはよろこびがある。

蕗の葉の小さきに護られ蕗のとう 正子

○すずしろ(大根)
★流れ行く大根の葉の早さかな/高浜虚子
虚子写生の代表な句で、昭和3年11月10日、九品仏吟行のときの作品。句の対象が「大根の葉」のみで、そこに焦点が絞られ、他が切り捨てられているので、作者の思いが何処にあるか、見極め難い。そこが評価の分かれるところであろうが、私は、この句をよしとした。俳句というものを教えてくれる佳句である。(高橋信之)

「すずしろ」は大根の昔の呼び名で、1月7日の七草粥では大根のことを今でも「すずしろ」という。

大根は日本でもっとも消費量の多い野菜と聞く。大根が昔ながらの食生活を牽引しているとも言えるのではなかろうか。日本の食卓から大根が消えるときがあろうか。

大根の食べ方もいろいろ。ごく最近では、朝食のポトフに蕪ではなく、大根を入れた。朝食用なので、野菜は小さめに切った。大根はいちょう切り。キャベツとともに、あっさりとして体が温まる。ポトフに大根を入れるのは、私のアイディアではなく、伊豆の今井浜のホテルに泊まったときに、地元野菜を使った料理がいろいろと出されたがそのうちのひとつ。
これもごく最近のぶり大根。おなじみの料理だが、大根は皮を剥かずに乱切り。ほんの少し甘味だが、大根くささ、苦味などがほとんどなく、しかも確かに大根の味がする。子どもから大人まで楽しめる味だと思う。料理家の土井善晴さんのレシピをネットからダウンロード。
それから、秋には、大根を千六本に切ったものに、ちりめんいりこをトッピングして昆布ポン酢で食べる。浅漬け大根も寒い朝にはさわやかでよい。信之先生は、千六本に切ったものを湯豆腐に入れるのが好きで、たまに、そういう食べ方もしている。

○白菜
白菜を夜は星空の軒蔭に  正子

白菜は、鍋に漬物に大根に劣らず日本で多く食される野菜のひとつ。白菜の漬物が美味しい。白菜に丸ごとに包丁を根もとのほうだけ入れ、あとは割いて四等分なり八等分なりして、太陽の恵みがありますようにと日向で干す。日向で干すことにより白菜に甘味が増す。一日では十分でなく夜は霜露がかからないように軒下に入れる。こうしてしんなりしてきた頃漬物につける。十分な重石がなければ、おいしいものができない。目下の悩みは、漬物に十分な重石を持っていないこと。それでも小さい漬物器で初めから小さく切って漬物を楽しんでいる。

○蕪 
★雪降らぬ伊予の大野や緋の蕪/高浜虚子

蕪は絵になる。大根もなるかもしれないが、蕪のほうが形と葉に面白みがある。信之先生が絵を描くときは、野菜は絵になったあと台所へ回される。小蕪は、寒い時期なら、まるごと煮て葛あんをかけるのが評判がいい。あとは、ポトフやみそ汁に入れたり、漬物や酢の物になっている。最近男の子は酢の物を嫌うので、蕪の酢の物はあまり作らなくなった。酢の物はサラダにとってかわられている。
大根と呼ばれながら、蕪としか思えないものもある。さくらんぼのような赤い二十日大根、千枚漬けの聖護院大根。私のイメージでは、この二つは蕪の仲間に入っている。聖護院大根は、子供のころ、冬の保存食として、京都の千枚漬けとは違っているが、薄く銀杏切りにして甕いっぱい酢漬けにされていた。今思えば、寒い季節のわりに酢が強すぎたという感じだが、この聖護院大根をかぶらを呼んでいた。
子供にとっては、蕪といえばロシアの民話の「大きなかぶ」の話だろう。佐藤忠良の挿絵の「大きなかぶ」の絵本を何度も子供に読まされた。

○葱
折鶴のごとくに葱の凍てたるよ/加倉井秋を
葱太る日が高々と駅裏に/高橋信之

広島の備後地方に育った私は、葱は子どものころ嫌いな野菜であった。父母の世代までは、葱というより根深と呼んでいたような記憶がある。根元に深く土を寄せていた。土から掘り上げて、枯れた葉や薄皮を剥くと、葱の匂いがぷんとして、手に泥がかたまったように黒くつく。一皮むけば、葉葱ながらまっ白い茎が現れた。すき焼きにもこの葉葱が使われる。みそ汁や、ただ葱を油揚げや豆腐と炊いたような惣菜にも。霜の朝、家の前の畑に行くと、加倉井秋をの句のように、葱の葉は、くの字に折れている。折鶴を連想させるのも無理もない。根の白い部分を食べるものを、「東京葱」と呼んでいたが、田舎では見たことはなかった。今は横浜に住んでいるので、もっぱらこの白い根を食べるものを使っている。葉葱の代表の九条葱も売られているが、これは、めったに買わない。小葱と呼ばれる薬味に入れる葱は冷蔵庫に切らすことはなく、この小葱は普段大活躍。厚焼き卵に入れるし、小葱の小口切りにしたものだけをいっぱい入れたみそ汁もたまに作る。これがまた美味なのだ。葱は、地方によってさまざまの品種があるようだ。焼き鳥の肉の間に挟んだ焼いた葱もおいしい。焼いたり、煮たり、刻んだままで、嫌いだった葱も好きとは言わないがよく食べている。
葱剥けばすぐ清冽な一本に  正子

○水菜
★水菜洗う長い時間を水流し/高橋正子

水菜は、くじらといっしょにはりはり鍋にするのが関西風だろうが、さっぱりと食べたい菜ものだ。鍋にいれたり、漬物にしたり、油揚げとお総菜にたいたり。高橋家では代々、正月のお雑煮に水菜を入れる。水菜、里芋、人参、かまぼこ、ささみで東京風の味つけ。最近の水菜は生のままサラダに使われる。水耕栽培のようで、根元に土が噛んでいるいるよなことはない。畑に育った水菜は株も大き根元に土があって、これを落とすのに結構丁寧に冷たい水で洗わなければならなかった。上掲の句はその頃の句。

○慈姑(くわい)
くわいを掘りにゆくからついてくるように言われたのは、もう半世紀以上も前。母の里には、蓮根やくわいが植えてあって、泥の中から青いくわいを伯母が掘りだして見せてくれた記憶がある。丸くて青いくわいは子供心にも魅惑的だった。これは、備後地方のこと。四国松山では、青くなく、その形も扁平である。正月料理に芽が出ていることから目出度いということで使われる。正月料理用には、一個150円から200円近くで売られているが、値段のことを言ってはおれないので買うのだが、私は、普段でもこのくわいを食べたい。しかし、正月を過ぎるとこのくわいが八百屋の店頭からも姿を消してしまうので、残念なのだ。昔、昔夏休みのころ食べた菱の実の味に似ていると思う。くりっとして、ほっこりしている味である。

○レモン
レモンの日本での栽培地は主に、蜜柑などの柑橘類の栽培地と同じである。耐寒性は一般的に-2~-4度とされる。潮風に強いため、海岸沿いでの栽培も可能となっている。香川県や広島県、愛媛県など瀬戸内地方が多い。1本で100個から150個ほどの果実が採れる。栽培される種類も比較的豊富だが、栽培本数が少ないため、日本国産のほとんどは地産地消されている。日本国産は日本国外産のようにポストハーベスト農薬の心配がなく、特に無農薬物は日本国外産に比べて2倍から4倍の高値で取引される。レモンは本来、気候や場所により短径が10cmを超える大きさに成長する大型の果実である。ただし、日本の場合、大半がレモンティーなど生食に用いられることもあり、ティーカップの大きさを超えるような大きさの果実は調整、選別されており、大型のレモンが流通することはあまりない。

私の世代では、レモンと言えば、梶井基次郎の「檸檬」を思い出す人が多いかもしれない。「檸檬」という字が書けるとか、トパーズ色の香気を漂わせて、レモンをかじるとか。レモンが特別だった青春時代。
今、国産レモンは、もっぱら瀬戸内産のものを使っているが、レモンの皮が厚い。レモンティーに入れたり、その皮をすりおろして、マドレーヌやウィークエンドケーキに入れたりする。やはり、香りがいい。国産レモンでなければ、果汁を絞ってレモネードにしたりする。マリネにも使う。鮎などの塩焼きや牡蠣フライにもかけたり、結構活躍している。
レモンは非常に酸っぱいと思っていたが、それが、とても甘いと感じたときがあった。富士山登山で、最高に疲れたときにレモンの分厚い輪切りを一枚もらった。かじると、酸っぱくなくて甘い。目の前で一個のレモンをナイフで切ってくれたのだが、レモンを甘いと感じたのは、後にも先にも、このとき一度だけ。

レモンの香飛べば灯きらめける  正子




冬の花

2012-01-21 12:47:09 | 日記



◆水仙:香のこぼる水仙を抱き風の坂/藤田洋子◆石蕗の花:石蕗の花はや日輪の傾きぬ/多田有花◆千両:花束の中より散らばる実千両/平田弘◆茶の花:茶の花や老婆の軽ろき鍬の音/桑本栄太郎◆枇杷の花引き寄せて昔の香りを枇杷の花/古田啓二◆南天:南天の実も水もかがやかに/高橋正子◆椿:椿咲く日よ過去ありありと吾に/高橋信之

写真集「冬」

2012-01-06 18:25:52 | 日記

◇生活する花たち「茶の花・侘助・レモン」(横浜日吉本町)


◇生活する花たち「茶の花・侘助・レモン」(横浜日吉本町)

◇生活する花たち「茶の花・侘助・レモン」(横浜日吉本町)


◇生活する花たち「茶の花・侘助・レモン」(横浜日吉本町)