山の話

2017年03月10日 20時16分09秒 | 日記
山に登り始めたのは五十代の終わり頃だったと思います。きっかけは単純で或る日家に帰る坂道を「なんだかしんどいな」と思いながら歩いていた時、後ろから追い越しざまに、「なんだ、どこのおばぁさんかと思ったらお隣の奥さんか」と笑いながらお隣のご主人に言われたことでした。五十代は微妙な年頃です。一番聞きたくないセリフを無神経に投げかけられ、ガックリしたわけです。

娘が入院してそれも難病の宣告を受け、病院に通う毎日の疲れが、ただ通う疲れだけでなく、解らないもやもやとした不安で一杯の、初期の時でしたから、必要以上疲れに押しつぶされていたわけです。でも、ばあさんと言われて、私のプライドは大いに傷つきました。なんといっても五十代です。ぎりぎりばぁさんと言われたくない年なのです。

というわけで、ちょっと気にしていた時、ついこの間までよれよれで、それこそ年を取りかけていた友人がはつらつと若返って訪ねてきました。四、五年寝たきりだったお姑様が亡くなった噂は聞いていました。
「なんで」と尋ねると、「山に登ってるの、まだ一年だけど」と嬉しそうに仲間と歩く楽しさを話し始めました。

ともかくこんなに元気になるのなら、娘の病気の先が見えない今、なんとか山とやらに登って彼女のように若返るべし。と、私は決心しました。その仲間はみんな知っている同級生だったので、即座に山に連れて行って貰うことにしたのです。ただ、一年遅れて行くのですから足手まといにならないように、二か月足慣らしをすることにしました。

毎朝、早起きして、始めは二十分から四十分歩きました。雨の日は傘をさして、ともかく始めると決めたら続けないと気持ちの悪い性質なので、よくよくのことがないかぎり続けました。だんだん楽しくなったのは、梅雨前の五月だったからでした。それから二十年近く、月二回はトレッキングを続けました。馬鹿でもチョンでも継続は力なりです。おかげで、九十過ぎまで生きてしまって、些か戸惑っている次第です。

でも、生きている間は、楽しく感謝していこうと、思っています。山を想い乍ら。font>