秋田から青森までの五能線の旅。途中の不老ふ死温泉に宿泊し、翌日は弘前経由で八戸に出て新幹線で帰りました。不老ふ死温泉に行く艫作駅(へなし)までの日本海に沈む夕日を車窓から写しました。
翌朝、海岸の露天風呂”黄金の湯”に入りました。波の荒い日は入れないそうです。

弘前に向かう五能線からの日本海は快晴で穏やかでした。

弘前城から見た岩木山。津軽富士というだけあって優美な姿でした。
翌朝、海岸の露天風呂”黄金の湯”に入りました。波の荒い日は入れないそうです。

弘前に向かう五能線からの日本海は快晴で穏やかでした。

弘前城から見た岩木山。津軽富士というだけあって優美な姿でした。

青森から特急で2時間。憧れの青函トンネルをぬけて函館15:30につきました。
函館の駅は、新しくとても近代的な建物です。
宿は市内の湯の川温泉なので、時間不足でしたが、街を観光しました。
珍しい市電に乗ってみました。

赤レンガ街は、横浜とよく似たショッピングモールとなっていました。

北方民族資料館を覗いてみました。この建物は元日銀の支店で、とても立派なものです。閉館まで30分しか時間がなく、客は当方だけでした。

函館の駅は、新しくとても近代的な建物です。
宿は市内の湯の川温泉なので、時間不足でしたが、街を観光しました。
珍しい市電に乗ってみました。

赤レンガ街は、横浜とよく似たショッピングモールとなっていました。

北方民族資料館を覗いてみました。この建物は元日銀の支店で、とても立派なものです。閉館まで30分しか時間がなく、客は当方だけでした。

JR”大人の休日倶楽部”で3月8日から3日間。乗り放題の安い周遊券をゲットし、東北・函館への旅に出ました。今回の目的は青函トンネルをくぐること。五能線を乗り尽くすことでした。
第1日目は、東京駅を7:36の”はやて”に乗り、途中青森で昼食。函館に着いたのは15:30でした。
今年は大雪だった青森、まだたっぷりと残っています。
1年半ぶりに訪れた青森駅は”雪の中”でした。ホームは左側、ホームの端ベイブリッジの向こうに青函連絡船の記念”八甲田丸”が見えます。

駅の隣でりんごを買い、早速列車の中で食べました。とてもおいしかった。

第1日目は、東京駅を7:36の”はやて”に乗り、途中青森で昼食。函館に着いたのは15:30でした。
今年は大雪だった青森、まだたっぷりと残っています。
1年半ぶりに訪れた青森駅は”雪の中”でした。ホームは左側、ホームの端ベイブリッジの向こうに青函連絡船の記念”八甲田丸”が見えます。

駅の隣でりんごを買い、早速列車の中で食べました。とてもおいしかった。

新しい大型客船の飛鳥Ⅱを見に、23日に横浜港大さん橋に行ってきました。
「飛鳥Ⅱ」は、日本籍客船で最大であった「飛鳥」の1.7倍の大きさを持ち、横浜を船籍港とする初の客船です。「クリスタル・ハーモニー」(1990年しゅん工)を改修し、「飛鳥Ⅱ」として、デビューしたものだそうです。
総トン数50,142トン、客室数400室、運航会社は郵船クルーズです。26日には、大さん橋ターミナル岸壁で命名のセレモニーが開催され、3月には初航海が予定されています。

次の写真は、昨年8月にみなとみらい観覧車から撮影した「飛鳥Ⅰ」です。
引退するようですが、今後どのように改装されて就航するのでしょうか。
北海道に行くフェリーには乗ったことがありますが、豪華客船の乗船は未経験です。

「飛鳥Ⅱ」は、日本籍客船で最大であった「飛鳥」の1.7倍の大きさを持ち、横浜を船籍港とする初の客船です。「クリスタル・ハーモニー」(1990年しゅん工)を改修し、「飛鳥Ⅱ」として、デビューしたものだそうです。
総トン数50,142トン、客室数400室、運航会社は郵船クルーズです。26日には、大さん橋ターミナル岸壁で命名のセレモニーが開催され、3月には初航海が予定されています。

次の写真は、昨年8月にみなとみらい観覧車から撮影した「飛鳥Ⅰ」です。
引退するようですが、今後どのように改装されて就航するのでしょうか。
北海道に行くフェリーには乗ったことがありますが、豪華客船の乗船は未経験です。

3泊したあと、帰る日の朝は快晴でした。
海の風景は、ホテルの部屋からのものです。写真でははっきりしませんが、伊豆大島がきれいに見えていました。
帰路の途中、修善寺の近くの葛城山にロープウェーで上がりました。富士山もきれいでしたが、南アルプスがはっきり見えたのは感激ものでした。

海の風景は、ホテルの部屋からのものです。写真でははっきりしませんが、伊豆大島がきれいに見えていました。
帰路の途中、修善寺の近くの葛城山にロープウェーで上がりました。富士山もきれいでしたが、南アルプスがはっきり見えたのは感激ものでした。

上原近代美術館は、大正製薬のオーナーが創立した、のどかな山あいにあるこじんまりした美術館です。木彫りの仏像を展示した仏教美術館も併設されていました。
下田から松崎行きの路線バスで15分。バス停から田舎道を徒歩15分のところにあります。
展示品はすくないですが、ルノアール・ピカソ・ブラマンク・岸田劉生・梅原龍三郎など著名な画家の絵がありました。
平日のせいでしょうか、当方夫婦以外に1組しか見かけませんでした。
美術館の隣に向陽寺というお寺がありました。

路線バス”相玉”を降りた近くの川の風景です。この川は稲生沢川といい、
唐人お吉が51歳で洪水のときに投身した栗ケ淵は、
どの辺りだろうかと想像しました。

美術館に向かう途中の風景です。遠くの山は天城山です。
下田から松崎行きの路線バスで15分。バス停から田舎道を徒歩15分のところにあります。
展示品はすくないですが、ルノアール・ピカソ・ブラマンク・岸田劉生・梅原龍三郎など著名な画家の絵がありました。
平日のせいでしょうか、当方夫婦以外に1組しか見かけませんでした。
美術館の隣に向陽寺というお寺がありました。

路線バス”相玉”を降りた近くの川の風景です。この川は稲生沢川といい、
唐人お吉が51歳で洪水のときに投身した栗ケ淵は、
どの辺りだろうかと想像しました。

美術館に向かう途中の風景です。遠くの山は天城山です。

下田に3泊のゆっくりした旅行です。
翌日に下田を定期観光バスで回りました。写真を順番に載せます。
下田港観光船”サスケハナ号”実物(1,700トン位)の4分の1の大きさだとか。
黒船で密航しようとして失敗した長州藩士の吉田松陰が身を寄せていた村山邸(築200年)。

米国提督ペリーと幕府が日米和親条約の補足として結んだ下田条約締結(1854年)場所となった了仙寺。

初代の米国領事ハリスの侍妾であった”唐人お吉”の墓がある宝福寺。

翌日に下田を定期観光バスで回りました。写真を順番に載せます。
下田港観光船”サスケハナ号”実物(1,700トン位)の4分の1の大きさだとか。
黒船で密航しようとして失敗した長州藩士の吉田松陰が身を寄せていた村山邸(築200年)。

米国提督ペリーと幕府が日米和親条約の補足として結んだ下田条約締結(1854年)場所となった了仙寺。

初代の米国領事ハリスの侍妾であった”唐人お吉”の墓がある宝福寺。
