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何かが足りない

電磁波攻撃について

2013-06-13 23:29:36 | 日記

 集団ストーカーと電磁波攻撃についての話です。
 私はそのような被害にあっていると認識する以前から、コミュニケーションの不安があって、心療内科で診察を受けていた経験があります。
 いつごろから被害を受けているのかはっきりとしない。自分の中で攻撃されていると認識し出したのは、7年近く前のことだと思う。
 平成17年の6月に、私達一家は静岡から横浜戸塚のマンションに越してきた。ほぼ同時期に私達の部屋の真上の部屋でも引越しがあった。
 異変は引っ越しをした当日から感じていた。自室で休んでいる時に、どうも落ち着かない。いらいらとしてしまったり強制的に動悸が激しくなるような感じがした。いすに座っていても、ベッドの上で楽な体勢を取っていても、そわそわとしてしまってしょうがなかった。
 それは今まであまり感じたことのない居心地の悪さで、それがひき起こる過程も、それまであまり経験した事の無いような感覚で、少しばかりの混乱を感じていた。
 私は自分の事を我慢をしてしまうタイプだと自認している。漠然とした不安を抱えることは生きている中でたくさんあるけれど、不安は直視しない限り、問題として認識できない。直視して像がはっきりと見えればストレスは小さくなるが、小さくなってもなくなるわけではない。問題をなくすには戦って、勝たなくてはいけないわけだが、どうやっても勝てそうにない戦いがある。
 引越しをすれば当然環境はガラッと変わり、環境が変われば体質が急に変わっても不思議ではない。はじめはあまり気にしないようにポジティブに考えていた。
 でも生活の基盤はどんどん暗くなっていった。それまで好きでよく聴いていた音楽も、横浜に引越してきてからぜんぜん聴かなくなってしまった。エネルギーが奪われていくような、集中力がキープできない時間ばかりを過ごしていた。何かに取り組もうとしても、すぐに疲れてしまう。ただネットをして時間をつぶしたり、ギャンブルに嵌ってしまったりして、あまり思考力や集中力を必要としない時間の浪費をただ積み重ねた。
 自分自身が認識している自分の体調の変化を、言葉にして他人に伝えるのはなかなか難しいもので、体調の変化は自分の中の感触で、他の人と共有することができない。
 それまであまり感じたことのない不調。その不調の引き起こされ方を、何度か経験することによって、それまであまり感じた事のないタイプの反応が起きていたことを、時間を少し遡って見つけることが出来た。
 人が「あっ風邪ひいちゃうかも」と思う瞬間の情報処理を言葉にするのは難しくて、そう思ったとか、そう感じたとしか言いようがない。寒い場所に長時間いて、寒気がしたその瞬間「何かゾクッとした」という感覚が、自分の中で「風邪ひいちゃうかも」につながるときがある。
 トイレに行って身震いしたり、緊張から来る身震いとは違った「ゾクッとした」という感覚が、自分自身の半無意識の中で振り分けられて「風邪ひいちゃうかも」の判断に入れられる。
 半無意識下でパターン化されていく反応を、経験によって自分のからだの情報として持つ。風邪の治りかけでも、黄色い痰が出てくるようになれば治りかけだと思うし、たぶんあと一回汗かいたらすっきりして体を動かせそうだ。などといった感覚。そういった感覚は、半無意識下で処理されてきた情報を、経験や限定や予想によって、意識化に自分の情報として引き上げて確立させたものだ。そういった自分の体の感触を、他人に説明するのは難しい。
 今まで20数年生きてきて、あまり感じたことのなかった上からの圧力のような空気の悪さを、引っ越した当初、私は自分の部屋にいる時に感じることがあった。一言で言えば居心地の悪さで、その圧力を受けているという感触自体は、その後に引き起こされる体調の不良から時間を戻して無意識から掘り起こし、やっと発見されるぐらいの薄い感触ではあるけれど、とにもかくにもそういう空気の悪さを認識していた。
 そういったいつの間にか訪れている空気の悪さから、タイムラグがあって、体のいたるところに不調が出てくるように、私は自分の体調の変化を感じ取っていた。
 不調とは具体的に、落ち着きがなくなって、体の表面すべてに蓋をしてしまったように体内に熱が篭り、目がしばしばとして、のどが渇いたり、頻尿の症状があったりする。動悸がして左胸のあたりに痛みを生じ、倦怠感を伴って、筋肉の緊張が生じる。顔が浮腫んで、頭の中が重く濃い霧で覆われてしまったような、思考のはっきりとしないようなボーっとする感じがあり、そのような症状は数日後まで後を引くことがある。
 不調は引越しから来るストレスという可能性を除外できるほどに時間が過ぎてもなくならなかった。
 そのうちに私は体調不良の要因は外的なものだろうと推測し出した。そういう予想を考え出した時期に、くっきりとした区切りがあった訳ではなかったと思う。自分の中でもいつごろから自分の意識が変わっていったのか、正確な時期を思い出せない。しかし、外的な要因だと判断する材料として、かなり気になる現象が、自分の部屋の中でたびたび起きていて、引っ越してからずっとそれらは蓄積しつづけていた。その中のひとつに、上の部屋から聞こえる物音というものがあった。
 上の階の住人がまるで呼びかけるように床を叩く音が、自室の天井の向こう側から聞こえてきた。夜寝る前や、テレビなどを消している静かな時間帯に、私ははっきりとその音を認識することができた。何か物を落としたような音ではなくて、こぶしを使ってノックをするような音だった。その音を出すタイミングがあまりに私の行動とリンクしすぎている事が続き、ずっと違和感を覚えていた。
 自分の行動とリンクしているというのは、例えば、私が小さな声で苦しむような声やため息や独り言を出してしまったとき、夜中に気分が悪くて目を覚ましたときなどに、上の階の住人が床をたたくような音を出すことがあった。ということだ。
 どたどたと歩くような音も響いた。私が部屋を移動すると、上の階の住人もそれに付いてくるように、わざとらしく音を立てて移動するように感じていた。
 私の自室には窓があって、その窓を開けるとそこはマンションの共有廊下となっていた。寝ている時にその窓をたたかれるようなことが数回あった。人の話し声や気配を感じて、深夜の3時ごろに確認のために外に出てみると、その人物が逃げるように階段を上がって、真上の階に入っていった事もあった。
 こういったことの多くは、最初のうちはどうでも良いという認識だった。常識的に考えて起こりにくいことが、自分の身に起こっているかもしれないという考えは、無意識の中で真剣に検証することを拒否し続けていた。きっと気のせいだ、あまり気にしないようにしよう。と、なんとなく処理していた。気のせいであって欲しい。
 体調の悪化は何かのストレスが原因であって、呼びかけるような音については、やけに神経質な住人が、ほんの少しの物音にも敏感に反応して床を叩いてくるのだろう、そんな話はいくらでも、それこそそこらじゅうに転がっているような話で、都会の集合住宅では我慢することなのかもしれない。不可解な現象も偶然によるものだと、長い期間無理やり自分に認識させつづけていた。
 気にしないという方法をとっても、自分の体調の悪化はなくならなかった。時間の経過によって状況が良くなることはなかった。そのうちに私は自分の部屋で起こる不可解な現象を、いやいやながら、少し疑問を持って認識し始めた。「部屋にいると体調が悪くなる」という状況について、または「監視されているように感じる」ことについて、何かおかしいのではないか? と少し意識しようとしてみた。
 偶然はあくまで偶然であって、連続して続いたら偶然の可能性はどんどん低くなる。今までは偶然だとして処理できていても、さすがに何度も続けば何かあるのではと考える。
 それでも、体の倦怠感や頭の思考のしにくさが、問題を正確に認識することを拒んでしまう。なんせ気分が悪い。明るく振舞おうとしても、引っ越してきてから毎日毎日、頭の中が炎症を起こしているようなうっとうしさで満たされていて、基本的には無気力になってしまっていた。
 「変なタイミングで、不審な音が聞こえる」この音が実際に出ている音でも、私の幻聴だとしても、そのどちらでも嫌な事だった。そんなことについて考えたくない。意識すればするほど、じっとりとした恐怖が私自身を包みだした。その恐怖は自分から尊厳のようなものを奪っていくようにも感じていた。
 攻撃だけでも恐ろしいが、監視されているかもと感じることは非常なストレスだった。ちょっと小声で上の階の人を馬鹿にするような発言をしてみて、反応を探ってみたり、なるべく自然な行動に見せかけて、自分の部屋の隅々を監視カメラが仕込んでいないか探したりした。
 もし実際に何らかの形で監視や攻撃をされていた場合、自分が異変に気づいていることを相手側に悟られたくないと考えていたし、常識から逸脱した情報に基づいた行動を起こしてしまうと、今度は自分が不安になってしまう。おかしな現象に合わせて、おかしな行動をしたくはなかった。ひっそりと斜に対応しながら、なるべく確定的な情報を探したが、みつからない。みつからなくても安心ができない。なんせ、物音は相変わらず聞こえるし、圧力のようなものを感じて急に気分は悪くなる。
 正面から向き合うという意識自体が、認めてはいけない一線を越えしまうようで嫌だった。しかし何とかしなくてはいけない。とうとう自分で、監視カメラや盗聴器を発見するような機械を買ってみて、調べてみた。しかし具体的な結果を得ることはできなかった。
 結果が出なければ、だとしたらやはり自分の感覚がおかしくて、間違った判断をしてしまっているのではないか? という考えもよぎった。しかしicレコーダーを買ってみて、録音してみても確かに音は入っていたし、基本的に私は自分の感覚を信じている。
誰かに相談したかったが、誰にも相談できなかった。相談することで問題が解決するとは思えなかったし、逆に自分の社会的な信頼をさらに低くしてしまうかもしれないと思っていた。私は社会生活が乏しく、友人とか会社の仲間とか、信頼のおける関係をすでに持っていなかった。
私は20歳のころから、対人緊張症の問題をずっと抱えていて、心療内科にかかっていたことがある。薬がことごとく合わなくて、精神科や心療内科にはあまり信用を持っていなかったのだけれど、人との関わりを求めてカウンセリングは時々受けていた。カウンセラーに自室で感じる違和感について、まずは相談をしてみた。
といっても、それは本気の相談ではなかった。どうせ私の伝えたいことはうまく届かないと、はじめから考えてしまっていた。警察にも相談に行ったが、それも同様で、電磁波攻撃などといった言葉を自分の口から出すことに、演技じみた抵抗があった。
日本社会はタブーが多い。予定調和を乗り越えるのは大変だ。自分の気持ちを素直に表現しないで、予想できる反応をなぞるだけの対話は気力を奪う。“相手に期待ができない”“自分に自信が持てない”“相手の反応ありきで自分の発言をしてしまう”。そういった形をなぞるだけのコミュニケーションが嫌でひきこもりがちになってしまったのに、重くのしかかってくる問題を解決するために、まずはあまりにも予定調和の対話からはじめるしかなかった。
そういったことを経て、親にも話しかけてみた。親ははじめは真摯に対応しようとしてくれた部分があって、実際に行動もとってもらった。盗聴器が無いか業者に確認してもらったり、一人暮らしをさせてもらったこともあった。
しかし、何をしても状況は良くならない。むしろ何の結果も得られないという状況は、私の自信を奪いに奪った。解決に向けて動けば動くほど泥沼にはまってしまっていくような気もした。やる気は削がれていき、自暴自棄の生活を続けていた。生活のリズムも一定させることもできずに、毎日徐々に不安に侵食されているように感じていた。
自分が問題を抱えていると認識するまでに、引っ越してから相当の時間がかかってしまった。問題を抱えていると認識しても、基本的にはいまだに足踏み状態が続いている。問題解決には最初の勢いというものがとても重要だと思う。体力のあるうちに何とかしなければ、船はゆっくりと沈んでしまう。
私は言いたいことが言い難い日本社会の閉鎖感をうらむ。社会の動きをこれでもかと不透明にしようとするマスコミが嫌いだ。電磁波攻撃や集団ストーカーといった不可解な言葉でも、信憑性をフラットな視点で判断することができる社会だったのなら、はじめの勢いを社会のシステムによって潰されてしまう不安など持たずに、行動に直結できた部分が絶対にあったはずだ。

私達一家が横浜に引越しをしてきたのは05年で、手元にある自分の日記は09年4月からだ。このころにはすでに私は図書館の敷地内でダンボール生活をしている。定かではないが、おそらく07年ごろから電磁波攻撃を受けていると自分の中で認識し出したのだと思う。
問題の認識に2年ほどの時間がかかってしまった。
私はほとんど家の中では寝れなくなっていた。車中泊か、ネットカフェ、路上、公園のベンチで体を休めることが多くなっていた。
攻撃を受けて困るのは体調の悪さであるのだけれど、そこから派生する具体的な障害はさまざまで、その中でもあまりにも大きい障害に、他人に与えてしまう緊張感のようなオーラ的なものがある。
雰囲気イケメンという言葉があるように、雰囲気というのはその人の存在を一発で強力に表してしまう。そしてそれは近い距離にいる人に少し伝達してしまう。電磁波攻撃を受けると、緊張感のようなオーラのようなものが強制的に体から強く発せられるようになってしまい、とても人と関わろうとは思えない。
これも自己判断であって、他人の本心はわからない。が、顔色や態度を見ればある程度の予想はできる。自分が気分を害することが何度も続けば、気のせいですませることができない。街中ですれ違う人、たまたま近くにいる人が、急に息を吸い込んだり、目を不安そうに動かしたり、ストレッチを始めたりすることが続けば、自分は何処か変なのだと思ってしまう。信号待ちや電車に乗っている時やエレベーターで誰かと同乗したとき、一定時間を他人と同じ環境下で過ごす時間が、ひどく居心地悪いものに感じていた。
嫌な思いをさせてしまうのは嫌だ。自分が他人に嫌な思いをさせてしまう存在なのかという不安は辛い。暗い顔をしているとか、何か変だとしても、どうして変になったのか、そういったことをわかりやすく形として表すのは難しい。
人間社会は形として現せないことを、力の持った人達にとって都合よく解釈されすぎなのではないかと感じる。
その場にある事実と、受け取り方による認識の違いは分けなくてはいけない。気の持ちようってやつと、実際にそこにある事象を分けなくてはいけない。たしかに気持ちしだいで世界はまったく違ったものに見える。自分が社会や人を憎んだ生活をしていたりネガティブになってしまうと、知らず知らずに世界にあふれる情報の中から、悪い部分ばかりを抽出して取り込んでしまうし、世界を信じてポジティブに生きれば、良い事は自然と集まってくる。
それとは別に、本当に猫背になっていたり、ぎょろぎょろとした目で暗い顔をしていたり、人々に馬鹿にされてしまうような所作や、ネガティブなエネルギーを伝達させてしまっている表現をして、正当なリアクションでネガティブな事象が表れることがある。それは言葉で表しにくい些細な顔の表情だったり声色だったりするのかもしれないが、自分の気の持ちようとか気持ちしだいで、何とかならないものがある。
細かいことを気にしたらきりが無い。他人の気持ちなんて結局はわからんのだから、否定されたり馬鹿にされたりするのもあるのかもしれないけれど、いちいち考えたら絶対にだめで、気にしないほうがうまくいく。というアプローチは当然わかるし、非常に正しいのだと思う。ポジティブさは大切だ。
気持ちは本当にすべての根源である。しかし“あるのかもしれない少しのダメさ”が、気持ちでカバーできないほどの要素によってもたらされているとしたら、これはもうどうしようもない。
気の持ちようで行動が起こせないのではなく、実際に何処かに障害があって行動が起こせない場合がある。
その障害を取り除くのに、日本人は、それでも気持ちでカバーする。という方法しか知らないように思えてしまう。それはそれで強引なパワーあふれるやり方なのだと思うけれど、そういう方法が得意な人と、その方法ではうまくできない人や、うまくいきようのない障害がある。
現実を正しく認識しようとしても、ポジティブ推奨社会ではネガティブさは邪険にされてしまう。そのまま自然体でいることを正しいとしていても、ネガティブさが過剰に恐れられてしまったら、自分はみんなにとって迷惑をかけてしまう存在だと、これでもかというぐらいに思い込むような経験ばかりが増える。そしてまた悪循環になる。
笑えたり、安心できるような実感がずっと得られていない。
 いつしか私はネガティブの塊のような人間になってしまった。ここ最近どうにかしようとしているのだが、どうにもこうにも脱却できない。なんにせよ休みたい。一日でもいいから安心できる環境に身をおきたい。とにかく精神に安心した時間を与えたい。乾いたまま飛び込んでも、何かを得ることができたり、物事を良い方向に運べたと確信できたことがあまりにも少ない。結果的に選択を間違えたような気持ちになってしまいがちだ。何か少しでもはっきりとした実感が無いと、自分をうまく騙せない。
 自然にポジティブでそれを相手にもふりまける人はすごいと思うが、ポジティブな勘違いで人を貶し、相対的な幸せを追求するのははっきりいって嫌だ。
 自然にネガティブで、嫌味ではなく相手に対しても普通にマイナスを指摘したいのだけれど、依存や甘えのネガティブさで、他人から何かを奪おうとしているのではないかと誤解されてしまうのが怖い。
 人はどんな感情も少しは持っていると思っていて、自分のどの感情が一番大きいのか、凝り固まった社会では、遠心分離するように極端になったり、環境や時間の変化によって言うことがずれてしまう部分もでてくると思う。
 複雑さを認めたほうがうまくいく。私はそう信じている。辛すぎる中で明るく振舞うのは無理がある。明るくなるべき状況で明るくなりたい。暗い自分も認めたい。
自室にあまりいられないようになって、活動時間にはひたすら時間をつぶした。ゲームセンターへ行ったり、体がつらければ公園でベンチに倒れこむように横になり、ただじっとしている。パチンコ屋で新聞を読んだり、図書館に行ったり、古本屋で立ち読みをしたりもするけれど、ほとんど頭に入らないし、身になるような行動は取れなかった。
なるべく攻撃を受けないように、部屋にいる時間をどんどんと短縮していったが、強い攻撃を受けてしまうとあまり意味がない。たった4,5分部屋にいるだけで、その日一日を無駄にしてしまうぐらいの倦怠感と思考の低下に悩まされてしまうほど、強い影響を及ぼされることがある。
寝ているときは防ぎようが無い。
09年ぐらいから私は外で寝るような生活をし出した。原付バイクに載せるだけ多くの食料と着替えを積んで、路上で寝たり、ネットカフェで寝る生活を続けた。寒い時期は主に車で寝る生活を続けていた。アルバイトをしたりもしたが、休めないと何もできない。
とにかく休みたい。寝たい。そのためにネットカフェ生活や車内生活や路上生活をすることになったのだけれど、その結果はあまり芳しくなかった。実際に何が起こっていたのか、はたまた何も無かったのか、それはわからないが、私は常に集団的ストーカー被害にあっているような気持ちになっていた。だんだんと体調の不良が慢性化してしまっていて、いつどこで攻撃を受けてしまったのかわかり難くなっていた。それでも外の生活での被害は、マンションで受ける攻撃の被害よりずっとましだった。
車で生活を続けていると、休憩ポイントがいくつかできる。基本的には海の近くや工業地帯の近くなどで、トラックや他の車も路上駐車している場所で睡眠をとることが多かった。他に車がいれば安心感はあるが、逆に不安もある。
時にはほとんど車が来ないような場所で寝ることもあった。そういう場所はひっそりとしていて怖いし、職務質問を受ける機会も増えるが、不審車両が近づいて来たらすぐにわかる。車があまり来ないような場所を選んで停めても、少し休んでふと気がつくと、私が来た時にはいなかった車が、知らない間に近くに停まっていることもあったし、夜中に物陰からずっとこちらをのぞいてくる人もいた。
こういう人が集団ストーカーであると立証するのは困難だ。おかしな人はたくさんいるから、偶然が重なったのかもしれない。
車内で寝ていて、悪夢で目が覚めることがある。目が覚めた瞬間に、ふらふらと平衡感覚もとれないような感じになり、自分がどこで何をしているのかうまく認識できないような意識障害的な混乱をおこすことがあった。そういう経験をしたときは、何かされたのではと考えてしまう。
ネットカフェは浮浪者のような人もよく出入りするし、怪しいと思ったらみんな怪しく見えてしまう。私は電磁波過敏症のような症状もある。暗い照明であまり掃除の行き届いていないような場所だとリラックスもできないし、閉鎖的な空間で感覚が鈍くなるような感じもするので、具合が悪くなっても何が原因なのか判断が難しい。
いずれにせよ体調の不良は自分の感覚に過ぎないので、書いてもむなしさを感じる。不審な出来事もいくら起こっても、それが集団ストーカーである証明に直結しないことは理解している。録音した音声はただ音が出ている証明にしかならないし、いくら山の中の秘境で近くに停車する車を写真に収めても、それはそこに停車する車でしかない。
ただ、不審なことがあまりにも頻繁に起こった。という事実が、私の中だけに残る。私の中だけに積み重なっていく。
で、人に信頼されることからどんどんと遠く離れていってしまっている。


 自分が攻撃されているとしたらどういった要因なのか、いくつか思い当たる節を書いてみたい。

・ネットでの書き込み
 政治的なことにあまり詳しくないくせに、知ったかぶっていろいろと言いたいことを言ってしまう悪い癖があり、掲示板に書き込みをしたり、ブログに自分の思っていることを書いたりもした。私の思想が権力者にとって都合の悪いものであれば、何処かで目を付けられていたかもしれない。

・母親の宗教。
 私が幼い頃から母親は宗教に嵌っていた。完全に信じていて、近所の家から集金するような、熱心な信者だった。その宗教は横浜にある教団で、小学生のころは私もよくその宗教に祈願をしに行った。
 新興宗教は日本ではひとつのタブーのような扱いをされている。人と話していて「宗教は怖いから」といった会話をすることもあるし、雑誌においても宗教の暗黒部分を面白おかしくまとめて記事にしてあるものを何度も見たことがある。ネット上でもそういった情報はいくらでも見つけることができる。どこまで信用のおける情報であるかはわからないが、私が昔新興宗教に入会していたことは事実である。

・のぞき
 学生当時、付き合っている彼女がいて、東京のアパートで一緒に生活をしていた。その時に「のぞき」の被害にあっていて、一人の中年男性を警察に突き出したことがある。その後にアパートのポストにカメラのフィルムケースや、コンクリートマイクが入っていることがあった。

・病院から現在
 学校を辞めて地元に戻り、バイトをやったりやめたりの繰り返しで、人間関係にどんどんと自信をなくしてしまっていた。すぐに緊張してしまい、うまく笑えない状態がずっと続いて私は心療内科を訪れた。
 私が訪れた病院では、デイケアという治療方法があり、私はバイトもしていたが、ひきこもりと呼ばれる人達の集まりに参加することになった。そこで知り合ったひげを生やした男に、病院以外の一般の集まりに誘われた。ひきこもりの自助グループと呼ばれる集まりだった。
 そのグループはジャーナリストと呼ばれる人が何人か出入りしていた。ゲストに民主党と関係の深い人物も招かれていた。
 次第にバイトをしているのがきつくなってしまい、私は静岡の実家に戻った。そんなときに、偶然音楽イベントの招待券が当たった。すでに私は自助グループに参加することはなくなっていたが、スタッフの女性と連絡は交わしていた。その女性を誘うことにした。私が彼女を誘った理由は、「機会があったら一緒にいこう」というやり取りをすでにしていたからだ。
 イベントは楽しく終えれた。しかし、彼女には付き合いのある彼氏がいて、どうもその彼は癌で闘病中らしかった。後日になってそのブログに自分の事を書いてあるかのような書き込みを見つけた。そこには「男女の関係になった」と書かれていたが、私はその時に一緒に行った彼女とキスをしてしまった。そして、そのことを彼に対して直接謝罪をしなかった。
   
 すぐに思いつくのはこれくらいだ。

なんにせよ、どういった理由で攻撃を受けているのかはわからない。通告が無い。

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